第12話.花のかんばせを汚したい

 新一年生が入学してから少し経った頃、私が船橋先輩に振られた直後、御影から「彼女できた〜」と報告を受けた。


「え?!誰っ?!!」


 そんな素振りなど見せなかった御影からの突然の暴露に大声を出してしまった。教室にいたみんなの視線が刺さる。「ごめん」と頭を下げて、「誰と付き合ったの?」と声を落として再び尋ねた。


「一個下の子」

「お?彼女できた報告してんの?」


 私たちの会話に入ってきたのは、御影と同じバレー部の岡部くん。彼とは今年初めて同じクラスになった。


「そう!ビックリしたんだけど〜!岡部くんは知ってたの?」

「知ってたっつーか、昨日の部活終わりに彼女が待ち伏せしてて、知ったっつーか。な?」


 どうやら御影と彼女は一緒に下校するほどラブラブらしい。ツキンと胸が痛むが、なんとか笑って誤魔化す私に、岡部くんが「そういう塚原さんは、彼氏とどうなの?」と聞いてきた。


「え〜?私?この流れで言いにくいんだけど、この前別れたの」

「ま、マジで?!うっそ?!じゃあ、フリーなわけだ?」

「ちょっと〜。岡部くん、そんな喜ばないでよくない?」


 拗ねたように唇を尖らせれば、岡部くんは慌てて「いや、喜んでるっつーか。ねぇ?」と曖昧な返事だ。


「……お前別れたの?いつ?」


 そこに御影の暗い声が落とされた。別れたことを教えてもらえなかったことが、余程悔しかったのだろうか。


「え〜?いつって3日前?とか?」

「言えよ!そういうことはすぐ言えよ!」

「え〜、なに怒ってんの?こわ」


 素直な感想を漏らせば、御影は「はぁ〜」と特大な溜息を吐いた。そこでチャイムが鳴って御影は自席に戻ったので、結局彼女が誰かを聞き損なってしまった。


 御影の彼女って誰なんだろう、とソワソワ落ち着かない心地で授業を受けたが、その疑問は次の休み時間で解消された。なぜなら、その彼女が教室に御影を訪ねて来たからだ。


「御影の彼女じゃん」

「マユコも知ってたんだ」

「昨日ね。部活終わったら居たから」

「御影の好きそうな感じだね」


 私が彼女を見た率直な意見を言えば、マユコもそう思っていたのか「ね〜?」とすぐに同意した。御影のタイプの小柄でおめめクリクリの、可愛い可愛い女の子。御影を見つめる瞳がキラキラしていて、感情がダダ漏れだ。余程好きなんだろうが、この光景をこれからも見せつけられるの?と、辟易した。


 しかしそれは杞憂であった。あれだけ仲睦まじく見えた2人は一ヶ月もたずして破局を迎えたのだ。御影に「なんで別れたの?」と聞けば、「振られた」とだけ返されて、思わず緩みそうになる頬を必死で抑えつけた。


「一ヶ月で振られるとか、何したの?」

「んー?何にもしなかったから振られたんだよ」

「え、なんかやらしい……!」

「は?話聞いてた?やらしいことなーんもしなかったから振られたの!」


 いつもだいたい同じ時間の部活終わり。こうして帰宅時間が重なることは多々あったが、昨日までは「また明日」って手を振るだけだった。それが御影の話を聞きたいがために、今日は一緒に帰っている。

 バレー部の誰かが「御影!お前彼女と別れたばっかなのに、もう新しい彼女かよ?!」と彼を揶揄った。


「違いますから。こいつは友達です、友達!」

「またまたー。ん?あ、塚原杏じゃん!え、なに?御影、仲良かったの?」

「あー、まぁ、普通っすね。じゃ、俺らこっちなんで」


 御影の先輩へペコリとお辞儀をすれば、ブンブンと大袈裟なくらいに手を振り返された。「あの先輩面白いね」と言った私に、御影は「お前のこと可愛いっつってたわ」と面白く無さそうな声を出す。


