商人ウー・サンクス氏

 あのアンデッド襲撃の夜から一日と半。

 

 我々はいま、あの襲撃から救った隊商の元締めである商人からの招待を受け、一泊だけという約束で彼の屋敷に居た。


 あてがわれた部屋は広く、品の良い調度品が配され、寝心地の良いベッドやシルクの寝巻きは最高だった。


 街もまた広く、頑強な城壁にぐるりと囲まれて、物々しい武装をした兵たちにより常に見張られている。

 ちょっとした魔物の群れなどは、壁に阻まれ兵士に追い払われる。空から侵入を試みようとしても、配備された魔導砲と兵士により撃墜される。そういうわけで壁の内側の街は常に平和である、という。


「あの村の守りとは、大違いですね……」


 この街に着いて早々に勇者の口から漏れた感想とは、これであった。

 華やかで賑わう壁の内側の街並み。

 魔王の脅威などないかのようなその景色。

 勇者の目には、それがどう映ったものか。どう感じられたものか。


***


「おはようございます! 皆様。今朝の朝食には最高級のチーズをご用意しましたよ。昨夜届いたばかりでしてね、いや皆様運がいい! なかなか手に入らんのですよこのチーズは」


 朝から意気揚々と我々を迎えた商人は、とにかく元気な男だった。

 ハリツヤのよいまるっと肥えた体躯、俊敏な動き、まるでよく跳ねるボールのようにあちらこちらと忙しない。

 この時代、商売で大成するということはこれだけの熱意が必要ということか。


「おはようございます、あの、あまりお気を使わないでくださいね……」


 商人――ウー・サンクス氏の勢いは、勇者をたじろがせていた。確かにこの御仁、圧が強い。勇者はまだ若く、控えめで穏やかな青年でもある。このイケイケドンドンなノリの壮年の男に苦手意識があるのもまたむべなるかな。


「フォルト、こっちに座りなさいよ」


 サンクス氏に戸惑いがちの勇者に、既に支度を整えて席についていたマレフィアが声をかける。

 勇者の表情はあからさまにホッとしたようだった。


「いやいや、どうか勇者様におかれましてはこちらのお席に! 昨日は紹介し損ねましたが、ぜひ娘を紹介したく……」

「えっ、あ、でも……ぁ、あの」

「さぁさ勇者様はこちらへ!」


 サンクス氏の勢いは止まるところを知らず、グイグイと押されて勇者はサンクス氏のすぐ近くの席に座らされてしまった。


「ちょっと……あなたも少しはフォルトの手助けをしてやりなさいよ。ああいう手合いはあなたの担当でしょ」


 マレフィアが私に向かって小さな声で言う。確かにあの手の御仁の対応は私の領分だ。

 チラチラと勇者からの助けを求めるような視線が、私に向けられている。

 ベルラだけは何も気にせずガツガツと朝食を頬張っていた。特にミルクと、ソーセージを練り込んで焼いたパンを気に入っているようだ。


「ふふ。そうだな……勇者にもこうした経験を積むことは必要かと思ったが。そろそろ助け舟を……」


 頷きながら勇者とサンクス氏の元に向かい、私はふたりの話に割り込んだ。こういうのは得意なのだ。


「お話し中失礼しますぞ、サンクス殿。此度は我々を斯様に素晴らしいお屋敷にご招待いただき、また美味な朝食までご用意いただきまことに感謝の念に絶えません。サンクス殿はやり手の商売人とお見受けいたすが、ご自身でも隊商を率いての危険な道行き……なかなかできることにございませんな」


