第14話.懺悔室へいらっしゃい

 バレーの試合を間近で観たのは初めてだった。ポジションが被ってるやら足りないやらで、本来とは違うポジションでの試合。しかもみんなバレーから離れて久しい、おじさんに片足突っ込んだ年齢でこの迫力。空気が震えるってこういうことか、と感動を覚えた。


「すごいですね、皆さん。私も久しぶりにしたくなっちゃいます!」


 元プレーヤーらしい感想を述べた国枝さんに「混ぜてもらいなよ」と、一運動終えた彼らの方を見やる。


「いいんでしょうか?」

「いいんじゃない?だから家族とか、彼女、連れて来ていいよってなってると思うよ」


  彼女、という単語が喉につっかえた。そんなことなど気に留めず、私の言葉に笑顔を向けた国枝さんは、体育室の床に座り込んでいる御影に駆け寄った。


「楽しんでる?」

「わっ、岡部くんか、びっくりしたぁ」

「ごめんごめん。すっごいボーッとしてたね」


 背後から突然現れた岡部くんは顔から力を抜き、ボーッとしていた私の顔真似をしてきた。私こんな表情だったの?と愕然とするぐらいには酷い顔をしている。


「ちょっと〜!それさすがにひどくない?」

「うはは!さすがにここまでボーッとはしてなかったか!」


 もう、男子はすぐふざける〜、とまるで本物の高校生のようなセリフが頭に浮かぶ。さすがにもう"男子"なんて単語、使わなくなってしまった。

 2人でケラケラと笑っていると、「楽しそうね〜」と御影が現れて、汗が滲んだ額をぐいっと乱雑に手で拭った。


「岡部くんが酷いモノマネするからさぁ」

「ものまね?」

「そう、こんな顔してたの、塚原さん」

「ちょっと、してないから!ひどいっ!」


 岡部くんがさっきよりもふざけた顔をするものだから吹き出すように笑って、「やだー」と彼の肩を小突く。そんな風に大笑いしているだけで、まるで高校生の頃に戻ったようだ。そうやって楽しくなった私の、岡部くんの肩に触れたままの手を御影がそっと外した。

 その行動に時が止まる。私だけではない。岡部くんも御影をジッと見つめ、そしてその場を繕うように「御影ぇ、この歳になってまで警戒しなくてもいいじゃーん」と茶化してみせた。


「警戒?」

「あー、オレ、高校のとき塚原さんのこと好きだったから」


 岡部くんは「御影はそれが気に食わなかったんだよ」と、バツが悪そうに頭を掻く御影へと含み笑いを向ける。


「だけど今は塚原さん結婚してるし、オレなんて子供もいるしさ?さすがにいろいろ弁えてるっつーか。もう良い思い出っつーか」


 そう言って照れ笑いを浮かべた岡部くんこそが、真っ当な成長なのだろう。青春の恋心は自然と風化し、煌めいた思い出になる。それこそが正しい変化だ。

 間違っても私や御影のようにこびりついた焦げを後生大事にしてはいけない。白骨化した想いを掘り返してはいけない。待っているのは決まりきったエンディングなのだから。


 そんな正しい道を歩んでいる岡部くんの言葉になんと返せばいいのか考えあぐねていた私たちの元へ、子供が2人、パタパタと足音を鳴らして駆けて来た。


「パパ〜、僕もバレーしたい」

「おー、やろうか」

「もしかして岡部くんの子供?こんにちは」


 目線を合わせて挨拶をしたが、照れ屋な子供たちはサッと岡部くんの後ろに隠れてしまった。そんな彼らを岡部くんが「挨拶しなさい」と注意する。おずおずと出てきた子供たちは年少と年中の男の子らしい。


「バレーしたいなら、俺が教えてやろっか?」


 パパより背の高い、しかも目つきの鋭い男にそう言われて子供たちは怯えている。しかし岡部くんが「このおじさん、バレー上手いんだよ」と微笑みかければ、子供たちの顔にも笑顔が戻った。御影は「お兄さんでしょーよ」と訂正していたが、既に「おじさん」「おじさん」と呼ばれている。


