英気を養うべきではないか?

 商人ウー・サンクスの屋敷とその街は、上を下にの大騒ぎだった。

 号外のニュースを叫びながら街を駆け回り、ベルを鳴らし回る情報公示人たち。

 領主が魔族の幹部に取って代わられていたという話しは、瞬く間に街に知れ渡ることになり、そして。


 荒れた。


 我々は騒ぎにこれ以上巻き込まれまいと、まるで罪人のようにコソコソと街を出ることになった。

 結果、大いなる問題が勃発する。


「食糧が……ない!」

「えっ……」

「うそでしょ!?」

「ベル、はらへった!」


 砦の賊退治とドラゴン退治の礼にしこたま貰ったはずの食糧も酒も、完全に底をつきかけていたのだった。

 野営の準備に取り掛かる勇者たちに、私は沈痛な面持ちで首を振った。


「本来、あの街で補給せねばならなかったのだが。しかし、その暇もなくあれよあれよとてんやわんやで、ほら大変なことに……」

「どうしてそんな大事なこともっと早く言わないのよ!」

「いや、言わなかったとはなんだ。だいたい君たちだって食糧があとどのくらいかは、わかっていたはずだろう。主な調理当番など君ではないかマレフィア」

「でもあなたはほとんど一日中荷物と一緒に中で寝転がっているじゃない。在庫の管理くらいはしておきなさいよ、それくらいはできると思っていたわ」


 おのれマレフィア! どこまでも生意気な。

 自分はいつも御者台の勇者の隣に陣取っているだけのくせに!


「そもそも時間のあった君たちがさっさと食糧の補給調達をしておけばこうはならなかったのだよ。私は動けなかったのだ、あのサンクスの企みのせいで」

「えぇそうねトイレに篭りきりでね! だいたいあなたがまんまとそんな手に引っかかるからとんだピンチを招いたんじゃないの。神の加護はどうしたのよ。神の加護は」

「君こそ魔導師のくせにあっさりと敵の術にかかって寝ていたのだろう!?」


 我々は、おそらく腹が空いていたからだろう、気が立っていた。ゆえに、私とマレフィアの責任のなすりつけ合いという不毛なやり取りも、いつもよりヒートアップした。


「いい加減にしてください!」


 勇者の、珍しく強気な一喝。

 我々はハッとして口を閉じた。


「もう……。誰のせいとか、そんなこと。言い合ってもしょうがないでしょう。……いまある分だけでなんとかして、どこか食糧調達できるところがないか地図を見てみましょうよ」

「あ、あぁ。さすがは勇者。いついかなる時も沈着冷静。それでこそ私が見込んだ男」

「ごめんねフォルト。私もどうかしていたわ、こんな底の抜けた瓶みたいな男になに言ったってしかたないのに……」


 マレフィア。いちいちわけのわからん嫌味を言わなくては口を利けない呪いにでもかかっているのか? どこまでも口の減らない女め。だが私は大人。寛容な精神でぐっと堪えて怒りを飲み込んだ。


「育ち盛りのフォルトやベルのことを考えると、心許ない量だけど……もう夜になるし、すぐ支度するわね」


 マレフィアが食糧箱から残りわずかのソーセージや干し肉、小麦粉などを用意している。

 その間に勇者とベルラが野営の準備を……おや? そういえばさっきからベルラの気配がないような?


「勇者、マレフィア……ベルラは、どこだ?」


***


「ベルラ……! ベルラー! どこに居る、ひとりでウロウロするなど危ないぞー!」


 日も暮れた夜の街道脇の林のなかを、我々はベルラを探して分け入っていく。

 マレフィアが魔法で光を浮かべ、勇者が先に立って道を慣らし、私がよく通る声でベルラに呼びかける。実に完璧なチームワークだった。


「はぁ。本当はひとり野営地に残ってもらうのがよかったんだけれど……。ベルと行き違いになったら困るし」

「何を言う。どんな時も共に動き、協力しあってこそのパーティだぞ」


 マレフィアが、物言いたげにチラと私を見る。

 その目はさながら邪魔者を見るような。

 嗚呼! おのれマレフィア! この一大事に、勇者とふたりきりでより親密度を高めようという魂胆なのか!? ならばそうはいかない。抜け駆け! それは恋のトライアングルにおいて最も危険な不和の引き金になり得る。

 ベルラの居ない隙に、マレフィアと勇者が仲を深めすぎたら、パーティの関係が悪くなりかねないのだ。それは看過できん!

 あと私ひとりでポツンと残されたら怖い!