 ゆったりとした語り口、それでいながら途中に口を挟むことを許さぬ圧。そうしたやり取りは、私もまたサンクス氏と同じくらいにはデキる男なのだ。

 サンクス氏は一瞬鼻じろんだように薄い眉と頬っぺたに埋もれた小さな目を歪めた。御しやすそうな勇者との間に割り込まれ、微かに苛立ったようだ。

 しかし。

 その表情の微細な変化はほんの刹那。

 すぐににこやかに私に向き直る。


「これはこれは。神官様! お気に召していただけたのならばこれ以上の喜びはございません。なんでしたら一泊などと言わず二泊でも三泊でも。ぜひ」


 サンクス氏はどうも我々を足止めしたいようだった。

 この屋敷に招待される際も、最初はこのように二泊三泊と強く勧めてきたのである。

 その裏にどういう思惑があるのか。

 ただ、この若い勇者を囲い込みたいだけならばまだ良い。

 しかし、それ以上のなんらかの思惑があったら……? この点、私とマレフィアは意外にも意見が一致していた。曰く、胡散臭い、のである。この御仁。

 勇者はあまり人を疑ったり裏を読むことに積極的ではなく、そここそが美点である。ただ御仁の圧の強さには苦手意識があるようだった。

 ベルラについては、そもそも何を考えているのやら私にすら読みきれぬ。ヒトにネコの気持ちはわからないのだ。


「しかし、我々の使命は重大にして喫緊。有り難くも後ろ髪引かれるお申し出にはございますが、やはり我々は一刻も早く旅立たねばなりません。魔王を倒すために」


 私はここで一呼吸置く。

 サンクス氏をじっと見据え。


「魔王が打倒され、世界が平和になり、空路や航路が回復すれば……ご商売もますます発展しましょうしな」

「はは、それは……えぇ、まぁ……まったくおっしゃる通り、ながら」


 空路や航路が破綻し、街道を行くのは魔物の襲撃の危険が多い。それゆえに隊商を組織し、傭兵を雇い危険を冒してでも交易を行うことで、彼はここまでになったのだろう。

 皮肉なことだが、魔王特需というものの一端ではあるか。


 サンクス氏の意識が私にすっかり向いたのを見計らい、勇者はそっと席を立って移動していく。

 これでゆっくり朝食がとれるだろう、と思ったのも束の間。


「遅くなりまして、申し訳ございません! おはようございます、勇者様。お会いできて嬉しいですわ!」


 朗らかで高く澄んだ声がした。

 煌びやか、とでも形容したくなるようなその声の主は、輝かんばかりの金の髪に緑の瞳の少女であった。


***


「ご紹介しましょう、私の愛娘のラーナでございます」

「ラーナと申します、どうぞよろしくお願いします」


 眩い笑顔。

 ハキハキとした物言い。

 似ても似つかぬ親子であった。よほど母御がお美しいのか。


「まぁ、貴方様がいと尊き光の神の信仰の体現者であられる、レリジオ様ですね? お父さまの仰った通り。背がお高くてシャンと背筋も伸びて、頼り甲斐がありそう」

「ぉん……?! ンッ。ぅぉほん。……や、ま、まあそうですな。いや、利発そうでお美しく、素敵なお嬢さんで……」


 良い子だ。まさかこんな良い子がこの世に存在したとは!

 ラーナ嬢は私ににこりと微笑みかけると、踊るような足取りで勇者たちの方へと向かっていく。


「勇者様! 貴方が勇者様なのですね! お会いできるのを楽しみにしていました!」

「あ、ぁの、はい……ありがとう、ございま……ス!?」


 ラーナ嬢は、父譲りなのか圧が強かった。

 勇者の手を取りぎゅっと握りしめながら、キラキラと夢見るような緑の瞳でじっと見つめる。

 その美貌、愛らしさ。

 いかん! 年頃の勇者にこれまた年の頃ぴったりの娘。勇者がうっかり一目惚れでもしたら困る!


「あらあら、元気なお嬢さんね。ラーナさん、と仰ったかしら? 私はマレフィア」


 マレフィアが口元をナプキンで拭き終え、悠然と立ち上がる。その声にも笑みにも、そこはかとない迫力がある。ような気がする。

 これが、女同士の牽制というものか!


「ゆーしゃ」


 ずっと我関せずで食べることに夢中だったベルラまでが、いつの間にか立ち上がり勇者の片側に立つ。彼の袖をギュッと握ってラーナ嬢を睨み付けていた。


「フィア、ベル……。だ、大丈夫だよ。ちょっと勢いにびっくりしたけど。……ラーナさん、はじめまして。突然お屋敷にお邪魔してしまい申し訳ありません。僕たちは、今日にはもう発ちますが、こうしてお会いできて嬉しいです」


 勇者は、控えめながらも決然と意志を示してラーナ嬢の手を離した。

 さすがは勇者! 圧倒的美少女のストレートな好意に負けることなく初志を貫徹するとは。


「まぁ! そんな。すぐにお発ちにならなくとも……! 私、勇者様のこれまでの旅のお話を聞きたいのですわ! それが噂の宝剣ですの? 見せてくださいな!」


 しかしラーナ嬢も負けてはいなかった。

 勇者の腰に吊るされた宝剣ルクスフルーグに目敏く視線を走らせ、なおもグイグイとねだる。


「あ、あの……こ、困ります……僕たち、ほんとに……」

「そんなこと言わずに!」

「あの、でも……」

「勇者様!」


 困っている。勇者が! ここは私がなんとかしなくては!

 しかし。


「ちょっと、お嬢さん。あんまり勇者を困らせないでちょうだい。私たちの旅は遊びじゃないのよ」

「ゆーしゃ、はなせ……!」


 私が何かを言うより早く、マレフィアが嗜める。ベルラに至っては唸りながら今にも飛び掛かりそうな敵意を見せていた。


「あ……ごめんなさぁい、私ったら。……では、せめて……もう少しだけ。朝食の時間だけでも、お話し聞かせてくださいませんか?」


 勇者の手を離し、ラーナ嬢は譲歩した。

 嗚呼、いかん、これは……!


「そ、それくらい、なら……もう、少しだけ……」


 くっ。

 さすがは商人の娘というところか。

 まんまと交渉の術中にハマる勇者と、そして我々なのであった。

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