嘘 ①
時を少し遡る。一足先に家に戻ってきたプチィは、中にも入らず玄関の前をうろうろしていた。腹痛というのは仮病である。彼はうんうん唸り、大いに頭を悩ませていた。が、あまり悠長にはしていられない。もうすぐクリム達が来てしまう。そうなったら終わりだ。嘘をついていたことがバレてしまう。
「はぁ……」
思わず深い溜息が出た。誤魔化す方法がない訳ではない。しかし、それが上手くいったとしても、クリム達はこの町から去ってしまうことだろう。
ふと、森の方を見るとクリム達が出てくるのが見え、まずいと思った。慌てて物陰に隠れ、様子を窺っていると、近所の老猫達と話し込んでいるのが見え、プチィはすかさず顔を出すと窓から中を覗き込む。
先程までいたマッシュがいなくなっていた。やるなら今しかない。プチィはそう思って玄関の扉を静かに開け、滑り込むように中に入ると目当ての物にささっと忍び寄る。
クリムの真っ赤な胸鎧は、奥の棚の高い所に置かれてあり、背伸びをしながら前足を伸ばすと、そっと掴み取る。
そして、慎重におろすと胸に抱え込み、すると途端に唇がふるえてきた。
祖父は、自らが手がけたものや修理したものに勝手にさわると怒る。
もし見つかってしまったら、そう思うと恐怖を感じずには居られなかったが、あまり嫌な感じはせず、むしろそのスリルを楽しみながら、焦るな、落ち着けと何度も心の中で念じながら、そろりそろりと足を運び、外に出ようとした。その時、
「プチィ、今日は来られそうだったか」
背後から声を掛けられ、プチィは思わず飛び上がりそうになり、頭の中が真っ白になるのを感じた。
不自然なほどに反り返り、尻尾を立てて硬直する彼に、マッシュは眉を顰め、更に言葉を続ける。
「なにしてやがる」
へ、へへと、プチィの口から干上がったような笑いがもれた。こうなれば自棄、ええい、ままよと彼は思い、後ろを振り返ると咄嗟に思い付いた嘘を捲し立てた。
「いやその、クリムの兄貴に鎧を持ってきてくれって頼まれてさぁ。おいら爺ちゃんが怒るから駄目だって言ったんだけど」
マッシュは腕を組み、何も言わずに間を空ける。その間が、プチィにはとてつもなく恐ろしく感じた。駄目だったか、そう思っていたら、
「わかってるなら来てもらえ」
どうにか誤魔化せプチィは安堵を浮かべる。しかし、こんなものは一時しのぎにしかならない。ここは一息に攻めて、進退窮まったこの状況を打破しなければ。
「でもよ、鼠の生焼けであたった腹は中々もとには戻らねぇぜ? 当分歩けねぇみたいだし、ちょっとはこっちが気を利かせてやらねぇと。多めに貰ったんだろう?」
しかし、マッシュからの返答はかんばしいものではなかった。
「その分の仕事はしてある。くだらねぇこと言ってないで、医者の所に行って薬を貰ってこい」
「だーかーらー、クリムの兄貴は薬が嫌いなんだって! 前にそう言ったじゃあねぇかぁ」
「プチィ、違う病気にかかってるかもしれん。無理矢理にでも飲ませてこい」
あらぬ方向に飛び火し、プチィは少し困惑する。腹痛くらいで三、四日も動けなくなるというのは流石に無理があったか。今更考えても仕方のないことである。
今は少しでも早く、クリム達がここに来る前に、祖父を説得してこの鎧を外に持ち出してしまわなければ。
そんな気持ちだけが逸り、思考が上手く纏まらなかった。僅かな間にどんどん募っていく焦燥感とともに苛立ちまで募り、彼が心の中で叫び声を上げそうになった、直後のこと。
こちらに歩み寄ってきたマッシュに胸鎧を取り上げられてしまう。
あ、と心の中で声がもれると同時、終わった感じがした。すぐに絶望感が押し寄せてきて、胸鎧を棚に戻しにいくマッシュの背を見つめながら思う。どうして嘘なんかついてしまったのだろうと。悪気はなかった。ただ、クリムと一緒に冒険に出たかっただけで、理由はそれだけで――――。
「…………その、そのさ」
聞き取れないほど小さく呟かれた言葉には、後悔に苛まれる今の彼の気持ちが詰まっていた。
「おいら!」
しっかり謝ろうと、大きな声を出したことでマッシュがこちらを振り返り、プチィは顔を俯かせながら、ぽつりぽつりと白状し始める。
「爺ちゃんに、嘘ついてたんだ……。いっしょに……クリムの兄貴といっしょに旅に出たくて、それで腹痛なんて、嘘ついて……」
一言一言、言葉にするたびに罪悪感が増していくのを感じる。そこからは堰を切ったようにマッシュのみならず赤毛のクリムにまで嘘をつき、足止めしていたことを話し終え、プチィは許しを乞うような瞳をマッシュへと向けた。
マッシュは話を聴く間、表情一つ変えずに黙りこくり、プチィが口を閉じてからしばらくして、ようやく口を開いた。
「プチィ」
物憂げにも見える悲しげな瞳がプチィへと向けられ、プチィは思う。マッシュがこんな顔をするのを初めて見たと。いつもなら無言の拳骨が落ちる。予想外の反応に多少狼狽しつつもまだ口にしていなかった謝罪の言葉を口にしようとした、その時だった。
「ばっかやろう!」
怒鳴り声とともに大木のように太い腕が唸り声を上げ、視界が回った。
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