第二章 地中海を望む町

お風呂嫌いと交易商 ①

 大通りを歩きながら、クリムはプチィに釘を刺す。


「これ以上ついてきたら、戻れなくなるよ」

「へん! 戻りたくても戻れねぇんだよぉ!」


 その言葉は、まるで魂の叫びのようだった。彼は家出してきたらしい。今度は書置きを残しているので、心配ないとのことだが、勝手に家を飛び出した孫に怒り狂うマッシュの姿は想像に難くない。


「どうなっても知らないからね……。それにしても暑いね、ここ。故郷を思い出すよ」


 見上げた空には灼熱の紫外線を降り注がせる太陽。照りつける日差しと下の石畳から上がってくる熱気に蒸され、体中から汗がふき出す。

 この町に着いたのは朝方だが、今は正午過ぎ。クリム達は街を練り歩いて妹の聞き込みを終えたばかり。真っ白な毛を持つ猫を見たという目撃証言は沢山あったが、年齢が違ったり、家族連れであったりと、成果はかんばしくなかった。


「ひからびそう……」


 ベリーの口からはそんな力ない声がもれる。

 

「どこかで一休みしようか、旅の疲れも癒したいし」

「安いとこはいやよ……」

「わかってるって。幸いこのアンダーノーズはリゾート地みたいだし」


 今は戦時下。観光客の数は少ないが、アンダーノーズの大通りはここに住む猫達がひっきりなしに行き交い、少なからずの賑わいを見せている。

 しかし、クリム達のように直射日光に身を晒している者は誰もおらず、たまらず日除けグッズの置かれた店に駆け込んだベリーに、二匹はついていく。

 

「おばあちゃん、これちょうだい……」

「まいど」

 

 ベリーが手に取ったのは白いつば広の帽子。会計を済ませて頭に被ると、「どう、似合う?」と彼女はクリムに尋ねていた。


「ああ、素敵だよ」


 クリムはそう答えると小さな麦わら帽子を買い、プチィの頭に被せて店を出る。そして、のんびりと海岸の方を目指し始めた。

 少し傾斜のある直線道は、海の傍まで来るとT字路となり、右に曲がると横には真珠のようにきらきらと輝く白い砂浜と紺碧の海が広がる。反対側には堂々たる門構えの高級宿が軒を連ねていた。


「さて、どれにする?」


 遊歩道を歩きながら、クリムは二匹に問いかける。

 

「涼めるとこならどこでも……。もう、歩くの辛い……」

「おいらもわっかんね。クリムの兄貴が決めてくれよ」


 ふむと一つ頷き、なら適当に入るか。クリムはそう思って一番近い処に向かった。しかし、中に入るとすぐに屈強なガードマンに前を塞がれてしまう。


「お客様。当ホテルは武器の持ち込みを禁じております。預からせて頂けますか」


 クリムは頭を掻くと、すぐにガードマンに告げた。

 

「参ったね。なら帰るよ」


 すると、フロントの所にいた初老のオスネコに呼び止められた。


「お待ちください。赤毛のクリム様でいらっしゃいますね?」

「そうだけど、何か良い物でも貰えるのかな?」

「当ホテルの支配猫しはいにゃんをしております、スパイスと申します。古代の遺物アーティファクトの持ち込みは禁じてはおりませんので、無論、確認させて頂けましたらでございますが」


 クリムが腰の剣を僅かに引き抜くと、淡い光がそこから漏れ出し、スパイスがすっと頭を下げた。

 

「お手数をお掛けしまして申し訳ございません。確かに」

「わっ――私もいやよ。この杖は相棒なんだから」

 

 急にそんなことを言ったベリーに、スパイスは大きな声を上げて笑った。


「重々承知しておりますとも。それに、その杖を下手な所で振るえば、魔法学院に傷がつくばかりか大きな国際問題に発展しかねない。ですがそちらの短剣は……」


 目を向けられたプチィは、きょとんとした顔をする。

 彼は腰に狩猟採取用の短剣を携えており、それを武器として認識していなかったため、その言葉でハっとしたように声を上げていた。


「お、おいらも絶対イヤだぜ! この短剣は爺ちゃんから貰った宝物なんだ!」

「僕のは渡すからさ。何とかならないかい?」


 そう言ってクリムが腰のナイフを投げ渡すと、受け取ったスパイスは唇を結んで迷っているような風だった。


「規則は規則、と言いたいところではありますが、子供から宝物を取り上げるような真似は我々もしたくはありません。良いでしょう、ただし――――」

 

 ココナツ、と名を呼ばれた従業員が現れると、スパイスはその彼に言った。


「硬いひもを。それが終わったら最上階のスイートルームへご案内するように」

「かしこまりました」


 ココナツはフロントの奥へ駆けていき、短い縄ひもを持って戻ってくる。そして、失礼しますとプチィの腰元に手を伸ばし、手際よく短剣が抜けないようにぐるぐる巻きにした。


「当ホテルにいる間は、この固く結んだひもを決して解かれませんよう、よろしいですね?」


 問い掛けられたプチィは、気圧されでもしたようにこくこく首を縦に振った。ココナツの目は保護者二名にも向き、頷きが返ってくると彼は前足をクリムに差し出す。


「それでは、荷物をお持ち致します」

「いや、持って貰うほどじゃないよ。それよりスイートって、路銀が乏しい訳じゃないけど、少しグレードを下げてくれないかい」

「料金は他の部屋と同じで構いません。赤毛のクリム様のご活躍は耳にしております。これはその感謝の気持ちを込めた、当ホテルからの心ばかりのサービスでございます」

「……そう、なら素直に受け取っておくよ。ありがとう」


 おぉ、と驚くような顔をしたプチィに、さっすがクリムの兄貴と言わんばかりの顔で小突かれたが、クリムはニヤけ顔の彼をスルーし、ココナツにスイートまで案内して貰った。

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