曇天に散る桜はトレントの周りを舞う(2)

 黒の森へ踏み入れると、足元のぬかるみは無くなっており、滑る心配はなさそうだ。心なしか空気がいつもより澄んでいる。


 銀級の魔物が出るようになる森の中域に差し掛かったところで、『レーダー』を使った。魔力を持たない普通の木であればレーダーに反応しないが、トレントであれば反応を示すはずだ。


 半径一キロス以内に、四足歩行の魔物がいくつかいることがわかったが、このあたりにトレントはいないようだった。


 その後、検知した魔物を回避しながら森の奥へ進み探索をくりかえす。

 どれくらい歩いただろうか、一時間後にようやくトレントを発見することができた。

 全長十メートルスくらいだろうか。これが動くとなると……すごい迫力だろう。身長二メートルスのオーガとは比べ物にならない。


 彼我の距離が五十メートルスになるまで近づき目視してみても、一見他の木と区別がつかないように見えた。レーダーが使えない場合は、知らずに近づいてしまい不意打ちをくらうことになるだろう。


「トレントは攻撃範囲も広そうだし、シックルは離れててね」

「うむ。いつも通り手は貸さないが、もしもの時は助けくらい呼びにいってやる」


 そう言って、空高くへと飛び去っていく。

 シックルと僕の関係は、はっきり言ってよくわからない。

 友達のように、あるいは家族のようにいつも一緒にいるが、彼女は死神だ。人間の理の外側にいる。基本的に、僕の人生を観察しているだけであって、手を貸したりはしないというスタンスらしい。僕が今からトレントに殺されたところで、一つの仕事に区切りがついたという程度なのかもしれない。


 改めて、トレントを見つめ、どうするか考える。まず遠距離から銃撃してみるか? 仮にトレントがその場から動かず、枝の攻撃もここまで届かないのなら、一方的に攻撃し続けられるのでは?


「『夜烏よがらす』」


 詠唱し、左足に着けていた脛当をウィンチェスターライフルの形へと変化させる。

 手に取り、構える。レーダーで探索したときに判明したのだが、トレントの体の中でも、地面から八メートルスあたりに一段と濃い魔力の反応がある。おそらくそこに魔石がある。その一点を狙い、無造作に、


「『』」


 と詠唱、射出。戦いの火ぶたは切られた。


 ほぼタイムラグなしに、トレントに着弾。ガスッという音を立て間違いなく当たりはしたのだが、さすがにこの距離で有効なダメージとはならず、表面がほんの少し削れただけであった。


「イイイィィィィィッ!!」


 女性のような、獣のような金切り声が森を揺らす。周りにいた鳥たちが一斉に飛び立っていった。トレントの鳴き声だ。

 顔も無いのにどこから声を出しているのだろう? と悠長に考えている間に、トレントから生えていた枝が凄まじい音を立てながらねじれ、二束に引き絞られていく。まるで人間の腕のような形を織りなす。


 次に、その腕の間あたりがボコボコと膨らみ始め、人間の顔のような何かが形作られていく。目や鼻や耳は無く、のっぺらぼうのような不気味な造形が出来上がった。最後に口らしき穴がぼこりと空いたと思えば、そこから先程と同じように、いや、先程よりさらなる大音量で叫び声をあげる。


「イイイィィィィィッ!!」


 いつの間にか、僕の頬辺りには、ぞわぞわと鳥肌が立っていた。


「トレント怖いんだけど。帰りたくなってきた……」


 思わずぼやいてしまう。

 さて、遠距離では有効打を与えられないとわかったので、近接戦に切り替えていこう。とりあえず夜烏を脛当状態に戻す。いよいよ、新しい相棒『夜半之嵐よはのあらし』の出番だ。

 刀身に巻いていた布を剥ぎ取り、距離を詰めるべく走り出す。


 五十メートルスあった距離の半ばほどまでたどり着いた時点で、ふいに、トレントがその両腕を地面に着き、上体をかがめる。そのまま、地中から〝足〟を引っこ抜いた。「よっこらしょ」と、風呂からあがる人間のような自然な仕草に、僕も思わず見とれてしまったのだが、我に返った瞬間、


