一体なぜ、こんなことになってしまったんだろうか?


 ぼくはバックグラウンドでそう思いながら、この部屋から解放されるべく、正座したまま想いと現状を切々と訴えた。


 それは、まさかここがAVの制作会社とは思っていなかったということと、同居する母親が絶対にこの仕事を許してはくれないだろうという二つを主にしたものだった。母さんの身体のことはもちろん、事故で死んだ父さんのことまで全部話した。


 そうして訴え終えたあとで、あらためて床に両手をついて頭を下げた。


「そのようなわけで、誠に申し訳ありませんが、ここで働くことはできないのです……」


 終始面食らった様子で話を聞いていた宇野監督だったけれど、数秒の水を打ったような静寂のあとに、ぼくの肩に手をぽんと置いた。気のせいかそれは、それまでになく優しい手つきだった。


「君の気持ちはよくわかったよルパ——いや失礼、示現君。これまで、ずい分苦労をしてきたようだな。よく頑張った。とりあえず、顔を上げてくれないか」


 ぼくは顔を上げた——その拍子、やけにかわいらしいハンカチで目頭を押さえている西さんの姿が視界に入った。


「そして椅子に座ってくれ」


 続ける監督にぼくは言った。「ですが——」


 そこで監督がサングラスを取った。


 そうして現れたのは、予想以上に柔和な瞳だった。


「サングラスも外さないままに失礼した。壊れたエアコンのことと、飛んだ新人のことで気が立ってたんだ。目が、あまりよくないということもあってな」


「い、いえ……」


 監督がふっと微笑んで、その柔和な目がさらに柔和になった。


 不思議な気持ちでぼくはその目を見つめ返しながら、またパイプ椅子に腰を下ろした。それを見届けた監督が、これまでにない穏やかな口調でしゃべり始める。


「我々は対等な人間だ。まだ上司にも部下にもなっていないなら尚さらだ。よって頭を下げたり下げられるいわれはひとつもない。違うかね?」


「……はい。ですが——」


 いいんだいいんだというように、監督が左右に首を振った。


「ところで、あらためてひとつ教えてくれ。さっきちらりと『怖い』と言っていたが、あれは一体、どういうことなんだね?」


「それは、その……」


 監督のことをヤクザだと思っているからです、と言いあぐねているぼくに監督が続ける。


「決して怒らないから、本当のことを言ってくれないか」


 これまでの経験上、その台詞を真に受けて怒られなかったことは一度もないのだけれど、気の緩んでしまっていたぼくは正直に言っていた。


「実はその、宇野監督と西さんが、その筋の方ではないかと思いまして……」

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