第168話 麹のこと

 昨日のことですが、国産の大豆と瀬戸内の藻塩と麹を購入しました。これらの材料でできるものといえば……味噌です。味噌の仕込み初めは、寒い冬が良いみたい。年始ということもあり、区切りが良い仕込みのタイミングになります。過去にも味噌は何度も作ったことがありました。手前味噌はとても美味しい。それでも、作り始めるとなると幾つかの精神的なハードルがあります。


 まず、流通が発展した現代においては、わざわざ作らなくてもスーパーに行けばコーナーに美味しい味噌が並んでいます。北は仙台の味噌から南は鹿児島の麦みそまで、様々な種類の味噌が選び放題。値段もそれなりにこなれていて、わざわざ作る必要を感じません。


 次に、料理のように直ぐに使えません。味噌は仕込んでからが長い。熟成させる必要があります。冬に仕込んで暑い夏を経験させると、それなりに美味しい味噌が仕上がります。でも、味噌の熟成はもっと長い方が良い。正月に仕込んだ味噌を、来年の正月くらいに使い始めるのがちょうど良かったりします。


 そんな味噌づくりを始めたのは、ポッドキャスト「RADIOただいま発酵中」を聞き始めたからです。それまでは「食べ物ラジオ」だったのですが、最新回まで聞いてしまいました。ポッドキャストでラジオを聞く習慣が身に着いたので、耳が寂しい。新しい情報のシャワーが必要でした。そうした中で選んだのが、またしても食い物関係です。


 「食べ物ラジオは」は、和食の調理人が和食を中心とした食全般をターゲットにして歴史や文化を語ってくれました。それに対して「RADIOただいま発酵中」は、発酵デザイナーという聞いた事もない肩書を持つ小倉ヒラクさんが、発酵に絞ってその歴史やサイエンスを語ってくれます。かなり面白い。で、味噌づくりを始めてしまったのです。


 昔は冷蔵技術がありませんから、味噌を始めとする発酵食品の最大の長所はその保存性でした。腐りやすい食材を微生物の力を使って長持ちさせるのです。ついでに、うま味成分であるアミノ酸が生み出され、美味しくなるという副次効果まで期待できました。


 長期保存の方法には大きく3種類あります。代表的なものが塩漬けです。浸透圧の働きで、細菌は細胞膜を分解されてしまい活動が出来なくなるのです。これによって、食材の長期保存が可能になりました。乳酸菌をはじめとする発酵のメカニズムは、ペーハー値を酸性に寄せることです。このことにより雑菌の活動が抑制されます。逆に燻製は、アルカリに寄せる効果がありました。この、塩、発酵、燻製が古代からの代表的な保存技術になります。


 発酵文化は、日本の食の歴史を支えていきました。代表的な発酵食品を羅列してみましょう。味噌、醤油、みりん、酢、これらは調味料になります。糠漬け、納豆、かつお節、クサヤ、塩辛、ヨーグルト、チーズ、パン、これらは食品になります。日本酒、ビール、ワイン、焼酎、ウィスキー、甘酒、プーアール茶、これらは飲み物になります。


 多いですね。現代では、発酵食品が存在しない食の世界は考えられません。これら発酵食品を生み出しているのは微生物の働きによるものです。微生物にも様々な種類がありますが、そのメカニズムは代謝になります。人間が食事をしてうんこをするように、微生物も食事をして排泄をするのです。その過程で生きるためのエネルギーを取り込んでいるのですが、この排泄行為が実は複雑な分子構造であるたんぱく質や糖分を分解していくのです。例えば、ビール酵母は、糖分を分解して二酸化炭素とアルコールを排出します。これら発酵食品の源流をたどっていくと、醤(ひしお)にたどり着きます。


 醤の文化は中国で生まれました。僕が勉強している飛鳥時代には、この文化がもう伝わっていたようです。醤には様々な種類があります。現代でも残っているのが、豆を使った味噌と醤油になります。他にも、魚なら魚醤や塩辛がありますし、滋賀の鮒ずしや伊豆のクサヤなんかも醤の仲間になります。これら魚を使った醤は寿司の原型だったりします。元々の醤は原料に肉が使われていました。でも、日本においては食肉文化そのものが仏教の影響で禁忌でした。だから肉を使った醤文化は残っていないようです。


 発酵を促す微生物の中には、日本にしか存在しないものがいます。名前をアスペルギルス・オリーゼと言います。日本では、この菌のことを国歌ならぬ「国菌」と認定していて、これが「麹」です。カビの一種になります。麹のメカニズムは少し複雑なのですが、ザックリと説明すると、たんぱく質をアミノ酸に分解したり、でんぷんを糖に分解したり、更には脂質をも分解するそうです。単体のカビなのに、様々な分解が出来る頑張りやさんです。


 昨晩から水に浸しておいた大豆を、二時間半も煮込みました。小一時間かけてすり鉢で潰します。麹と塩を混ぜ込んで、ポリの漬物樽に納めました。その作業をしながら、同時進行で、二つの発酵食品を仕込みます。玉ねぎ塩麹と甘酒です。玉ねぎ塩麹は、コンソメの代わりになるくらいに旨味成分が生成されるそうです。かなり期待しています。それと甘酒ですが、少しトラブりました。


 甘酒を作るためには、麹とお粥があれば良いのですが、問題は温度管理になります。レシピでは、炊飯器の蓋を開けたまま保温状態にすると簡単とありました。ただ、60度を超えてしまうと麹が死んでしまいます。暫く味噌作りに集中していたのですが、ふと炊飯器に指してある温度計を見ると70度になっていました。


 ――ゲッ!


 慌てて内釜ごと引き抜きました。我が家には、メーカーが違う炊飯器がもう一台あるのでそちらに移し替えます。注意して見ていましたが、55度くらいで安定しました。しかし、一度は70度まで温度が上昇したので、多くの麹が死んでしまったのではないかと心配です。経過を観察していますが、トロトロに溶け始めているし、ほんのりと甘くなっていました。たぶん大丈夫でしょう。甘酒の完成まで、まだ5時間もかかります。どんな甘さになるのか楽しみです。

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