激突!湯煙熱闘編その一
最初こそなだらかだった山の道は、次第に険しく急峻になり、木々が減ってゴツゴツとした岩肌が目立ち始める。
もわ、と白く立ち込めるのは、霧……ではなく、湯気。
「この辺りで……」
案内役の村人が、湯気の中にぼんやりと浮かび上がる祭壇のようなものを示す。
私の眉が思わず寄るのはしかたないことだろう。なんだこれ。邪教か?
「ほ、ほんとうに……大丈夫なのですか……」
「ご心配めさるな。我々は、偉大なるルクスにより選ばれて世直し巡礼の旅をしてきた。これまでも。ドラゴンすら倒したほど。温泉に巣食う魔物など、恐るるに足らず」
「ドラゴンまでも……! おぉ。ありがたい、ありがたい。では。よろしくお願いします。私は村に……ほんとに戻ってよいので?」
「村で吉報を待つがよい」
小声で案内役の村人と言葉を交わし、彼がそそくさと村へ戻って行くのを見送った。
ここまで運んできたそこそこ豪華な輿に、今まで普通に歩いてきた勇者が入り込む。
「フォルト……やっぱり危ないわ、こんなこと……」
「フィア、まだ言ってるのかい? 大丈夫だから心配しないで。魔法でサポート、頼むよ」
マレフィアが何度目ともわからない心配と反対を口にして、やはり勇者は頑ななほどにそれを突っぱねる。
勇者は一見穏やかで控えめに見えて、その実ひじょうに頑固で意志が強かった。
「気配する。ちかい。かくれるぞ」
ベルラが鋭く辺りに気を配り、いっそ冷徹なほどに落ち着き払った声で言う。
輿の中に入ってしまった勇者を、なおも心配そうに見ながらマレフィアもさがった。
マレフィアのその様子は、心からの想いを感じさせる。
本気、なのか。
マレフィアは、本気で心の底から勇者を……?
であるならば、それはもしや、不純な交友ではなく、純粋なる愛の交流……。
いやいやしかし! そうは言っても色恋は人を狂わせるもの。どれほど高潔優秀な者も、恋で身を持ち崩す。そうした話は古今東西枚挙にいとまがないのである。
その上この少人数のパーティ内でトライアングルだ。やはり看過はできない。色恋は嫉妬を呼ぶ、嫉妬は悪魔の呼び声……。
「ぼやぼやするな、かくれろ!」
「ぁぐっ!」
私がちょっと思考の迷路に嵌まり込んでいたら、ベルラの尻尾が鞭のようにしなって私の尻を打ち据えた。痛い!
「も、もっと丁重に扱わんか!」
コソコソと岩の影に身を隠しながらベルラに抗議をしたものの、向こうはちらともこちらを見ない。
戦闘においては後方支援の私の価値は、戦闘信奉者の力こそパワー系野蛮獣人にはわからないのである。愚かなものだ。あれにもいつか神の力でわからせられる日が来ますように。私は祈った。
皆が輿から離れ、岩の影に隠れて息を潜める。
湯気に白む視界の中、どれだけそうしていたのか。
ふいに。
ザ、パァァァ――
大きく波打つ音がした。
村の者は言っていた。この辺りは温泉があちこちから湧き出しているのだと。
昔はここまで観光客や村人、野生の動物なども入りにきたものらしい。
しかし、いまや……
魔物の巣と化し……
「グゲロロロロロ――!」
白くけぶる湯気の中、大きな影が浮かび上がったのだった!
