旅立ち ②

「そんな訳あるか! そうだろクリムの兄貴」

「はっきり言ってやったら?」


 クリムは口を開く前に鼻から息を吐いて、一拍置いた。やんわりと、どうにかあまり傷付けないような断り方を頭の中で模索していたが、待ってはくれないようである。

   

「プチィ、君がもう少し大きくなったら迎えに来よう」

 

 壁から背を離し、クリムが重たい口を開くと、プチィは絶句するような顔で声を震わした。


「――――いつだよ、いつだよそれ」


 悪いな、プチィ。一瞬目を瞼で覆い隠し、心の中でクリムが謝罪すると同時、マッシュが奥から戻ってくる。


「プチィ」

 

 マッシュは脇に抱えるように綺麗な赤い布を握っており、こちらへ来るとプチィの頭の上に空いた手をそっと置く。そして、頭を優しく撫でるようにその手を軽く、ぽん、ぽんと弾ませるとクリムに布を差し出し、「こいつは詫びだ」と彼に言う。


 クリムは抱えた胸鎧をいったん下に置くと、受け取って広げて見せた。するとマントで、軽く撫でると肌触りも良く、どう見ても高そうな逸品に見えて思わず眉間に皺が寄った。

 

「お詫びにしては随分な代物に見えるけど? これは流石に受け取れないな」

「いや、受け取ってくれねぇと困る。お前さんのために拵えたもんだからな」

「僕のために? 急ごしらえで出来るような物には見えないけど」

「詫びってのは半分建前だからな」


 その、とマッシュは言葉を続けながら、照れ隠しするように頬を掻く。

 

「応援してやりたくなったのさ。妹を探してるあんたの話を聞いてよ」


 クリムはふっと笑うと、「なるほど」と口にしながら胸鎧をすくい上げ、窓の方に向かった。そして鎧を着込むと、すぐさまマントを首に巻く。

 大きくなるに連れ、似てくるようには思っていたが、上等なマントを棚引かせているとより似ているように思う。あの時逃がしてくれた兄に。隣でベリーがはしゃいでいた。


「すっごい似合ってる~。急に王族っぽくなったというか、一気に王子様らしくなったわねっ!」

「ありがとう」


 一言返し、窓を見ながら懐かしげに目を細くするクリムに、マッシュがこんなことを言った。


「まさか本当に王家の血筋だったのか? 記事には確かにそう書いてあったが」

「あまり信じては貰えないけどね」


 クリムのような真っ赤な毛を持つ猫は、王侯貴族の血を引くオスにしかいなかったが、彼が王族であるという証拠にはならない。しかし、マッシュは彼の美しい毛並みに一瞬目をおとし、こう言った。


「俺は信じるさ。妹も真っ白な毛を持ってるんだろう?」

「ほとんどの貴族がそうじゃないか。だからみんな、僕のことを貴族の隠し子なんかだと思ってて。別に良いけどね」


 クリムはすっと肩を竦めると、マッシュに歩み寄り、片手を差し出す。


「ありがとう。気に入ったよ。でもこれ以上は受け取れない」


 マッシュは一瞬、巾着袋が顔を覗かせるズボンのポケットに目を落としたが、黙って彼の手を取った。


「わかった。長い間足止めして悪かったな」


 固い握手を終えたあと、マッシュの目は孫に向く。


「プチィ、言うんなら今のうちだぞ」

「――っ、このっ、大ウソつきやろうっ!」


 プチィはそう叫ぶと、家の奥へと駆けていった。仕方のないことではあるが、彼の純真な気持ちを踏みにじってしまったのは堪え、クリムはゆるゆると頭を振る。

 

「はぁ、自分ことを棚に上げやがって」


 小さく溜息をついたマッシュが後ろを振り返ってそう言い、視線を戻すとクリムに言った。


「気にしないでくれ。プチィには俺からあとで言っておく」

「悪いね。そうさせて貰うよ。それじゃ」

「ああ」

 

 クリムが外に出ると、ベリーも軽く会釈をして続き、二匹は太陽の位置を見ながら、北の方角に街を歩き始める。

 すると、あちらこちらの窓の隙間から、朝食の匂いが漂ってきて、ろくに朝ごはんを収められなかった二匹のお腹から、くぅと不満の声が上がった。


「はぁ、次の町ってどれくらい掛かりそう?」

「地図が取り出せたらね」

 

 クリムの目が、一瞬ベリーの抱え持つ紐袋に向き、ベリーはムっとした顔をしながら重たい紐袋を彼に押し付けた。


「手が空いたのなら持ってよ」

「ごめんごめん」


 二匹がそんなやり取りをしていると、見覚えのあるオスネコが向こうから駆けてくる。頭にキャスケット帽をかぶり、目には丸眼鏡。両手を塞いでいるのは手帳とペンである。

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