嘘 ②

 続けて背中に強い衝撃を受け、プチィはカハッと呼気が詰まったような咳を吐く。

 そして床に倒れ込み、何が起きたのかも分からぬまま、顔を持ち上げると鼻と口からぼたぼたと血が滴り落ち、己が目を疑う。

 

 ここまでされるとは流石に思ってはいなかった。不思議と頬に熱を感じるだけで痛みはこないが、顔は原型を留めているだろうか。

 口は動く。しかし一言も言葉は発せそうにない。体を起こそうとするが身に力が入らず、プチィは中途半端な体勢でからだをがくがくと震わせ、もう一度床に倒れ込んだ。

 

「立てもしないのなら諦めろ」


 何の話をしているのか、プチィにはよく分からなかったが、家を出て行こうとするマッシュを行かせてはならないように思い、咄嗟に彼の足を掴む。


「プチィ、今はお前に構ってる暇はない」


 何と言われようと放す気が起きず、プチィは腕に力を込め、マッシュの脚に爪を立てながら、這いずるように体を起こしていく。が、顔をしかめたマッシュに首根っこを掴まれ、ひょいと後ろへ放り投げられて床の上を転がった。


「おまえはそこで待ってろ。俺が詫びを入れてくる」

  

 それだけは駄目だ。不思議とそう思い、プチィは体に鞭打って身を叩き起こし、マッシュへと飛び掛かる。すると太い腕が伸びてきて、こちらの前足が届く前に喉元を掴み上げられてしまった。

 そして、ぶんと振り回されて部屋の外にまで投げ飛ばされてしまう。

 しかし、プチィは宙で姿勢を制御し、身を捻って廊下に足から着地すると、すぐさま床を蹴って再度マッシュへと飛び掛かっていく。


 だが今度は鉄拳が飛んでくる。業を煮やしたマッシュの一撃はプチィの意識を刈り取り、彼は見たこともない花園で、神の御許へ旅立ったはずの両親と再会を果たした。

 プチィの両親は、彼が今よりもずっと小さかった頃に、流行り病で亡くなっていた。

 

「プチィ、お義父さんを怒らせてまで冒険に出たいのかい?」

  

 父の問いかけに、プチィはこくりと頷く。


「なら、根性見せなさい。そうしたらきっとお爺ちゃんも分かってくれるわ」

 

 次は母に励まされ、力が湧き上がってくるのをプチィは感じた。

 ぐっと拳を握ると穏やかな笑みを浮かべた両親にそっと押され、するとすぅーっと自分の体が後ろへ滑っていくのを感じ、直後、景色が移り変わって視界を石壁が覆い尽くした。

 

 プチィは咄嗟に後ろ足を突き出して蹴りを入れ、三角跳びするように床に着地。それと同時に胸に詰まった想いを言葉に乗せ、口から解き放った。


「おいら、おいら冒険に出たいんだよ! 爺ちゃん!」

「……あとで聞いてやる」

「それじゃダメなんだよ! わかるだろう!」

「あとにしろ」

「この分からず屋!」


 プチィは息巻くと、両の前足を床に下ろして爪を立て、身を屈めて低い臨戦態勢を取った。

 シャーッと口から威嚇の声を発し、敵意剥き出しの眼でにじり寄ってくる孫を見つめながら、獅子のように蓄えた白鬚をひと撫でしたマッシュが、前足を下ろして同じ構えを取る。

 

 直後、ぐぅう、ガァ、と猫とは思えぬ猛獣の咆哮が上がり、プチィは思わず息を呑む。

 次の瞬間、マッシュが飛び掛かってきて、豪腕が唸りを上げた。プチィは咄嗟に横に飛び退き、何とか難を逃れたが、直撃を受けた石壁が無残に砕け散り、家まで揺れ動いて彼は背中に冷たいものが走るのを感じる。


 やばいと思った。死ぬとも思った。

 

 間髪入れずにマッシュが強烈な振り下ろしを放ち、今度は床に大穴が空く。母に根性見せろと言われたが、身が竦んで根性あるところなど目の前のモンスター相手には見せられそうにない。プチィはただひたすら逃げ回り、やがて、すっと視線を窓の方に向けたマッシュが前足を上げ、腕を組んで彼にこう言った。


「プチィ、いい加減にしろ。何の真似だ」


 プチィも臨戦態勢を解き、立ち上がって祖父にこう返す。


「母ちゃんにさ、冒険に出たいのなら根性見せろって言われたんだ」

「スフレに? 夢の中に降りてきてくれたのか?」

「さっきだよ! ついさっき! なんか見たこともない花畑においらいて、父ちゃんもいた」


 一瞬ぐっと唇を引き結んだマッシュが、何とも言えない表情でプチィに問いかける。


「ベーグルもか。で、何て言ってた」

「えぇと、確か、お義父さんを怒らせてまで冒険に出たいのかって。それでおいらが頷いたら、母ちゃんが爺ちゃんに根性見せろって。そうしたらきっとわかってくれるって」

「……そうか。そんなことを。嘘じゃねぇな?」

「嘘じゃねぇよ! そりゃおいらは爺ちゃんに沢山嘘ついてたけどさ……」

「プチィ、俺の目をよく見ろ」

  

 プチィは真っすぐな瞳をマッシュに返す。しばらくの間見つめていると、マッシュはふっと笑って穏やかな笑みを浮かべ、頭をわしわしと掻きながら彼に言った。

  

「あいつらがいいって言ってんなら、俺の出る幕はねぇな。好きにしろ」


 プチィは口を半開きにし、呆けたような表情かおをする。冒険に出て良いという許可が下りた。だというのに気持ちが追いつかず、喜びなんて込み上げてはこない。それどころか聞き間違いや思い違いのように思い、爺ちゃん、それってと思わず確認を取りそうになり、慌てて口を噤んだ。もし違っていたらと思うと、それ以上は怖くて今は口にできそうにない。


「赤毛のクリムが許してくれたらだけどな」

  

 マッシュはそう言うと玄関の扉に向かい、ドアノブを下ろしてドアを開ける。そして、外に出て行くとこう言った。


「すまねぇな。その、遅れた」

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