***
「グゲロロロロロ――! ぶふぅん! ようやっとキたねェ……どんなかわい子チャンかなぁん?」
湯気の中にぼんやり見える巨大な影は。
実に流暢な……だいぶクセが強くてねちょっとした声ではあるが……公用語を話した。
それだけでわかる。
相当に知能の高い魔物だと。
「さぁ――出ておいでェ――ゲゲロロロン」
巨大な影が揺れている。ぶるんぶるんと。もしやあれは興奮で身を揺すっているのだろうか。
白くけぶる湯気のせいでしかとは知れないが、どうやら勇者の輿に手を伸ばしたらしい。
私の心臓が激しく打つ。
いくら勇者とて、あの巨体に。大丈夫なのか? 本当に? この作戦、考えが甘すぎたのではないか? マレフィアの心配も尤もだったのでは? 次々と不安が私に押し寄せ押し潰さんと浮かんでくる。
ごくり、と唾を飲んだ。
いまは、見守ることしかできない。
「おほぉ。ハジメマシテ~かわい子ちゅわん。さぁさぁ、そのヴェールをとってボクにお顔見せてェん」
いちいちゾワゾワと身の毛のよだつ独特の喋り方だ。
なんとなくおぞましい。
勇者の身がとてつもなく心配になる。
「グゲロロロロロ……! きゃんわいい~! いいねェいいねェ気に入ったよぉ。それじゃあ――」
おそらく勇者がヴェールを取ってその顔を見せたのだろう。
巨体の影はますます興奮し、ぶるぶると身を震わせ、そして。
「ベロンベロに愛してあげるゥ~!」
動いた。
何かが、ビュンッと風切るように伸びた。
湯気が、その一瞬晴れる。
その姿は。
「いっただきまぁ~す!」
とてつもなく大きな、見上げるほどに大きな。
カエル!
伸びた舌が勇者に巻き付き、引き寄せんと戻っていく。
「ゆ……!」
思わず声を上げようとした私は。
しかし、その声を引っ込めることになった。
「“テネブラス・カエデンス”!」
「ゲケロロォオ!?」
カッ! と光が弾け、勇者の持つ宝剣ルクスフルーグから迸る。
バチバチバチィ! と雷鳴の如く走り抜けるその剣閃が、巨大蛙を一瞬で焼き尽くしたのだ!
絡む舌から抜け出て、勇者が私たちの隠れる岩場に振り返る。微笑みの顔。
「おお、さすがは勇者……! 我々の出る幕もなく……」
「こけおどしだったわね、体が大きいだけの――」
ホッとしたように肩の力を抜いたマレフィアが言う。私も頷く。やはりドラゴンを倒すほどの我々が、たかがカエル如きに遅れをとるはずはなかった。
「さぁ、これでゆっくり温泉に浸か――」
「来るぞ!」
「ゲケロロロロロロォ――!」
まさか。
宝剣の放つ雷撃に撃たれ、真っ黒焦げで終わったと思った巨大蛙が。
「ちきしょぉ――! よくもやってくれたなァン!? そういう痛いのが趣味ならァ――めっためたに甚振ってあげるよん、ハニー!」
起き上がり、ぶるぶると身を震わせ、ビュンッと鋭く舌を伸ばして再び勇者を捕らえんと放つ。
「くっ……」
「うるぅあああああ!!」
決して油断していなかったベルラが、岩陰から躍り出て、巨大蛙の頭を鋭い爪で切り裂いていく。
「ゆーしゃ、はやく……っウ!?」
「ケロロロロ! キミも! 美味しそうだねェかわいこちゅわ~ん!」
「にゃ、にゃあ!?」
まさか。
ベルラの鋭い爪が確かに巨大蛙を切り裂いたはずだった。
にも関わらず、まるで無傷。ノーダメージ。新たな美少女の出現に喜ぶ始末!
「ベル……! このぉ!」
勇者が、ベルラに向かう巨大蛙に剣を薙ぐ。その切先は過たず確実に、蛙の胴体を切り裂いた。
はず、だった。
「な、なん、だ……!? 手応えが……」
「ンン? 嫉妬してるのかいハニ~。ボクがほかの女の子に目を向けたからァ? きゃんわいい~!」
驚き、戸惑う勇者に、蛙のぎょろりとした目が向く。
なんと自分に都合の良い発想ばかり出るやつ!
「遊び踊るマナよ――“ウィンドブラスト”!」
マレフィアの足元から小さな竜巻が生まれ、それがドッと巨大蛙に向かっていく。
小さなつぶてを巻き込んだ風の刃が渦を巻き、巨大蛙を切り刻んで――
「ゲゲロロロン――! 気の強そうな美女まで~! ボク、モテ期到来~!」
「なっ……う、うそでしょ……無傷!?」
なんと。
恐るべき巨大蛙。
「みんなみんな、いっただきまぁ~す!」
巨大蛙の鋭く長い舌が、皆を巻き込むべく薙ぎ払われた――!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます