陽だまりの夢 ①
一面を覆う砂が、熱波に吹かれて波となる。
ざーっ、ざーっとその波が運ばれていった先にあったものは、干しレンガでつくられた大きな都『サンペルシャ』。
高い外壁に守られた内部には大小様々な建物が並び、長い年月をかけて積み上げたであろうレンガからは、歴史を感じさせた。
それもそのはずこの都は国が生まれるよりも前に誕生したもので、砂の国の始まりの街とされている。
それもあってか、上から降り注ぐ灼熱の日差しにも負けないような賑わいを見せ、通りに張り巡らされた日除け布の下からは、威勢の良い声が飛んでいた。
「今日も良いのが入ってるよーっ! ほらそこのお兄さん、顔色が悪いね。これを食べたら一発でよくなる」
声の主が尻尾をつまんで持ち上げたのは、サソリだ。
市場には他の虫も沢山並べられており、どれもこれもここでは貴重な栄養源。トカゲやヘビだって食べなくては生きてはいけない。
しかし、何より貴重なのは水だろう。今年は雨が少なく、この地で生きる猫達は、よりいっそうの節制を余儀なくされている。それは、王宮に暮らす身分の高い猫達とて例外ではない。
顔や手を洗うのに水は使えない。身体だってそう。天日干しの殺菌された砂をかけ、綺麗にする。
風呂嫌いのクリムにとっては、今の状況は神様からの最高の贈り物であり、彼は水不足であることを喜び、毎日を躍るような気分で過ごしていた。
「兄様! 兄様! 今日も剣の稽古をつけてください!」
「なるべく汗は掻きたくないのだが」
クリムにおねだりされたカーマインは、はぁと溜息を落とし、憂鬱そうな顔を見せる。潤沢に水を使える時はこういう顔をしないのだが、その場合はクリムの方が稽古を嫌がった。風呂に入れられるからだ。
「わかった。ただし、私の方から誘った時も付き合えよ」
「えぇー」
「えぇ、ではない。私にもしものことがあればどうする。お前が王となるのだぞ。臭い王など居てたまるか、この国に汚点を残すつもりか。さっさと風呂嫌いを直せ」
よいなと両サイドから頬を引っ張られ、うにゃーとクリムは不満のこもった鳴き声を上げる。
カーマインは、ふっと笑いをこぼし、両手を離すとクリムの頭をひと撫でして、中庭へと連れていく。
そして二匹は向かい合い、訓練用の鉄の剣を構えた。
「では、行かせてもらいます!」
「お前はいつも威勢だけは良いな。ライムにもその元気をわけてやれ。ああも月夜のように物静かでは、将来苦労することになる。いや、相手に苦労を掛けると言った方が正しいか」
「ライムは暗いわけではありません。無口なだけです」
「それを暗いというのだ。お前が昼の太陽なら、ライムは夜の月。同じ日に生まれたというのに、どうしてこうも違うのか」
「ライムはメスだからだと思います」
「性別は関係ない」
はぁ、とまた溜息を落とすカーマインの顔を見ながら、クリムは思っていた。
そんなことないとだ。
メスは部屋で裁縫をしたり、人形遊びをするのが好き。宮仕えのメス達がそう言っていた。
対してオスである自分は、外で遊ぶ方が断然好き。
おいかけっこにかくれんぼ、すばしこいトカゲを追い回すのもいい。小鳥に飛びつき捕まえた時なんかは、胸躍った。
外で剣を振り回すのも大好きで、元気いっぱい、クリムは短い脚でシュタンと地を蹴って、カーマインに飛び掛かる。
カンカンカン、と何度も打ち込んだ剣を楽々受け止められ、足元がお留守だと言われてクリムは足を払われる。
「うわっ!」
クリムは転んでしまったが、ごろんと回ってすぐに起き上がった。これくらいではへこたれない。
「まだまだ!」
「踏み込みも受け身も良くなった。しかしお前の剣には魂が宿っていない。それでは私の受けを突き崩すことはできぬぞ」
「よくそう仰られますが、私にはよく分かりません」
意思だと告げるカーマインの目は優しく、さらに彼はこうも続けた。
「私を倒そうという意思がこもっていないのだ」
「無理ですよ」
「無理と思うから無理なのだ。倒そうと思ってやってみろ」
そんことを言われてもと、クリムは口を尖らせる。
