第2話.思い出は真綿のナイフ

 マユコの結婚式は素晴らしいものだった。ご主人がマユコを愛おしげに見つめる視線が愛そのもので、圧倒的な美しい想いになんだか泣きそうになる。自分の結婚式を思い返し、今すぐ凌介の愛に触れたくなった。


「二次会行くの?」

「あ、うん、植田くんたちは?」

「俺らも行くよ、な、徹志」


 式場から市街地への直通バスを待っていた私とリサに植田くんの声がかかる。私の問いかけを受けた植田くんが御影を見上げた。欠伸をしていた御影は後頭部の髪をクシャクシャとかき上げ、「おー」と気怠げに答えた。


「てかあれだね、寝癖のない御影を見たの初めてかも」


 ふふふ、と毎日どこかしらが跳ねていた高校時代の御影の頭を思い出せば、植田くんとリサはヒーヒーとお腹を抱えた。


「塚原、お前なぁ……!さすがに大学ではちゃんとセットしてたからな?!」

「あ、そうなの?ごめんごめん」

「参った、塚原おもしろすぎる」

「植田、お前は知ってるだろーが」


 涙を浮かべた植田くんが落ち着きを取り戻した頃、「塚原と徹志ってそんな長いこと会ってなかったんだ?」と不思議そうに口元を歪める。

 私と御影は、長い間会っていないことをこうやって不思議がられるほどには仲が良かった。


「そう、高校卒業してから会ってないよね?」

「……だったか?」

「え、そんな会ってなかったの?!なんで?!」


 植田くんの純粋な疑問が投げかけられたが、残念ながら私は明確な答えを持ち合わせていなかった。


「……なんで?」


 私は質問をそのまま御影にパスした。無責任に任された質問を受けた御影は"知らねーよ"とでも言いたげに眉間に皺を寄せて、しかし「彼女いたしな」と明確な答えを告げる。え、知らなかった。だから連絡がつかなくなったのか。14年目にして知らされた事実に私は思わず感心してしまった。


「御影って意外と一途だよね」

「意外とね、意外と」

「意外とだってよ?」

「はーい、うるさーい」


 御影が耳を塞いだと同時に直通バスの姿が見えた。感心したのと同じぐらい、御影の中の私の存在の小ささを教えられたようであの頃の私が胸を痛めた。




 二次会が始まる19時までは時間がある。暇を持て余した私たちは全国展開されているカフェへと足を運んだ。


「え?!植田くんとこもう5歳なの?!」

「おー、めっちゃ可愛いぞ〜」


 デレデレとした表情が愛の深さを物語っていた。高校の同級生に子供がいるって、未だに変な感じ。私たち大人になったんだなぁ、となんとも言えない気持ちになってしまうのは、私と凌介の間に子供がいないからだろうか。


「リサのとこは2歳の男の子だったよね?」

「そーそー!最近ヤンチャ具合が酷くて……」


 そう言いながらも綻んだ頬と柔らかな眦が慈愛に満ちている。これが無償の愛を知った女性の美しさであろうか。


「ところで、御影って結婚してるの?」


 ふと疑問に思ったことを何の気無しに口にすれば、不貞腐れた唇が「してねーよ」と告げた。


「あ、そうなんだ」


 謝るのもおかしな気がしてそう言うだけに留めた。「誰か紹介してやってよー」と言う植田くんのお節介に、リサまでもが「いいじゃん!良い人いたら紹介してもらいなよ」と悪ノリする始末だ。


「この歳で紹介とかもうないでしょーよ」


 と、御影は尤もなことを口にしながら私の顔をジッと見つめた。え、なに?そんなこと言いながら、もしもいるなら紹介してよ、って思ってる?えー、誰かいたっけな、とまずは結婚していない友達を頭に浮かべた。


