おいでませ温泉の里バーブ村

 温泉の里バーブ村は、のどか……というよりは、寂れていた。

 村の入り口付近に立ち並ぶ家々は、色褪せた看板に布のかかった商品棚。

 ひと気は少なく閑散として、どの商店も閉店状態という有り様だった。


「ねぇ……なんとなく既視感のある雰囲気なんだけど……」

「……奇遇だな、マレフィアよ。私もだ。そこはかとない、いやな、予感が」


 駆け出したベルラとそれを追いかけて行った勇者の後を、私とマレフィアはとろとろと歩いていく。ちょっと急いだ程度では、あのふたりに追いつくことはできないからだ。

 村の井戸端にたむろするご婦人方が、こちらをちらちらと見てはヒソヒソと囁き交わしている。

 気になる。

 とても。


「レリジオさん、フィア! ……た、大変なことに」


 ベルラの手を取り掴みながら、勇者が息急き切って戻ってくる。ベルラは鼻に皺を寄せすごい顔だった。これは、ともすると、面倒なことが待ち受けていそうだ。


「どうしたのフォルト……ベルも、そんな顔して」


 マレフィアが、さりげなく後退る。

 体が逃げようとしているのを私は見逃さなかった。


「お、温泉が……」


 うわぁ嫌だ! 聞きたくない! 私の心の窓がもの凄い勢いで閉まろうとしている。


「涸れて……しまった、そうで……」


 にわかに暗雲垂れ込めて、バリバリと紫電が走り、ピシャァア! と稲妻が迸る。

 おそらく、私もマレフィアも、そういう心象を顔に出してしまっていたに違いなかった。


***


「まさかこの時世にこんな辺境の村に、巡礼の神官様がおいでくださるとは……これこそ神のお導きでしょうか」


 我々は、村長の家に居た。

 白くけぶるような長い眉毛と髭につるりとした頭が眩しい。彼はこの村の長老。

 白い法衣に身を包んだ、どこからどう見ても実に立派な聖職者たる私を見て、皺だらけの枯れ枝のような手を合わせると深々とお辞儀をした。

 ここまでの最敬礼を向けられると、敬虔なる信徒であり従順な神のしもべたる神官としては無碍にできようはずがなかった。


「どうか面をお上げくだされ、長老殿。この村を見舞う奇禍について、我々に詳しく教えてください」


 実のところ聞きたくはなかった。

 だがそういうわけにはいかないのだ。


「それは……」


 長老の話とは、こういうことであった。


 情勢の悪化とともに、この村に訪れる湯治客はすっかり減って寂れていた。

 人の流れのないまま、宿や土産売りの商売などは軒並み閉店状態。

 それでも細々とやってきた村は、しかしとうとう暗礁に乗り上げるような事態になっていく。

 温泉の枯渇である。

 村の人々は、ありとあらゆる生活を渾々と湧き出る温泉により賄っていたらしい。

 怪我や病も温泉で治す。ゆえに村人たちは病気知らずで疲れ知らず。細々と畑や家禽を育ててなんとか食い扶持を稼いでいたものの。温泉の枯渇と共にささやかながらも病が流行り出したという。狩りに出たり山菜採りに出た者が怪我をして戻り、なかなか回復しないために働き手がどんどん減る。そうこうしているうちに畑や家禽小屋も荒らされるようになり、これまたそれを追い払う人手が足りない。どんどん疲弊し困窮していく村。まだ動ける若者たちが出稼ぎと称して出て行く。ますます衰退。