「え!!うっそ!私、モテ期来ちゃうかな?」

「ないない。調子乗ってんなよ」

「ひっど〜い!私が御影のタイプじゃないからって、そんなこと言わなくてもいーじゃん」

「…………」

「?御影?」


 どうしたの?彼女に振られておかしくなったの?と、黙り込んだ御影の顔前で手を振れば、「新しい彼氏欲しい?」と明後日の方向に話が飛んでしまった。


「……なに、急に」

「欲しいならさっきの先輩紹介するし。なんならクラスにだってお前のこと、」

「欲しくないよ!全然、欲しくない……」

「そ。じゃあ、俺も作らないどこうかな」

「えー?なにそれー?」


 その日から私たちは一緒に下校するようになった。「付き合ってるの?」と聞かれたら「友達だよ」と答えていたが、今思えば私たちはどちらも牽制していたのだ。御影は私の周りの男子に。私は御影の周りの女子に。「手を出さないでね」と。

 そうやってお互いの気持ちをどこかで感じていながら、決して核心には触れなかった。私の場合触れられなかったと言った方が正しいが。面倒な奴らだな、と自分でも思う。拗らせてひん曲がって、自分たちでさえ扱い方が分からなくなった想いの成れの果てが、不倫だなんて。





 クスクスと思い出し笑いをした私に、御影は不思議そうに瞬きを繰り返した。


「なに?面白いことでもあった?」

「ん?えーっとね、思い出してたの、高校生の時の私たちのこと」

「どのこと?色々ありすぎて分かんねーよ」

「拗らせてたな、って。あ、それは今でもか」


 曖昧な私の返事を聞いた御影はさらに不思議そうに首を傾げ、眉間に皺を寄せ出した。


「あは、私、今幸せって話だよ」

「ぜんっぜん分かんねー……けど、お前が幸せならいっか」


 2人で笑って、そしてキスをした。ベッドの上で何度も何度も。お互いの熱を分け合うように。


「変な感じ、御影とこんなことするなんて」


 私の首筋にキスをしながら服の中に手を入れた御影にそう言えば、「俺はずっとこうしたいって思ってた」と熱い瞳が私を見つめる。時折肌を擽る御影の髪に触れてみれば、思っていたよりずっと柔らかいそれに笑みがこぼれた。


「好きって言っちゃダメ?」

「ふっ、何言ってんだよ。俺のことは好きにならねーんだろ?退屈凌ぎの遊びだろ?」

「……いじわるぅ。もう言ってやんないからね?!」

「あぁ、絶対言わないで」


 御影はまた泣きそうに笑う。そんな顔で願いを口にされたら、何としても叶えてあげなければいけない気になってしまう。だから私は"好き"の代わりに、何度も口づけを贈った。


「御影っ、もう挿れてほしいっ、」

「だめ、もうちょっと。終わらせたくない」

「やだ、いじわるしないで、」


 もっと深くで御影のことを感じたくて、早く御影と一つになりたくて、私ははしたなくも彼を求めた。だけど御影は「まだ挿れたくない」と私の身体の奥の奥を暴こうとする。気持ち良すぎて叫ぶように何度も絶頂に達して、グズグズに溶けて、私が泣きながら「挿れてください」と懇願したその刹那、御影は私の願いを漸く聞き入れてくれた。

 チカチカと目の前が弾けて白む。ブルブルと身体が震え、足の指先にギュッと力が入った。怖い。私、これ以上イッちゃえばどうなるの。未知の領域はいつだって恐怖だ。


「やだやだ、みかげっ、こわい、」

「うん。俺も怖い」


 御影は何を恐れているのだろう。私の奥深くを刺激しながら力任せに抱きしめる御影が、まるで幼い子供のように思えた。ほぼ力が入らなくなった私の手で、御影の髪を撫でた。無意識だった。その感覚に御影が律動を止める。視線が交じり、私は目尻を下げた。


「御影、酷くしてね」

「……なにを、……またその顔する」

「んっ、あっ、どれ」


 腰をゆるゆると動かしながら、御影は観念したように笑みを浮かべた。


「全部失ってもいいって顔。必死で抑えてる俺の身にもなれよ」

「あっ、……そうなのかも。もう、全部、っあっん、御影以外、ぜんぶ、いらない」


 嘘偽りのない本音だった。その言葉を聞いた御影がどんな気持ちだったかは分からないけれど。その後すぐ激しい律動を再開し、私をイかせて、御影はゴム越しに熱を吐き出した。


