10
監督はぼくの手からフライヤーを取り戻すと、近くにあったボールペンで何やらアルファベットを書き付けたあと、またすぐにぼくに返した。
「これ、は?」
「AV業界のことが一通り書いてあるサイトのURLだよ。口下手な私から聞くより、ここを読んだ方が早いだろう。そうして一晩、じっくりと考えればいい」
「色々とすみません」
たった今謝らないでいいと言われたばかりなのを思い出して、またしてもつい謝ってしまうぼくだった。
「あっ、すみません。あっ……」
はーっはっはっはっはっ! と監督が豪快に笑ってくれたのが救いだった。
「そう言えば、名刺をまだ渡してなかったな」
「あ、はい」
言うと監督は、名刺を渡してくれた。ぼくはそこに書かれている名前を読んだ。
ガールズパンツ、宇野……?
「どうだ? そんな名前のヤクザ、いるはずもないだろう?」
「は、はは……」
監督の言う通りだった。
こうして見ると、一体なぜあんなにも監督を怖がっていたのかが不思議になってくるぐらいだ。今の宇野監督は、どう見ても気のいい高年紳士以外の何者でもないのだから。西さんも西さんで、気は優しくて力持ちという風にしかもう見えない。
とそこでついにエアコン業者が到着し、交換設置作業に取りかかり始めた。相手がきちんと非を詫びたからだろうか、電話のときとは違って終始にこやかに監督が対応する。それを脇目に、ぼくは帰宅することになった。
玄関まで見送ってくれた監督が言った。
「帰り道はわかるかね?」
「大丈夫です、ありがとうございます」
「よし、じゃあいい返事を待ってるぞ」
「はい。それでは、失礼します」
ぼくは頭を下げてそう言うと、そこはかとなく足の臭いの立ち込めているエレベーターに一人で乗って降り、エントランスらしくないエントランスを出、駅に向かって歩き始めた。
暑さはまだ続いていたけれど、さっきとは空気の爽やかさが違って感じられた。蝉たちの声も、もう悲鳴には聞こえなかった。
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