「どうかしたか?」その刺青男性が言った。西さんよりも太くて低い声だ。


「い、いえ」ぼくはさっと目を逸らした。


 この、まるで臼に丸太で手足を付けたかのような、西さんがリアルフランケンだったとしたら、こっちはリアルオオカミ男とでもいうようなサングラスの高年男性が、おそらくは妹尾さんが言っていた宇野うのさんに違いない。


 違いないのだけれど、一体なぜ刺青なんて入れているのだろうか……?


 意識してよく見てみると、どうやら背中一面にもびっしりと彫ってあるようだ。やけにカラフルな絵柄が白い背中に薄っすらと透けている。


 まさかその筋のお方とか……? 


 という不吉な考えがよぎったけれど、アダルト業界ならばともかく、一般的な方の映像業界でそういう人間がいるなんて聞いたことがない。だから大丈夫、大丈夫——


 そう自らに言い聞かせているぼくに、ぶっきらぼうな口調で男性が尋ねてくる。


「君がルパン君だな? 私が社長兼監督の宇野だ。よろしくな」


「よ、よろしくお願いします」


 やっぱりこの人が宇野さんなんだ、と思いながらぼくは頭を下げた。


 ぼくの名前はルパンではなく示現じげんだし、ディレクターではない『監督』という宇野さんの言い方に違和感を覚えたけれど、それらには触れることなく——いや、正確にはこの暑さと場の空気では、触れることなんてとてもじゃないけどできそうにないと思いながら。


「で、AD歴は何年だ?」


 デスクの椅子にギッと座りながら、やっぱりぶっきらぼうな口調で監督が尋ねてくる。


「えっと、五年ほどになりますが——」


 と。そのタイミングでデスク上の電話がけたたましく鳴り始め、監督が眉間にぎゅっと皺を寄せながら受話器を取った。


「ああ? 話が違うだろうが! 午後にはここを出なきゃならんからそれじゃ遅いんだ! それとも、約束を破るのがあんたらの仕事なのか?! 言い訳はいいから時間通りにさっさと交換に来てくれ! 暑くてかなわん!」


 一気にまくし立てたあとで、監督は叩きつけるように受話器を置いた。どうやらエアコン業者ともめているようだ。


「私は約束を守らん人間が大っ嫌いでな」吐き捨てるように監督が言った。


「は、はは」


「何がおかしいんだ?」


「……失礼いたしました」


「まあいい。ところで、AD歴が五年だったら、仕事自体にはもう慣れてるな? AVとは言え、本質はTVのそれと変わらんからな、大丈夫だろう。今日から働けるな?」


 汗が一気に吹き出してきたのは、部屋の暑さのせいだけじゃないようだった。突然起こり始めた動悸を懸命に抑えながらぼくは質問した。


「えっ!? あっ、あの、その、エーブイ、と申します、と……?」

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