侯爵自慢の兵 ③
「ひげき……?」
クリムは眉根を寄せる。情報封鎖をしている理由、民をいたずらに怖がらせない為だとか、いくつか頭に思い浮かんでいたのだが、それはどれとも違う理由であった。
「私はただの剣ゆえ、勝手にそう思い込んでいるだけに過ぎませんが……」
「どの口がほざく。いいから言え」
「殿下は、何の理由もなく家を捨てられるとお思いか?」
「……それには、悲劇が必要となると? 民を見捨て、蹂躙させてっ――――」
自分の言った言葉にハッとして、クリムは思わず舌を打った。何故、侯爵が守りの要を渡してくる時にそこまで考えが及ばなかったのか。民を丸ごと連れていくなど普通に考えて、無理ではないか。
「まったく、嫌になるな……」
「殿下、勝てば良いだけの話です。それに、姫がそれをお許しになるとは思えない」
「姫……? ああ、ニャルキュリア。民に随分慕われているのだったな」
「殿下もおります」
確かに自分の手で道を切り開けばよいだけの話。しかし、侯爵の考えが読めない。敗北を望んでいるようで、そうではないようにも思える。というより立ち回り的にはどう考えても後者、だとしたらだ。
「負けても損しないようにしてるって感じかな……」
クリムが、誰にともなく言うようにそう口にすると、スピアが笑っていた。
「閣下はそういうお方です」
クリムはふむと一つ頷いて、腕を組むと渋面で言った。
「手のひらの上で踊るのは趣味じゃない。けど今は踊るしかない状況だ。精々気張らせてもらおうか」
「我々もこの命尽きるまでお供致します」
そこまでするな。そう言いたい気分であったが、気概を無下にする訳にもいかず、クリムは何も言わずに隊を進め、野営地へと入る。するとすぐに屯していた兵達がざわつき始め、キャットホールに着いた時と似たような反応を見せる。
皆の視線がこちらへと集中する中、奥のテントから見覚えのあるサバ黒のオスが顔を出して、クリムは大きく目を見開いた。
ブイジュニア・マカレル。愛称はヴィージュ。ケツに生えた灰毛が勝利のマークの軌跡を描く旧友だ。
軽く片手を上げ、声を掛けようとしたがそれは叶わなかった。
貴族然とした赤毛のオスが、鋭い眼光を向けながらこちらへ歩いてきていたから。立派な口ひげを蓄えており、顔はどことなくスピアに似ている。見た目の年齢からして、彼の父親か叔父、そんなところだろう。
「あの方の考えは読めんな。守りの要であるお前を、どこの馬の骨かもわからん輩に預けようとは」
眼前に来るや、そのオスは開口一番そう言い、スピアが絶句の表情をしていた。
「――ち、父上! こ、このお方はそのような……」
「今はお前の父ではない。マスターシュ家の当主であると心得よ」
スピアはぐっと歯を噛み、二の句が継げない様子であった。どうやら役者が違うようだ。側近中の側近を一声で黙らせるとは恐れ入る。しかしだ。
「公的な場といえば公的な場だけど、厳しい親だねぇ」
クリムは思ったことをそのまま口に出す。礼節を説くにしたって度が過ぎているように思ったから。戦場にまでそんなものを持ちこむ奴は初めて見た。
「貴様が口を挟むことではない」
すると案の定そう言われ、見かねたように側近の一匹がネコグリフから降り、スピアの父にこう告げた。
「マスターシュ卿、クリムゾン・ペルシャ殿下は閣下が客猫として招いたお方。起原の血を引く尊きお方です。無礼な振る舞いは閣下に弓引くも同じ、これ以上なされるというのなら――――」
「この首刎ねるか?」
低い声で強烈な威圧をもらったそいつは、相手を見続けることすらできずに視線を下げ、唇を小刻みに震わせていた。
その時クリムが思ったのは、こいつら本当に役に立つのかだ。
如何に相手が上だろうと、情けないにもほどがある。思わず溜息をこぼしてしまいそうになるほどのガッツのなさだが、上の機嫌を損ねてはまずいと刷り込まれている貴族連中ゆえ致し方ないところもある。だが、一度死を身近に感じれば、その考えも変わることだろう。少なくとも、誰に対しても物怖じしない胆力は身につく。
「おいおい、せっかく援軍に来てやったんだ。歓待とまでは言わないけど、歓迎くらいはして貰いたいものだね。マスターシュ卿?」
クリムがそう言うと、マスターシュはふんと鼻をうった。
「傭兵を拒む理由はない。礼儀はなっておらんがな」
「ああ、高いところから何度もすまないね。でもふんぞり返るよう言われてるんだ、こわーい侯爵様からねっ」
無論大嘘だが、それを聞いたマスターシュはさっと身を翻し、こう告げた。
「スピア。お前は皆を引き連れ私と共に来い。もっとも、追い返されるやもしれんがな」
スピアは目を落とす。その顔にはやるせなさが滲んでいた。
「殿下、父のあのような振る舞い、気分を害されたことでしょう。何とお詫びすればよいのやら……」
クリムは励ますように、スピアの背をバシンと叩いた。
「いいって、それより行ってくるといい。また怒られる前にさ」
「では、殿下もご一緒に」
「おいおい、まだ僕の気分を害すつもりかい?」
「いえっ――――、決してそのような…………」
スピアは再度俯く。しかし、すぐに諦めたような笑みを浮かべて、クリムにこう言った。
「お心遣い、痛み入ります」
「気にするなって。それに変に持ち上げられるより、あの手の対応をしてくれた方が気が楽ってなもんさ。僕は僕で所用ができたことだしね」
クリムは眼前の友、ヴィージュの方に目を向ける。
「……それは?」
「馴染みの友を見つけたんだ。挨拶してくる」
「そうでしたか。では殿下、これにて。戦が始まる前には必ず戻って参りますので」
「ああ、ゆっくりしてくるといい」
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