第五章 やり手の侯爵
キャットホール ①
しだいに蒸すような暑さを感じてくるのは、都の至る所から上がる蒸気のせいか。
白く濁っていく空気には微かに粉塵が混ざり、カン、カンと採掘する音が底の方から響いてくる。
階段を降りきると活気が目に付いた。
都は猫でごった返し、前の町よりずっと前線に近付いたというのに、何がそうさせるのか。ここに住む者達の顔は皆、明るい。
「トップノーズはあんなに寂れてたのに……」
思わぬ喧騒にベリーが目を丸くしていた。
ああ、びっくりだねと彼女に返しながら、クリムも思った。
これも
猫となりは知らないが、やり手なのは間違いないだろう。
でなければ、トップノーズと同じ風景がここにも広がっていたはずだ。
「それにしたって蒸しあちぃなぁ……空気もわりぃしよぉ……」
プチィはしかめっ面だ。同じ顔したナッツにもつっつかれたが、我慢しろと一言いって、クリムは宿を探し始める。
といっても高い宿ではない。戦が長引けば物凄い額になる。金に困ってはいないとはいえ、流石にそこまでの余裕はなかった。
少し周囲がざわつき始め、「あれ、赤毛のクリムじゃないか」とそんな言葉が耳に入る。
直後、若いオスが駆けてきて、捲し立てるようにこう言った。
「あ、赤毛のクリムさんですよねっ! クリスタ様の窮地を聞きつけて、駆けつけてくださったのですね!」
突然のことに驚いて、クリムは軽く思考を止めた。
「……クリスタ?」
聞き覚えのない名で聞き返すと、若いオスはあぁ~と苦笑いをした。
「侯爵様のご息女の、クリスタルシャイン・キーテイル様のことです。ニャルキュリアと言った方が分かりやすいでしょうか」
「あー、ニャルキュリア」
そんな本名だったとは。と、思うと同時に、ニャルキュリアはよほど慕われているのだなとクリムはそう思った。そうでなければ領民に愛称でなど呼ばれない。
「確かにそうだけど、僕は今宿を探していてね」
若いオスは少し驚いたような顔をしたが、すぐにパっと笑みを浮かべてこう言った。
「だったらうちに泊まっていってください。良い宿ですよ。ちょっと部屋は狭いですけどねっ」
若いオスは茶目っ気があり、愛想の良さが窺える。
身を翻して案内され、クリム達は彼についていくが、ベリーがすぐさま、クリムにこんな耳打ちをしていた。
「ねぇ、安宿っぽくない? 私は嫌よ」
「悪いけど、今回は安いとこに泊まって貰う。勿論、自分で払うのなら好きにして貰って構わないけど」
「なっ――――なによそれぇ! 私がお金持ってないの知ってるでしょ! どうしてそんな意地悪言うの!」
ベリーは声こそ抑えているが、凄い剣幕だ。
ただ、クリムも引くつもりはなく、飄々と肩を竦めて見せ、冷たい言葉を放った。
「だったら実家に帰るんだね」
するとベリーは放心するような顔でビタと足をとめ、顔を歪めたと思ったら目に涙を浮かべて泣き始めて、クリムはぎょっとした。
困惑しながら彷徨わせた視線に映るのは、周囲の責めるような眼差し。
違うんだと思って、胸の前で両手を振って否定するが、あまり意味はなさそうである。
しかし何故だ、何故泣いたのだろうか。その時、
待て、これは罠ではないかと。
メスの涙は九割が嘘。それは友の言だ。そうやってオスの同情心を引き、手玉に取るのだとか。メス遊びが大好きな奴で、信憑性は高い。
ただ、ベリーはそんな子だろうかという思いもある。
計算高い子のイメージはない。むしろ、我が儘で自分の気持ちに素直なタイプとそんな印象の方が強く、分からなくなる。
疑うよりも、今自分にできることは何かないだろうか。
考えていると、ハっとし、そうだ、これしかないと思ってクリムは横の建物に走っていく。
そして、下から飛びついて垂直の壁を駆け上がり、屋根に掴まってよじ登り始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます