3-⑦

 社の前の石畳に降り立つと、鬼は私を丁寧に地面へ下ろしてくれた。まるで壊れ物を扱うようにするものだから、こっそりと笑う。鬼が私に気を遣ってくれていることが嬉しかった。


「ありがとうございます」

「礼などいらん」


 ぶっきらぼうに返すと、鬼はつかつかと社へ向かって行く。彼女は社の扉へ続く階段にどっかりと腰掛け、頬杖をつきながらこちらを見た。


「それで? なにがあった」


 隠し事はするなとばかりに、金眼が鋭い光を伴って私を射抜く。その視線を真正面から受けとめつつ、私はおずおずと口を開いた。


「村の井戸で妹と会いました。女の幽霊が井戸に出るという噂が村に広まっているらしいです。その幽霊が私なのではないかという噂も。それで、私に会いに来たのだと、妹は言っていました」


 鬼の片眉がくいっと上がる。


「妹の様子は、少しだけおかしいというか、変でした。どうやら、葦姫あしひめ様が関係しているようです。モモが、妹は狐に化かされていたんだろう、と言っていました。私も、その……そう思っています。妹が彼女と会っている場を見たわけではありませんが」


 私は鬼に、井戸での妹の様子を伝えた。溌溂としていたはずの妹が見せた暗い瞳を、私に対する秘めた感情を吐露する姿を。山犬の一喝で正気を取り戻したことも。きっと、妹は何もされなければ、その胸の内を明かすことはなかったのだろう。妹の心根が知れて良かったと思う気持ちと、そうしてしまったことで妹を傷つけてしまったという気持ちが胸の中で混ざり合う。


 ひと通り話し終えると、鬼はぎゅっと眉を寄せて深いため息をついた。


「葦姫か。まあ、やりかねんだろうな。アレは人の気持ちを娯楽のようにもてあそぶ」

「そんなことができるのですか?」

「狐は人を化かすのが本分だ。朝飯前だろうさ。それにアレは、おれとお前を引き離したがっていた。妹がお前を迎えに来るよう仕向けたのだろう」


 気怠そうに角を撫でながら、鬼は「余計なことを」と呻く。


 一方で、私は正気に戻った後の妹を思い出して目を伏せた。狐が差し向けたのだとしても、妹にその気持ちがなければ仕向けることもできなかったはずだ。妹が本心から、私に帰ってきてほしいと思っていたからこそ、その寂しさにあの狐はつけ込めたのだろう。


「正気に戻った後も、妹は一緒に帰ろうと言っていました」


 言いながら、私は自分の声が震えていることに気づいた。結局、妹が狐に狙われたのは私のせいなのだ。それなのに、それでも、私はまだ鬼のそばにいたいと思ってしまっている。なんて身勝手なのだろうと、自嘲した。 


「……そう、か」


 俯く私をよそに、鬼は頬杖をついていた手で口元を覆うと、そのまま黙り込んでしまう。時折、空いている手で角を撫でたり、髪の毛をもてあそんだりしている。どうやら考え事をしているらしい。


 突然訪れた沈黙。どうしたらいいかわからず、私は自分の足元を見たり、鬼の顔を伺ったりしていた。


「澄子」


 ふと、鬼に呼ばれて足元を見ていた顔を上げる。私を見てやわらかく微笑むと、指先だけで手招きをした。誘われるままに彼女の元に向かえば、手招きをしていた手で自身の隣を叩く。そこに座れということだろうか。


 ためらいがちに腰を下ろすと、鬼は満足そうに頷く。どうやら正解だったようだ。私はほっと息をついて、その花のかんばせを見上げた。


「まだ、村に戻りたいとは思わんのか?」

「え……」


 どきりと胸が脈打つ。


 じっと金眼が私を見ている。やわらかな、夕日を受けて揺れる稲穂のような金色だった。


 まるで、心を見透かすような色。耐えきれず、私はあるがままを吐露する。


「私は……村には、戻りたくありません。ここにいることが、家族を危険な目に合わせることになるとしても。……だって、だって、村に戻ったら、また、私は、」

「ああ、そうだったな。言わずとも良い」


 穏やかな声が私の震える声を遮る。鬼はその白い指で私の頬を撫でると、またやわらかく微笑んだ。


「雨が降るまでは、共にいるのだったな」


 確かめるように囁く低い声に、私は強く頷いた。


「はい、ナキ様。雨が――」


 言いかけて、言葉を失う。怪訝そうに鬼が眉を寄せた。


 ――雨が、降ってしまったら? 


 ぎゅっと胸を締め付けるような心地に、私は息をのんだ。震える指で鬼の着物を掴む。


「あの、ナキ様」

「澄子?」

「もし、もし、雨が降ったとしても、私、ここにいても、良いですか? ナキ様のお傍に、いさせてくれますか?」


 鬼がすっと目を細める。そのまま頬杖を崩すと、彼女は緩慢な動きで私と向かい合った。


「おれは、人喰いの鬼だ。もう、人は喰う気はないが、喰らうこと自体ができなくなったわけではないし、爪や牙で切り裂いて殺すこともできる」

「……はい」

「おれは、お前が思っているほど、優しい生き物でも、美しい生き物でもないぞ」


 ため息まじりに囁かれる言葉に眩暈がした。告白する言葉とは裏腹に、鬼はそのかんばせに花のような微笑みを湛えているせいだ。



 震える手で鬼のざんばら髪に触れる。彼女は拒まない。


「私、ナキ様が好きです」


 鬼が目を見開く。きゅっと小さくなった金眼が揺れていた。


「この命が尽きるまで、共にいたいと思うほどに……好きです。例え、今まで育ててくれた人たちに、恩を仇で返すことになったとしても。浅ましい女だと思いますか」


 一瞬の沈黙。私は縋るように鬼を見つめる。


「……お前には、かなわんな」


 白い手が私の手を取って鬼の元へと引き寄せる。そのまま私のてのひらに頬を押しつけると、鬼は眉を下げながら笑った。


「いいところに連れて行ってやろうか、澄子」

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