 負の連鎖、であった。


「温泉の源に、恐ろしい魔物が棲みつきましてな。そやつが湯を堰き止めて、手下の魔物に畑や鳥を襲わせるのでございます。……それで」

「退治を……?」

「若い者に手紙を託し、領主様にお願いいたしましたがなしのつぶてで……」


 領主様。その言葉に思わず眉が寄ってしまった。


「もう、我々には打つ手がないと。したらばその魔物がこう言ってきまして」

「なに……知恵ある魔物だと!?」

「はい。それで……この村で、一番美しい、年頃の娘を差し出すなら……堰き止めた湯を戻してやってもよい、と」


 一瞬。空気がピシリと凍り付いたような気配がした。

 私の少し後ろで、黙って話に耳を傾けているはずの三人の仲間たちからの、無言の圧力を感じる。


「よ、よもや……長老殿……その話、のんだわけでは」

「とんでもない! 若い娘を、おぞましい魔物どもに差し出すなど。そんな非道な真似は……とても、とても」


 思わずホッとした。

 しかし、長老の声は沈んでいく。


「ですが、うちの孫娘が……村のためだから、と自らその役を買って出て」

「えっ……!?」

「うちの倅と嫁が、必死に止めて部屋に閉じ込めておる次第です。が……いずれ、このままなら……村は……」


 滅ぶ。

 と、みなまで言わずとも察せられる長老の物言いであった。

 私は、三人を振り返り見る。


 勇者は、怒っていた。

 マレフィアも、怒っていた。

 ベルラすら、怒っているように見えた。

 三人の強い眼差しが、私を射抜く。

 私は長老に向き直ると、重々しく口を開いて言った。


「まさしく、これぞ神のお導き。長老殿、この村の危難は、我々がお救いいたそう」


***


「許せないわ。温泉を涸らすわ生贄を要求するわ。やりたい放題じゃないの!」


 マレフィアは憤慨していた。


「オンセンタマゴ、ない。そいつせい。許さん!」


 ベルラは怒りに燃えていた。


「僕たちで倒しましょう。こんなこと見過ごせない」


 勇者は義憤に駆られていた。

 三人の意見は合致している。

 私もまた、そうだ。温泉を涸らすなど許せはしない。私の深淵なる計画……温泉で、男同士裸の付き合い、腹を割って話し合い勇者の心の傷を癒そうという思惑が、脆くも崩れ去ったのだ。断じて許せん!


「満場一致だ。ならば早急に、ことにあたろう……」

「でも、長老やほかの人たちの話を総合すると、敵はなかなかの大物みたいよね。それに下手に怒らせて村そのものに危害を加えてきたら困るわ」

「狩、不意打つ! やしゅう!」


 マレフィアとベルラの言葉は尤もである。

 魔物が棲みついたのは、村から少し上に行った山岳の頂き近く。源泉の地。人の足で小一時間とかからない近場だという。大立ち回りで村に被害が及ぶのは避けたいところだ。


「多少知恵もあるらしい、そこらの木端モンスターとは違う。油断させて不意を打つくらいのことはやってもよいかもしれんなぁ」


 私の脳裏に過ったのは、長老のあの言葉だった。

 即ち、年頃の美しい娘、である。

 私はちらりとマレフィアを見た。


「なによ、なにか言いたいことでもあるの?」


 柔らかく波打つ銀の髪に鮮やかな碧の瞳。実年齢は知らないが、エルフ族だけあって見目は若く美しい。その上魔法が使える。生贄の身代わりにはピッタリなのでは?

 私の無言の眼差しに、マレフィアは柳眉を寄せて顔を顰めている。いまにも魔導書を開きそうな気配すらあった。聡い女だ。警戒しているらしい。


「マレフィア……これは、君にだからこそ頼めることで……」

「は……?」

「つまり、君が生贄の乙女の身代わりとして向かい、油断させたところで不意打ち――」

「僕がやります!」

「はぇ?」

「ちょ、ちょっと……なに言ってるのよ!? ふたりともよ!?」


***


 無茶だ! いくらなんでも! 確かに勇者は端正な顔立ちの美青年だが、乙女の振りなどさすがに無理がある!


 と、私の再三の忠告と反対を無視して……無視! 勇者が……あの勇者が……どんな時も私の言葉に唯一耳を傾けてくれていた勇者が、私を無視して……。


「本当にいいの? 危ないわよ」

「大丈夫だよフィア。危ないのならなおのこと、君にやらせるわけにはいかないよ」


 長老の号令一下、村の者たちが集まる中、勇者の支度はすっかり万端整ってしまった。


 顔はヴェールで、体はゆったりとした純白のケープで覆い隠し、その中に宝剣ルクスフルーグを忍ばせて。

 不思議なことに。

 そうしてみると、勇者はたしかに女人のようだった。

 心なしか一回りくらい体が小さくなっているような、声も少し高いような。見事な擬態っぷりだった。


「フィア、ベル、レリジオさん……」


 ヴェール越しに、澄んだ紫水晶の如き眼差しが、私たちに向けられていた。

 それは、実に、決意に満ちて強く美しい瞳だった。

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