侯爵自慢の兵 ②

「でもお前は駄目だからな」

「はあ! なんでおいらは駄目なんだよ! そもそもおいらだけ置いていきやがって……」


 その後も何やら言っていたが、「ぶつくさ言うな」と彼の背をバシンと叩いたクリムの目は、スピアに移る。 


「ああ、スピア。この子は小間使いという訳ではなく、預かってるただの子供でね。だから多少の無礼な振る舞いは目を瞑ってくれると嬉しい。頼むよ」

「ハッ、ではそのように。他の者にも言い聞かせておきましょう。街の子のように接するようにと」


 意外な言であった。貴族というのは元来横柄な生き物で、子供相手だろうと容赦のない者も多い。だというのに、まるで彼の口振りからは自分達はそのような手合いではないというのが窺えた。


「君らは普段からお優しかったりするのかな?」


 そう問いかけるクリムにスピアは挑戦的とも思える蠱惑的な目を向け返し、こう言った。


「横柄な振る舞いをする者は、粛清対象とされますので」


 ヒューと思わず、クリムは口笛を吹きならす。

 キャットホール侯爵。あの一見好々爺なような彼の面の皮を一枚剥ぎ取れば、いったい中から何が飛び出てくるのやら。頭に浮かんだのは、蛇。大穴に蜷局を巻く大きな蛇であった。


「ほんと恐ろしい御仁だね。貴族すら易々処すか」

「あの方はお優しい方ですよ。無論、有益な者に対してだけではありますが」

「だろうね。だから僕にも随分優しかったよ。危うく腹を壊してのた打ち回るところだった」


 それはそれはと、スピアは苦笑を返してくる。


「ですが決して悪い話はされなかったはず。殿下は断られたのですね」

「まぁね」


 一言そう答えると、クリムは先を見つめ、出発の合図を告げた。

 結局ベリーとプチィを連れていくことになってしまったが、こればかりはどうしようもない。恐らく、置いていこうにも両方嫌がって、詰む。


 で、もしベリーが侯爵に泣きつこうものなら目も当てられない。間違いなく御仁は彼女に手を貸すことだろう。しめしめとほくそ笑みながらだ。借りを作っておいて損のない相手だ。

 

 するとどうなる。まぁプチィは勝手に来るだろう。ストッパーがいなくなるのだから。ベリーも侯爵の味方をするようになり、その先はあまり考えたくはない。今後のことでも考えていた方が精神衛生上好ましい。


 クリムの晴れない心とは裏腹に、天候には恵まれ、長旅を想定していた彼の心に衝撃が走ったのは、出発してから七日目の正午前であった。


 慣れ親しんだ血と汗と硝煙の混ざったにおい。戦場のかおりが鼻をつく中、白いテントが沢山張られた野営地がお目見えし、彼は己が目を疑った。


「おいおい、冗談だろう……? 目と鼻の先じゃないか!」


 こんなに近くに戦場があるだなんてのは想定外。身一つで走っても、三、四日もあれば着く距離だ。正直そのことに戦慄を覚えずには居られない。


「まさか……、情報封鎖してるのかい?」


 スピアにそう問い掛けても彼は答えようとはしない。だが、答えているようなものだ。間違いなくしている。でなければ、民があのような安穏とした顔をしている訳がなかった。


「何故だ! 何故侯爵はそのような真似をする! 答えよスピア!」


クリムが声を荒げると、スピアはひどく冷淡な顔で告げてくる。


「悲劇」と。

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