 ハァハァと荒い呼吸が部屋に響き、私たちは強く抱き合った。離れたくない。このまま朝を迎えたい。そしてまた夜になって、朝になる。そんな日常を、2人で消費したい。

 しかし私たちは罪を背負ったただならぬ関係。呑気に穏やかな朝など迎えられるはずがないのだ。テーブルに置いたスマホがブーブーと震え出す。これが夢から醒める合図だ。


「電話、鳴ってる」


 御影は分かりきったことを呟き、私の中から先ほどまでの熱をズルリと引き抜いた。コンドームの口を結び、ティッシュで包んでゴミ箱へ。ブーブーと未だに鳴る、私を現実へ引き戻す音を聞きながら、"もったいない"とその光景を見ていた。中に出してほしいだなんて、さらに倫理観が崩壊している願い、言えるはずもないんだけど。


「塚原?大丈夫か?」

「あ、うん……ちょっと放心してた」

「……そーかよ。電話、掛け直した方がいいんじゃねーの」


 私を優しく起こした御影はキスをして、もう一度強く抱きしめて「旦那だろ」と残酷な言葉を口にする。そんなこと態々言われなくても分かってるのに。不貞腐れて尖った唇を見て呆れたように笑うから、私はさらに臍を曲げる。


「俺から好きって言うのはアリ?」

「……え?あっ、なしなしなし、だめ〜!」

「あっそ。ほら、とっとと電話掛け直せ」


 はぁ、と溜息を吐きながら、電話をかけろと言いながら、御影は私にキスをする。それが「好きだ」と言われているみたいで、私は後ろ髪を引かれるのだ。私は今日、この時、幸せの輪郭に初めて触れた。


「掛け直すね」

「おー」


 返事をした御影は私と距離を取るように部屋を出て冷蔵庫を開けた。水でも飲んでいるのだろう。凌介との会話を聞かれたくない私には丁度良い。


 凌介はワンコールで電話に出た。きっとずっと折り返しを待っていたのだ。その事実に罪悪感よりも、どう誤魔化すかばかりを考える。そんな私の心とは裏腹に、凌介は『良かったぁ!』と明るく弾んだ声を出した。


「もしもし、連絡できなくてごめん」

『心配したよ、何かあったのかなって。でも、連絡取れて良かった。今どこ?』

「うん……ごめんね。まだ遊んでて……そろそろ帰るね」

『駅前でしょ?俺今からそっち行くよ。で、晩ご飯外で食べよう』


 で、今どこ?と、凌介はいつもと変わらない声音で私を追い詰める。別に特段おかしなことはない。彼にそんなつもりがないことも承知している。私は自分のついた嘘に追い詰められているだけなのだ。


「実は、話してたら懐かしくなって……今高校の辺りに来てるの」

『清光の?そっか、なら俺と同じぐらいに駅前着くかな?』

「かな?とりあえずみんなのこと待たせてるから、家出る時に連絡してね。それじゃ」


 嘘に嘘を重ねていく。どうやって嘘をついたかをメモでもしないと、忘れてしまいそうだ。


「御影、私帰るね」

「送ってくよ」

「いい、大丈夫!誰に見られるか分かんないし」


 バタバタと着替えながらそう言った私に、御影は「ん」と水の入ったグラスを手渡した。それを受け取り、こぼさないように丁寧に喉に流す。水を飲み干して「じゃあね」とグラスを返した私の手を掴んだ御影が感情の読めない瞳でこちらを見つめた。


「せめて髪とかしてけよ。というか、そんな顔してたら何してたか一発でバレるぞ」

「え、そんな酷い顔してる?」

「いや、酷いっつーか。セックスしてきましたって顔してる」


 どんな顔よ、それ。御影の言葉を怪しみながら、だけど念のためと、洗面所の鏡を見れば、なるほどたしかに。そこには大好きな人と幸せなセックスをしましたとデカデカと顔に書いてある、惚けた女の顔があった。

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