「いやいやいや、なんで足!? 動かないって聞いてたんだけど!? 君なんか資料と違わない!?」


 と、叫んでしまっていた。

 クラウチングスタートのような姿勢をとったトレントは、僕めがけて一気に駆け出す。


 速い! そう思った時には既に距離三メートルスまで近づいていた。こちらから機先を制すつもりが、攻守交替。僕を潰さんと上から迫るトレントの腕を横っ飛びで避けることになる。


「ヤバイヤバイヤバイ。トレントってもっとこう、のっそり動くんじゃないの!?」


 ともかく始まってしまったものはしょうがない。切り替えて、『身体強化』を全開にかけ、トレントの後ろに回り込む。そのまま足に夜半之嵐を叩き込んだ。

 コーンッという綺麗な音が森に鳴り響く。


「固いな! 少ししか傷ついてないし」


 深さ一センチスくらいの切り傷がついているが、ダメージはほとんどなさそうに見える。どれだけ時間をかければこの木を倒せるのだろうか。僕が木こりだったら泣く。

 ただの斬撃では厳しいため、火属性の魔力を刀に通す。刀身の桜模様の部分からふわりと湧き出した炎が刀を包む。火を目にしたトレントは少しうめきながら後ずさりしたように感じた。

 なぎ払うように振り回されたトレントの腕をジャンプしてかわしつつ、炎を纏った夜半之嵐で切りつける。


「イイィィ……」


 切りつけた箇所を見ると、黒く焼き付いており少し切り込みの深さも深いようだ。と、確認した直後、気付けば目の前に枝が迫っていた。

 条件反射で避けたものの、腕にかすり、肉をえぐられてしまった。腕から枝を伸ばしての攻撃も可能なようだ。油断した。

 無詠唱でヒールを使い治療しつつ距離を取り、動けるようになるとまた隙を狙い切りつける。


 巨大な手足による攻撃に加え、体のあらゆる場所から伸ばされる枝による攻撃。それぞれが微妙にリズムをずらしてコンビネーションとなっている。嫌らしい攻撃だ。

 まるで複数の魔物と戦っているかのようで、何回か良い攻撃をくらってしまった。その都度ヒールで治療しつつも、こちらからも炎をまとった斬撃は着実に当てている。

 胸のあたりにある魔石を砕くか引き抜くかすれば倒せるはずなので、そこを中心に狙っている。既に一時間近く戦っているが、固い表皮は削り切れておらず、魔石にたどり着く気配はなかった。


 しかし、ある程度リズムが読めてきたので、このまま地道に削り続ければ倒せるだろう。

 トレントも少し動きが鈍くなってきた気がする……。と、観察していると、ふいに相手の動きが止まった。僕を見つめながら、棒立ちになっている。


「なんだ? もしかして、倒し……」


 淡い期待を胸に抱きかけたその時、バキャッという缶が潰れたような野菜が潰れたような鈍い音が足元から聞こえた。


 なんてことはない、潰れていたのは僕の左足だった。

 地中から伸びた木の根が太ももあたりに巻きついている。完全に骨が折れ、複数個所がすりつぶされている。複雑骨折というやつだろう。これはヒールですぐに治療することはできない。

 そこまで考えた時点で、僕は迷うことなく刀を振り抜き、左足を根本から斬り落とした。

 痛みはない。こういうときのために開発したオリジナル魔法『痛覚遮断』は最初からかけている。

 とりあえず、木の枝による拘束から逃れることが出来たので、そのまま、


「『ウィンド』!」


 あえて自分の真下にウィンドを叩きつける。強風に吹っ飛ばされるようにして上空へ緊急離脱。

 斬り落とした直後から無詠唱で『エクストラヒール』を使い治療を開始していた左足は、天頂で自由落下を始める頃には既に膝のあたりまで再生している。そして、最終的に治しきった両足で着地した。

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