「そもそも御影のタイプってどんな子なの?高校のとき彼女いたっけ?」


 恐らくいたとは思う。だけど私の記憶に残っていないぐらいなのだ。付き合ってる期間が短かったのかもしれない。


「いたいた、えーっと、フミちゃんね、フミちゃん!」


 御影に聞いたはずなのに、答えたのは植田くんだった。私はその名前を聞いてもピンとこない。どんどん傾いていく私の頭を見た御影が「覚えてねーとか、塚原は俺に余程興味がなかったんだなぁ」と泣き真似をした。


「だって14年とか、15年とか前だよ?友達の彼女の名前なんて覚えてないよ!」

「えー、植田は覚えてたのにー?」

「俺ってば記憶力が良すぎたな」

「いや、ワタシも覚えてるから。一つ下のフミちゃんでしょ?」


 リサの追加情報により、私の中でも"フミちゃん"が形を持ち始めた。


「あ、あー、思い出した!あの小さくてキュルキュルンて感じの子か!」

「……きゅ、きゅるきゅるん?」


 御影が理解できないといった様子で擬音を復唱する。それに植田くんとリサはまた腹を抱えて笑い出し、「キュルキュルンね、分かるわ〜」と声を揃えた。


「ね、みんな分かるって。御影って守ってあげたい系が好きだったね、そういや」

「そうそう!王道のあざとい系女子ね!」

「御影は女に嫌われる女が好きなんだよ、趣味悪〜」


 なんだか3人から責められる形になった御影は高い背を縮めて肩身が狭そうだ。


「なんだよ、わりーかよ。可愛いだろーが」

「なんも悪いことなんてないよ。けど私の友達にそういう子はいないかなぁ」


 頭に浮かんだ私の友達たちは御影のタイプではないだろう。彼女たちは自立した女性なのだ。

 別に守ってあげたい系が悪いわけではない。ただ私がどう足掻いてもそうなれないキュルキュルン女子たちのことを苦手としていたのは、事実であった。うらやましかったんだよね、きっと。高校生の私は、素直に甘え、感情のままに行動できるフミちゃんが羨ましかったのだ。


「別に本気で紹介してもらおうとか思ってないからね?!」


 ごめん、と謝った私に、御影はそう言って訂正を入れた。出会いに必死だと思われることが恥ずかしいのだろう。寝癖は綺麗に直せるようになっても御影は御影のままだな、とすぐムキになる変わらない彼に安心感を覚えた。





 盛り上がった二次会が終わり店外に出ると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。思わず肩が上がり、体が縮こまる。昼の陽気が嘘のような気温に薄手のコートの前を閉じた。


「さっみ〜」


 寒い寒いと無意識に腕を擦っていた私の横に並んだ御影も肩をすくめている。「ほんと寒いね」と首肯した私を見下げた御影は、言葉ではなく小さな笑みで返事をした。ほんと全然変わってない。このニヤリと笑う、腹に何かを抱えていそうな表情は高校時代の御影もよくしていたものだ。


「なに?」

「お前、この後暇?」

「え、この後?もう帰るつもりだったけど」


 もう21時だ。この後なんてあってないようなもの。どういうこと?と眉を顰めた私を、御影は「飲みに行かね?」とあっけらかんと誘った。


「えー、今から?」

「そ、今から。まだ、9時だぜ?」

「もう9時だよ」

「結婚した奴はすぐそう言う〜」


 御影が非難めいた声を上げる。どうやら植田くんにも「もう9時だから!」と断られたようだ。


「なに、あんたら飲みに行くの?」

「リサ!いや、どうしよっかなー、って。リサは?」

「ワタシはパス!子供が起きて待ってるって!」


 苦笑いを浮かべたリサは「じゃ、またね」と手を振り颯爽と帰って行った。


「な?家庭を持った途端付き合い悪くなるだろ?」


 取り残されたようで寂しいのだろうか。尖った口が小さな子供みたいだ。

 しかしその気持ちはよく分かる。子供が生まれた友達と遊ぶときは夕方前解散が主になった。それに不満はないのだ。忙しさを凝縮した夕方以降の目まぐるしさは想像に難くない。凌介と二人暮らしの私でもそうなのだから、子供がいれば尚更だろう。だから本当に不満はないのだ。だけど寂しい。平等に与えられた時間が過ぎてゆく無常さを感じ、虚しくなるのだ。