 初めこそ緊張していた子供たちも、瞬きをした次の瞬間にはもう御影に懐いていた。子供の順応力がすごいのか、御影の包容力故なのかは分からないけれど。子供たちとキャッキャと戯れる御影を見て、想像してはいけない未来を思い描いてしまう。


「塚原、お前も来いよ。一緒にバレーしようぜ」


 おいでおいで、と御影に手招きされて、私は「うん」と満面の笑みで応えた。伸ばされた手にこの手を重ねなかったことを褒めてほしいぐらいだ。




 あーあ、嬉しそうな顔しちゃって。こぼれるような笑みが彼への好意そのものではないか。こんなん気づくなって方が無理じゃない?ほんと、詰めが甘いというか、愚かというか……まぁ、そんなとこも可愛いんだけど。


「なに一人で笑ってんだよ。怖いんだけど」

「もっちゃん!もうバレーはいいの?」

「あー?ちょい休憩」


 壁際に立っていた俺のところまでわざわざ来て暴言を吐いたもっちゃんは、汗を拭いながらズルズルと壁伝いに座り込んだ。


「久しぶりにバレーしたけど、やっぱ楽しいわ」

「うん、楽しいね〜」

「……杏ちゃん、清光のキャプテンとまじで仲良いんだな」


 もっちゃんは、ただ見たままを告げただけだ。一番端のスペースを使って、誰かの子供と戯れている御影とはしゃいでいる杏ちゃん。俺はこの時、ようやっと自分の選択の間違いに気づいた。


「子供作っとくべきだったなぁ……」

「あ?なにか言ったか?」

「ん?いやー、足枷は多い方がいいよねって話」


 その言葉を聞いたもっちゃんは顔を歪め、「まーた訳分かんないこと言ってんの、お前」と呆れたように溜息を吐いた。


「はぁ〜!久しぶりにバレーしました!足ガクガクです」


 もっちゃんが辛辣な言葉を投げかけた直後、溌剌とした笑顔の国枝つむぎが俺の元へやって来た。憂いなど微塵もないというその能天気な笑顔に腹が立つ。無知は罪だというが、知らないことは幸せと同義でもある。それが無性に憎らしい。


「ねぇ、いいの?おたくの彼氏、すっげー楽しそうだけど」


 怒りに任せて冷たく放った言葉に、国枝つむぎは首を傾げた。「ほら」と、先ほどよりも距離の近くなった恥知らずの2人を顎で示せば、国枝つむぎは「あぁ」と瞼を伏せた。


「あの、徹志さんのことなんですが……」


 そして少し言い淀んだ国枝つむぎは、2人をジッと見つめ意を決したように深く息を吐き出した。


「実は……私たち付き合ってないんです」


「ん?どういうこと?」


 思わぬ告白に返答がワンテンポ遅れる。俺たちの話を聞くともなしに聞いてしまったもっちゃんが、「それ、ここで話さない方がいいんじゃね?」と、周りの目を気にしろよと、至極真っ当なアドバイスを告げた。





 体育室の貸切時間が終わり、あとは自由解散となった。俺は杏ちゃんに「もっちゃんとご飯行って来るね」と伝えて、実のところ国枝つむぎも誘って3人で喫茶店に来ていた。

 

 席に案内されて座るや否や「なんで付き合ってるってことにしたの?」と核心に触れる質問をすれば、ピリリと殺気だった俺を落ち着かせるようにもっちゃんが口を挟む。


「とりあえず注文しようぜ。えっと、国枝さん?は、どうする?」

「私はとりあえずコーヒーにします」


 しかしそんなことで俺の苛立ちは収まらない。貧乏揺すりを始め、人差し指の先でコンコンと机を叩く。あからさまにびくついている国枝つむぎを見て、これじゃあいけないと笑顔を貼り付けた。

