友 ③

 直後、クリムぅ~と甘ったるい声を掛けられて、クリムは口元を引きつらせた。スカイだ。


「来たのならまず、傭兵団を率いる私のところへ挨拶へ来るのが、筋なんじゃないのかぁ~い?」


 クリムは短い沈黙のあと、彼にこう返した。


「帰ってくれ」


 途端にスカイは、しゅんと顔を曇らせる。


「……つれないな。ああ! あんなにも愛し合った仲だというのに!」


 が、すぐに舞台演技のような大袈裟な身振りをして、そう言う。

 この感じが苦手なのだ。反吐が出そうな冗談もそうだが、何かと理由をつけてべたべたしようとしてくる。


 ゴホ、ゴホとベリーが大咽していた。彼女の頭の中には薔薇咲き誇る禁断の園が広がりつつあり、直後に響いた凛とした声が、その花を散らした。


「お前らそういう仲だったのか?」


 スカイの後ろから、直角に折れ曲がった尻尾が覗く。そして、めがみのように美しい白毛のメスが姿を現し、クリム達は息を呑む。ヴィージュにいたっては、目をハートマークにして拝んでいる始末だ。

 

「赤毛のクリム、歓迎しよう。私が誰であるかは必要か?」


 クリムは首を横に振って必要ないことを告げた。一目見れば十分だ。

 西の英傑ニャルキュリア、美しいとは聞いていたが、意識の全てを奪われそうになる程とは思っていなかった。


「君の前では、月どころか太陽すら恥ずかしがって姿を隠す。それも頷ける美貌だ」

「聞き飽きた。お前もその手のオスか?」


 その意味を理解するより先に、何かがすとんと腑に落ちるのをクリムは感じた。

 いったいなんだと回した頭に浮かんできたのは、兵の顔。


 ああ、そうだ、おかしい。と彼はそう思った。

 仲間を大勢失った状態で、敗色濃厚な戦を望んで続けさせることなど果たしてできようか。自分で言ったことではあるが、少なくとも、統率力なんて言葉で片付くような問題ではない。


 なら、兵は狂っているのだろう。美貌に目が狂い、思考まで狂い、死神の足音が聞こえてはいない。


「いや、僕はぎりぎりのところで正気を保てたよ。君の為なら死んでいい、とまでは思わなかった」

「……ならいい。ここにいるのは私の為に死のうとするバカばかりでな」


 そう言って横を向いたニャルキュリアが見せたのは、憂いの表情。それを見てクリムは首をかしげた。


「悪いことじゃないように思うけど……」

「戦を続けるという観点においてはな」

「狂戦士は多い方が良い。スカイも……ああ、やっぱりいい」

「僕を惑わせるのは、いつだって君だけさ」


 おぇー、と吐きそうな顔をするクリムを見て、ニャルキュリアが笑っていた。笑うと愛らしさが前にきて、戦のめがみという感じがしなくなる。

 クリスタ、確かそんな名だったか。

 領民達は彼女のこの顔を知っていたから、そう呼んでいたのだろう。そんな気がした。


「それはそうと、赤毛のクリム、お前には期待している。私が魂を売った下郎を相手している間、他の奴らを存分に刈り取ってくれ」

「あぁー、つまりそれはあれだ。やっこさんの首はくれてやらないと」

「いいや、取れるものなら取ってもらって構わない。だがな、奴は必ず私のもとを訪れる。理由は分かるか?」

「君に首ったけだからだろう? ああ、勿論、嫌いって意味でね」


 クリスタはすっと肩を竦めてから、正解だと告げる。疲れたような顔だ。

 

「私に槍を振るって欲しくないらしい」


 逆を言えば、とスカイが繋ぐ。

  

「こっちも超強力な武器を持つ相手を抑え込めてるってことなんだけど、個々の戦力差がねぇ……。向こうは一匹で五から十の兵を相手どれるってのに、その逆をできる者って少ないだろう? 両手で数えられてしまう」


 妙な話だとクリムは思った。どこぞの誰かさんの言と食い違う。なら、答えは簡単、話を盛った。


「僕が率いてきたあの側近連中は、全員が複数を相手どれるって話だったんだけど……」

「信じてたわけじゃないだろう?」

「まあね」


 スピアくらいのものだ、そう告げてくるクリスタに頷きを返していると、スカイがパンと両手を打って、嫌な笑みを向けてくる。


「そんなことよりだ。クリム、積もる話もあるだろう? 私のところへきたまえ」

「断る」

 