「分かったよ、飲みに行こう」

「お、マジ?さっすが塚原!行こうぜ」


 御影がそんな風に寂しさを感じているかは分からないけれど。横に広がる大きな口と笑ってなくなった目を見れば、誘いにのったことに後悔などなかった。




 御影に連れて行かれたバーのオシャレさに怖気付いた。


「どした?入れよ」

「ちょ、ちょっと、御影のくせにこんなオシャレなとこで飲んでんの?」

「おー?お前相変わらずズケズケと失礼な奴だな」


 俺も大人になったんだよ、と、ふふんと勝ち誇った笑みで、御影は私の腰を軽く押した。そんな触れたか触れてないかほどの軽い接触など、気にする必要はないのだ。事実御影を見つめてみても、彼は涼しげな顔をしている。


「あ、そういや長内には連絡したのか?」

「したよ。楽しんでおいでって」

「ほー。俺はアイツのことを誤解していたようだな」


 カウンター席に横並びで腰を下ろすなり、御影は今さらな心配を口にした。そして「理解のあるいい旦那じゃないか」などと態とらしく褒めた。


「そーよ、とても素敵な旦那様なの」


 なのに私が乗っかると「わー、惚気うざ」と梯子を外すんだから。こいつってばほんと変わってない。

 凌介と御影は顔見知りであった。2人が通っていたそれぞれの高校の男子バレー部は、ブロック大会常連校だった。住んでいた都道府県は違えどブロック大会で顔を合わせていたので、なんとなーくの印象はお互いに持っているようだ。


「俺、お前が長内と結婚したって聞いたとき心配したんだよ」

「心配?なんで?」


 お酒のことは分からないと言った私に代わり御影が頼んでくれたカクテル。それに刺さったマドラーをクルクルと回せば、沈んだ赤がオレンジと混ざり始めた。


「……きれい」

「そのカクテル、朝焼けなんだって」

「へぇ、素敵」


 ということは夕焼けを表したカクテルも存在しているのだろうか。そんな些細な疑問にも御影はすぐさま「テキーラサンセットね」と答えた。

 まさかあの御影がそんなことまで知っているなんて。変わってないと思っていたが、やはり14年の歳月は伊達ではないらしい。


「で、なんで心配してたの?」


 口当たりの良いグラスからカクテルをちびりと口に含めば、オレンジの爽やかな味わいが広がった。


「おいし」

「良かったな」

「で、なんで心配?」


 離れたと思ってもまた戻ってくる話題に御影はクククと声を漏らした。めっちゃ気にしてるじゃん、とでも思っているのだろう。


「やー、だってすっげーファンの数だったぜ?」

「それ、凌介の友達にも言われた。ファンクラブあったって」


 俄には信じられない話に私は思わず吹き出す。いち高校生にファンクラブってなんなの?と、今でも話半分なのだ。しかし御影もこう言っているのだ。ファンクラブがあったのも本当の話なのかも知れない。


「お前騙されてるんじゃね?って思ったわ」

「ちょっと、それ失礼なんだけど」

「いやいや、マジな話。長内が誰か一人に絞るなんて信じられなかった」


 御影は遠い昔を思い出すように目を細めた。ブロック大会で見た光景を思い浮かべているのだろう。


「お前幸せなの?」

「ふふ、なにそれ。そりゃー幸せよ」

「はは、ほんとどんな質問だよな。まぁ、良かったよ」


 幸せなら。

 あぁ、そうだこれこれ。懐かしい。当時は分からなかったが、経験を積んだ今なら分かる。御影はいつも私にこうして笑いかけていた。植田くんやリサが子供の話をするときと同じ眦。慈しみ、愛を注ぐ眼差し。だからか、だから私は御影にこうやって笑いかけられる度に、胸が苦しくなっていたのか。

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