12

 角を曲がって自宅が視界に入ったとき、家の前に停まっていた軽のワゴン車に、ちょうど乗り込もうとしている男性が見えた。そして門先には母さんの姿——失敗した。母さんがいるとわかっていたら、もう少し遅く帰ってきたのに……


 とそう思いながら、とっさに隠れようとしたぼくだったけれど、隠れきる前に、スッと母さんと目が合ってしまった。これはもうあきらめて帰るしかない。ぼくは家に向けて歩き始めた。


 すれ違いざまに見てみたら、車はリサイクルショップのものだということがわかった。何か古い家電でも処分したのだろうか? まったくわからなかったけれど、ぼくは一足先に家に入った母さんを追う形で家に入った。


 ミニスロープを避けてたたきで靴を脱いだあと、部屋に上がりきったところでいつものように帰宅の挨拶をする。


「航介です。ただいま帰りました」


「こっちへいらっしゃい、航介さん」


「はい、今向かいます」


 ぼくは廊下を歩いてゆくと、ドアの引かれている居間の前で一旦立ち止まった。


「入っておかけなさい」


「はい」


 おそらく奥の部屋の仏壇に線香を上げたばかりなのだろう、ぼくは白檀びゃくだんの香りが強く漂っている居間へ入ると、ビジネスバッグを足元に置き、母さんの向かいの席の椅子を、両手で引いて腰を下ろした。


 こんなの他人からすると馬鹿げているだろうけど、母さんに命じられるまで母さんのいる部屋に入ってもいけないし、座ってもいけないし、片手で椅子を引いてもいけないというのが我が家示現家の決まりごとだった。


「ずい分早かったのでございますね」


 鎖付きで縁のない眼鏡の位置を直しながら母さんが言った。テーブルのノートパソコンと書類からして、どうやら家で仕事をしていたようだ。


「はい」とぼくは言った。


「どうでございましたか? 新しいご職場は」


「よさそうなところでした」


 既に調べ上げているくせに、とぼくは思った。第一、前回のそれも今回の職場も、最初に提案したのは誰でもない母さんなのだから。けれど当然口に出すことはない。


「直属の上司もいい人そうでしたし、職場も清潔なものでした。明日から本格的に働くことになりました」


 宇野監督の会社Uのこと以外は正直に言おうかと思ったけれど、やはり言わないことにした。


 もしもコネ就職者のせいで内定が取り消しになったとでも言おうものなら、母さんが直々に会社へ抗議しに行くに決まっているからだ。行政書士の資格を持っている母さんにならば、それくらいお手の物だろう。そんなことをされて万が一内定取り消しが取り消しになったとしても、ぼくとしては全然嬉しくなんてない。だから今はとりあえずこう言っておいて、あとでまた働けなくなった理由を何か捏造ねつぞうすればいい。


「続けられそうですか?」


「それはまだ、なんとも……」

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