 間髪入れずに答えてやると、スカイはやれやれとばかりに肩を竦めて見せ、何故か傍に寄ってくる。嫌な予感がして、クリムは牙を覗かせ威嚇した。


「シャーッ!」


 しかし、それくらいで怯むような奴ではない。ネコパンチの連撃で追い払おうとしたのだが、お手玉でも受け止めるようにほいほい掴まれ、ぐいと引っ張られる。クリムは体勢を崩し、尻をこすらせ非難の声を上げた。


「待てスカイ! どうしていつもそうっ――――」

「はっはっはっは」


 スカイは聞く耳持たずといった感じで、そのままクリムは引きずられていく。そのさまは、猫でありながらまるで鎖を引っ張られるワンコのようであり、


「冗談だと思っていたのだが……、スカイめ、そっちの気があるようにしか思えんぞ」


 そんな二匹を見ながら、クリスタがそうこぼすと同時、朽ちたはずの禁断の園の薔薇が咲き誇る。

 いけないわ! そんなのはいけない恋よ!

 ダメ、なんてベリーが思っているとクリスタと目が合い、彼女は一気に現実に引き戻された。

 え、何と戸惑う彼女に掛けられたのは、こんな言葉だ。


「話は聞いている。ブラウンの姫は私のテントへ来るといい。ここよりは過ごしやすいはずだ」

「……はぁ」

「湯浴みとまではいかないが、水浴びくらいはできるようにはしてある。埃を落とし、旅の疲れを癒すといい」


 理解が追いついていないが、水浴びできるというのは魅力的に思えた。

 伸ばされた手を取り、立ち上がって一緒にテントを出ると、クリスタがこんなことを言ってくる。


「丁度、私も埃を落としたい気分でな。どうだ、一緒に入らぬか?」


 たまにはいいか。それくらいの軽い感覚で頷きを返すベリーの後ろでは、腕を組んだヴィージュが鋭い眼光を外へ向け、唸っていた。


 いやらしいことを考えているのだが、もし実行すれば、死は免れないだろう。

 だが、この機を逃して、果たして次があるか。天使と悪魔が囁き合う。


「――――はっ、ガキじゃねぇんだ。迷うなよ。俺がそんなことするかってんだ」


 天使に軍配が上がった。冷静になって考えてみると、随分幼稚な発想をしてしまったものだ。覗きなど、おこちゃまのすること。

 ふぁ~あと大あくびをして、ヴィージュはその場に寝転がる。


 しばらくすると、小さな呻き声が耳に届いた。


「んん~ぅ…………へ? くっさ! ええ! ああもう!」


 目を覚ますと同時、マロンは自らの惨状に気付いたようで、泣きそうな顔で涎まみれの全身を拭い始め、「水貰って流してこいよ」とヴィージュは口にする。


 その瞬間であった。頭に電流が走った。

 ヴィージュはガバっと体を起こし、「いや、待て!」と即座に制止をかけた。


「マロン、俺がもっと良い場所を知ってる」

「良い場所……? どこですか?」

「まあそう慌てんなって、たまにはたっぷり水浴びしてぇだろ? 俺が連れていってやるよ」

 

 めがみのいる楽園へな――――。

 そんなことを思いつつ、パっと浮かべた笑みにはひとかけらの清々しさが覗き、ふんだんに含まれた下心を見透かしたマロンがジト目を彼へ向けていた。

 しかし、その目はすぐに横へ泳ぐ。


 マロンが見ているのはテントの隙間だ。あれっと小首を傾げていた。


「ニャルキュリアさんだ。え、あんな所で何を……」


 ――――馬鹿なっ、公衆の面前でだとぉ!?

 ヴィージュは驚きつつもマロンが見ている場所に顔面を押し付け、目を血走らせる。

 だが目に映るのはむさいオスのみ。剣を手に取ったマロンが後ろからこそっと忍び寄っており、振り上げていた。

 ゴン、という鈍い音が響き、ヴィージュの意識は沈んでいく。


「くそ……こんなところで、死ねるか……」


 殺してない。そう思いながら、マロンは剣を元の場所に戻してテントを出て、水を貰いにいく。

 各々が別行動の状態となり、彼らが再集合したのは日が傾いた頃である。

 赤い夕陽が空を染め上げ、鋼鉄の軍靴が跳ねる土煙が舞う。

 クリム達の姿は、横に広がる横陣おうじんというオーソドックスな隊列の右奥、右翼にあった。

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