ふわふわの白いパンは邪の具現


 聖暦 665年 十一の月 五日


 我々勇者一行は、馬車を得てわずかばかりその旅を快適なものにすることができている。

 旅立ち直後からしばらくは反目しあっていたパーティの面々も、共に旅をしてきてひと月弱という今は、多少うまく回り出してきているといえるだろう。


 そもそも、魔王討伐のパーティたる者、我が我がと自己顕示欲に突き動かされ足を引っ張り合うなど言語道断である。


 ここ最近のパーティ内の良いムードは、この私、信仰の体現者であり神ルクスの代弁者であるレリジオ・ロクシャーンの日々のたゆまぬ説教の効果であろう。


 あの高慢で居丈高なハーフエルフの飾りの耳も、小さな脳味噌しか収納されていない獣人の頭にも、日々厳かに語りかけたのである。


“みなはひとりのために、ひとりはみなのために”


 しかし、そうは言ってもこの過酷な旅はまだまだ始まったばかりだ。

 魔王を討伐するためには幾つもの関門が立ちはだかっている。


 ひとつは魔族と魔物たちにより分断されてしまった大陸横断飛空艇路の問題。

 この空路さえ使えていれば、徒歩だの馬車だのでちんたらちんたら旅をする必要はなかったのだ。

 魔王の居城は世界の中心の海の上に浮かぶ小島にある。そこに行くのには空路か航路を使わねばならない。

 しかし、第一次魔王軍侵略戦争において、数多の飛空艇と船があっさり沈められてしまった。以来、各国はどこも飛空艇や船を供出したがらなくなった。

 ここまで綴って気付いてしまった、本当にとてつもなく重大な問題。


 私たちは、いかにして魔王の居城に渡るのか?


***


 ガタガタと揺れる馬車の荷台の上で旅の日誌を綴っていた私は、愕然としていた。


 その手からペンが離れ転がっていく。


 それは私が神の道に入ることを決め、神官としての修練を終えて初めて聖印を賜った際に記念として頂いた特殊インクペンであった。

 光の神ルクスの加護を受けたこのペンは、私の信仰が尽きぬ限りそのインクもまた尽きることがないのである。


 私はその大切な愛用品の転がった先を探し、視線を荷台の中に彷徨わせた。


 荷台には食糧を詰めた箱と葡萄酒の樽がひとつずつ。

 毛布とクッションを敷くことで座り心地もいくらかマシにした。

 いまはそのクッションのひとつに、ベルラが丸くなって寝息を立てている。

 荷馬車の御者台には、勇者と、マレフィア……。

 そこでつい思わず、眉が寄ってしまう。

 砦のドラゴン退治のあと、ふたりの距離がなぜか急速に縮んでいた。

 瓦礫の山に閉じ込められている間、いったいどんなやり取りを交わしたのか。

 勇者は、マレフィアを体を張って瓦礫から庇い負傷した。その献身に、どれほどの冷血の魔女とて絆されたということではあるのかもしれない。勇者の真っ直ぐな眼差し、嘘偽りのない言葉。それらはそのまま彼の行動となって現れるのだ。勇者フォルト! 彼こそはまさしく理想の勇者であった。マレフィアが恩義と共に彼に信頼と友愛を抱くのは、それ自体はごく自然でかつ素晴らしいことである。


 嗚呼! だがしかし!

 近いのだ! 距離がッ!


「フォルト、疲れてない? 少し休む?」


 マレフィアは手綱を握る勇者の隣にぴったりくっつき、顔を寄せて囁くように尋ねている。


「だ、大丈夫だよフィア。もう、そんなに心配しないで」

「ばかね、心配するに決まっているでしょ! あなたね、いくら治癒の魔法をかけたからってまだ完全に治ってるわけじゃないのよ。それに……」

「わ、わかってるよ。疲れたら、ちゃんと休む。だから、心配、しないで……」


 ひそひそと、まるで、内緒話のように。

 って、必要か!? その内緒話、本当に必要か!?

 勇者の体調のことなら私も気にしている、パーティ内の仲間の体調は皆が共有するべき事柄ではないのか!?

 それを、さも……自分だけが、勇者を思い遣っているかのような振る舞い。

 マレフィア……まるで女狐ではないか!

 勇者も若いとはいえ立派にひとりだちしたひとかどの男。まるで幼子になにくれとなく世話を焼く母親のように付き纏うなど、勇者だって鬱陶しいのではないか……? それがどれほど大きなふわふわの柔らかいおっ……


「嗚呼……! 神よっ――」


 私の脳裏にふわっと過ぎる白パンのイマジン。思わず神に祈り、邪を打ち払った。


「ちょっと、なんなの突然。なんの発作なのよ」

「レリジオさん、大丈夫ですか……?」


 荷台を振り向くふたりの怪訝と心配の入り混じる視線。刺さる。


「ぉほん。ンンッ……無論、大丈夫だとも。そう、ペンをな。落としてしまい……」

「ベルが寝てるのよ、静かにしなさいよね」


 おのれマレフィア。そもそも原因は貴様の恐るべき爛れた振る舞いのせいなのに。まるで私がふたりの世界の邪魔者かのような顔を……。


「レリジオさん、辛くなったら言ってくださいね。道がガタガタしているから、荷台も揺れますよね」

「勇者……あぁ、私は……」

「フォルト、言ったでしょう! あのはりぼて男を甘やかしちゃダメって。誰より役立たずなんだから」


 かっ! おのれマレフィア、いちいち私を愚弄しおって!


「フィア……そんなこと」


 勇者の否定する声は、なぜか語尾が儚く消え入りそうだった。勇者……? マレフィアに口答えするのは、まだ難しいのだな。


「がうっ!」


 私の心がなぜか妙に傷付いていたそのとき、突如ベルラが目を覚まして吼えた。


「マモノ、むれ! 食い物襲ってる!」


 そう言うや否や、馬車を飛び出し一目散に駆けていく。


「ちょ、ちょっとベル!? 待ちなさいっ」


 ベルラの足は光のように速く、あっという間に見えなくなってしまった。呆然だ。しかしベルラのいなくなったクッションの下、私はようやくペンを見つけた。


「フィア、ベルラさんは魔物の群れって言ってた。なにか聞こえる?」

「ちょっと……待って、フォルト。……」


 マレフィアが銀の波打つ髪を尖った長い耳に引っ掛ける。いつもは少し隠れがちの耳を澄ませるように手を添えていた。


「んっ……行商のグループよ。魔物の群れに襲われているらしいわ。ベルはそれを察知したのよ」

「なんだと……! それは由々しき事態。急がねば勇者!」

「ちょっ、おも……」

「は、はい、レリジオさん。行きましょう。少し、飛ばしますよ!」


 御者台のふたりの間にずいと割って入りながら勇者を鼓舞すると、勇者もまた心得たように馬に鞭を入れた。


 ヒヒィン――!


 馬が嘶き、突如猛烈に駆け出した。


「あぎゃっ!?」


 その勢いは、私の身体を荷台に激しく打ち付けるのだった――。

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