カーマインは国一番の剣の使い手だ。秀でた剣技を持つ近衛達にだって勝ってしまう。
その昔、炎の落雷の異名を持つ凄腕と手合わせし、見事打ち破ったなんて逸話を持つ父すら打ち負かし、その父が兄をこう評していた。天に愛された剣の申し子と。
だからだろうとは思う。砂の国の秘宝『砂嵐の剣』が、自らを振るうことを許した。
もう一つの秘宝、太陽の剣も代々の王に力を貸したり貸さなかったりと気まぐれなところがあるが、砂嵐の剣はもっと気まぐれ。滅多なことでは力を貸し与えない。
その昔、王を救う為に、力を貸して欲しいと願った宮女に力を貸したなんて記録が残されているが、その一度きりだけ。いつまでも力を貸しているのはカーマインが初。
その剣捌きに惚れ込んだのだろうと父は言っていた。
要するに化け物。国始まって以来の偉業を成し遂げた者を、そう呼ばずに何と呼ぶ。
「モンスターに勝てますか!」
「誰がモンスターか。お前は私には無い何かを持っている。私はそれを見たい」
カーマインの瞳は、クリムの黄色い瞳を見つめていた。兄妹の中でクリムだけが黄色い。父親譲りのその瞳は、一際美しく、まるで太陽のような眩しい輝きを奥に宿す。
「兄様にすら無い何かをですか? 兄様の瞳にはどのように映っておられるのです?」
カーマインはふっと笑い、こう言った。
「実のところ私もよく分かっていない。見抜いたのは先生だ」
唐突であった。「いいえ、君も気付いてはいたのでしょう」と、上から声が降ってくる。
窓の先の少し突き出たベランダの縁、日光浴を楽しむ黒猫がいて、ふぁ~と大きなあくびをしてから飛び降りてくる。
彼の名はハット。名前通りの黒いハットをいつも被った夜の国からきた大貴族。
王宮に赴いた際、カーマインの才を一目で見抜き、手合わせを願い出るや、じゃれ合うように剣の申し子を打ち負かしてしまった正真正銘の怪物である。
「私ともするかい? 君が汗を掻くのを嫌がるから、少し体が鈍っていてね」
「いえ、今はクリムとの稽古で忙しいので、雨が降り始めたらお願いします」
「いいのかい? それではいつまで経っても私を超えられないよ?」
ぐ、とカーマインが悔しそうに歯を噛んでいた。
カーマインにこんな顔をさせられるのは、世界広しといえど彼だけだろう。
打ち負かされた場で剣術を教えて欲しいとカーマインが頼み込み、剣術指南役として長い間逗留してくれているが、両者の腕の差が縮まるような気配はない。
恐らく、立っている場所が違う。次元が違う。天と地ほども開いている。
少なくとも、クリムの目にはそう映っていた。ハットの視線は、そんな弟の方に向いた。
「クリム王子も私と遣り合いたいだろう? 二匹いっぺんに掛かって来るといい」
その言葉に平静で居られなくなったのはカーマインだ。こめかみにビキリと青筋を浮かべ、わなわなと身体を震わせている。
「兄様! 一緒にやりましょう!」
「ああ、抜かるなよクリム。あのにこにこ笑ったふざけた面に、冷たい汗を掻かせてやらねば気が済まぬ」
あっはっはっはとハットは大笑いし、「できるものならね」とさらに煽る。
その瞬間、カーマインが飛び出した。
鉄の剣を横薙ぎに振るうや、カーンと甲高い音が響き渡る。
手に持っていた仕込み杖から刃を抜き放ったハットが受け止めており、そこからの両者の剣の応酬はまるで舞い、目の前で唐突に始まった剣の舞踏会を、クリムは目をぱちくりしながらただ呆然と眺めるほかなかった。
速すぎて目で追えないのだ。飛び掛かるタイミングも完全に見失ってしまった。
どうしよう、なんて彼が思ったその時だ。
「今日もぬるいね。あくびが出そうだ。ふぁ~あ」
気の抜けるような大あくびをハットがして、直後にブチっと何かが切れるような音がした。
次の瞬間カーマインが鉄の剣を放り捨て、脅威の抜刀速度で腰に携えた砂嵐の剣を抜き放つ。
そして、ヒュンという風切り音とともに風の刃が舞い踊った。
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