 俺はこの女を怯えさせることが目的ではないのだ。地獄に突き落としたいのは、盗人猛々しくも俺の視界の先で杏ちゃんに触れたあのいけ好かない男だ。


「怖がらせちゃってごめんね。ちょっと混乱してた」


 出来うる限りの優しい声音で、数多の女に騒がれてきた甘い笑顔を見せれば、国枝つむぎは安堵の息を吐いた。


「詳しく話してくれないかな?どうしてそんな嘘をついたのか。御影徹志の目的ってなんなの?」


 そうして漸く国枝つむぎは「積極的に付き合ってるって嘘をついたわけじゃなくて……」と、重い口を開いた。


「『長内さんたちが付き合ってるって勘違いしてるから、否定しないでって』、そう言われたんです」


 俯きながら告げられた事実に、俺も、そしてこの場に無理矢理参加させられたもっちゃんも首を傾げるしかなかった。

 国枝つむぎは御影のことを恋愛対象として好いているのは間違いではなく、その提案を不思議に思いながらもこれがきっかけになればいいと飲み込んだようだった。


「見栄……とか?」


 もっちゃんが御影の真意を想像したが、どうにもそんな感じはしなかった。御影は明らかに"モテる見た目"をしていた。そんな見栄を張る必要性は感じなかったのだ。


「いや、どっちかって言うと……彼女いるから安心してねって、杏ちゃんに近づきたかったんでしょ」


 自分で口にしながら、絶対にそうだと確信する。俺の御影の印象そのままに、己の下心を巧妙に隠して獲物に近寄る食えない奴なわけだ。杏ちゃんはそんな御影の策略にまんまとハマってしまった、哀れな生贄。


「え?!ちょ、え?!なに?あのキャプテン、御影?と杏ちゃんって不倫してんの?!」

「ん〜?たぶんね〜。ほんとやんなっちゃうよ」


 もっちゃんは周りの視線を気にして声を潜めた。"不倫"という単語を聞いた国枝つむぎは、不快感を表すように眉を顰めた。


「あ〜、どうしよっかなぁ。ねぇ、こういう時ってどうしたらいいと思う?」


 恋愛沙汰に疎いもっちゃんは「おー?」とか「んー?」とか、意味のない声を出しながら腕を組む。そんな彼に代わり、眉を顰めていた国枝つむぎが「許せないですよね……」と「罪には罰を与えるべきですよ」と声を低くした。


 俺が予想していたよりずっと、国枝つむぎは話が通じる女であった。彼女は「罰を与えろ」と言う。なるほど。それには俺も大賛成だ。罪には罰を。それはこの世の摂理だ。

 では、恥を捨て、理性を捨て、己の欲望に塗れた猿二人への最大の罰は?


「離婚して、慰謝料……ですか?」

「えっ?!凌介、離婚する気なの?」


 純粋なもっちゃんは目を白黒とさせ、「でも、不倫されたんじゃあ仕方ないか……」と呟く。


「いや、俺は離婚しないよ?それはあいつらへの罰にはならないだろう?」


 慰謝料を請求し、金銭的な負担を強いても、杏ちゃんが自由の身になることは彼らへの褒美なわけだ。そんなことは絶対にしない。俺だけが悲しみに濡れ、永遠の誓いを足蹴にし、非人道的な行いをした彼らが2人で幸せに浸るだなんて、そんなこと赦されるわけがない。


「馬鹿なアイツらにとっての最大の罰、それは……」


 たっぷりと間を取った俺が和かに微笑めば、この場には余りにもそぐわない表情に、国枝つむぎは唾を飲み込んだ。そんな俺に慣れっこのもっちゃんは、「程々にしとけよ」と言い聞かせる。しかしいつもなら説教でも始めているだろう彼が言い聞かせるに留めているのだから、俺の状況に同情していることは間違いないだろう。


「大丈夫。そりゃ死んでほしいけど、殺したりはしないよ」


 それは俺が下す罰ではないのだ。しかし俺の過激な言葉を聞いた2人は無意識に顔を歪めた。俺ならしかねないと思っている表情だ。失礼な。


 俺の望む罰など、命を失うことに比べれば可愛いものだ。例え半身をもがれるような苦しみを感じたとしても、時間がいつか忘れさせてくれる。だから大丈夫だよ。杏ちゃんの泣き顔を想像して、俺の口元が弧を描いた。

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