 ゆえに、私は何食わぬ顔で、平然と言ってのけた。尤もらしく。


「そうですね。ただでさえベルが居なくなって、さらにパーティを分断するのは……あんなこともあった後ですから」


 勇者……。

 サンクスとラーナの一件は、勇者に小さからぬ傷を負わせているようだ。

 なんとかして、彼の心の傷を癒やし励ます手はないものだろうか。


「ギャオオオオン!」


 と、その時!

 恐るべき魔物の叫び声。


「まさか!」

「ベル!?」


 我々は走った!


 そして――


「うるぁぁぁあおおおおおん!」


 猛々しく勇ましい咆哮。

 飛び上がる小さな黒い影。

 炸裂する拳! 拳! そして拳!


 巨大な牙と硬い鱗に覆われ鋭い一本角を生やした大トカゲのような魔物が、ずぅぅうんと地響きさせながら地に伏していった。


「ゆーしゃ! ベル、めし、とったぞ!」


 たす、と軽やかに着地したベルラが、満面の笑みで振り向く。

 我々はただ呆然として。


「食えるのか……それは……」


 疑問がぽろりとこぼれ落ちた。


***


 ツノオオトカゲの肉は、マレフィアの精査したところ特に毒などの可能性は低いと出て、更に私が祈り聖別を加えてから勇者とベルラが手際良く捌いていった。

 勇者は山奥に暮らしていたらしく、そうしたことは慣れているのだという。

 オオトカゲの肉は、家畜の肉に比べて硬く臭みも強く、決して美味いとは言えなかった。

 しかし最も空腹に対して敏感なベルラが満足したのでまずよかったのだろう。


 食後は残り僅かの葡萄酒で口直しをしつつ、焚き火の前で我々は今後のことを話し合うことにした。


「……領主のこと。もちろんこのままほっとくわけにはいかないわね」

「ファルアの領主は……元々は武勇に優れ、魔王軍との戦いにも領地の守りにも力を入れていたと聞く。……それが、或いは……仇となったか」


 多くの国々が、魔王軍との全面的な敵対を諦め、降伏していった。

 砦や魔法の結界で守られた街を一歩出れば、魔王軍が放った身の毛もよだつような恐ろしい魔物どもが跋扈し、街と街の行き来すらも困難となって十八年。

 抵抗し続けた国や民族は魔王軍に攻め滅ぼされ、守る力のない小さな村々は魔物によって直接的間接的問わず滅んだ。


 このファルアの領主は屈さず、兵を鍛え、抵抗し続けている、と聞いていた。

 ゆえに、我々の旅立ちの出発点としてこの地域が選ばれたのだったが。


 しん、と沈鬱な空気が落ちた。

 ああ、いかん。このままでは。

 私は地図を取り出し、広げ、努めて厳かに低い声で述べた。


「ファルアの偽領主を倒すにあたり、我々は英気を養い、かつ、より一層親睦を深めチームワークを高めるべきではないか、と思う。そこで!」


 私の突然の演説に、マレフィアがまたかという顔をし、ベルラは興味のなさそうな顔でもふもふの三角耳だけをパタパタと動かす。

 勇者は、まっすぐに私を見た。

 その深く澄み渡る紫水晶のような瞳。

 私への信頼が窺える眼差しだった。

 私は頷いてみせる。そうさ勇者よ。わかっているとも。君の心にかかる不安の暗雲は、必ずやこの私が吹き飛ばしてあげようとも。


「温泉に行こう!」


***


 マレフィアが、サンクスの傭兵から譲ってもらったという地図は、最新であり明晰であり素晴らしく現在の実態をよく表していた。

 ゆえに、我々は、容易く辿り着けたのである。

 ファルアの秘湯を頂く温泉郷。

 バーブ村に。


「あの……本当に温泉なんて、浸かってる場合なんでしょうか」


 この期に及んで、勇者は言った。


「まぁフォルト。珍しくこの男の言葉は正しいわ。私たち、英気を養うべきよ」


 珍しく、は余計だが、マレフィアはことのほか温泉に対して強い賛成を示した。

 渋る勇者やベルラの説得は、マレフィアなくしては難航したに違いない。


「でも……」

「ゆーしゃ! はやくくる。ベル、オンセンタマゴくう!」

「あ、待ってベル! すぐそうやってひとりで先に……!」


 勇者がなおも何かを言い募ろうと開きかけた口は、ベルラによって封じられた。

 オンセンタマゴ。

 温泉地でのみ食べることのできる奇妙な郷土料理である。

 ベルラはマレフィアにこれを吹き込まれ、反温泉派からあっさり温泉シンパに鞍替えしたのであった。

 かくして、オンセンタマゴを求め駆け出す欠食児童を追いかけ、我々は温泉の里バーブ村へと足を踏み入れることとなった――。

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