第166話 紀行文後編ー風街
目が覚めたのは、昨夜に続きまた夜の1時でした。寝るのが早いから起きるのも早い。でも、起きたのはそれだけが原因ではありません。風でした。急な突風がテントを打ち付けたのです。僕にはテントに関する嫌な思い出がありました。
僕が自転車で日本を半周したのは、二十歳の時でした。大阪を出発して1号線を北上し、静岡を通過していた時の事の事です。時期は8月の下旬で、僕を追いかけるようにして大型の台風も北上していました。雨は昼過ぎから降り始めます。カッパを着込んでいましたが、全く効果がありません。何故なら暑さのせいで大量の汗をかいていたからです。箱根の坂を登り始めた時、雨にぬれても汗に濡れても同じならと、カッパを脱いでしまったことを覚えています。
息を切らせて箱根を登り切ると、峠に廃業した土産物屋がありました。入り口や窓にはベニヤ板が打ち付けられ、中に入れないようになっています。でも、嬉しいことにその建物には大きな庇が張り出していました。少々の雨ならこの軒下で防ぐことが出来ます。ここにテントを張ることにしました。一人用の携帯テントになります。ドーム型ではなく、横に長い三角型です。今では珍しいタイプだと思います。
ただ、問題なのはその設置場所でした。地面はコンクリートです。つまり、ペグを打つことが出来ません。打たなくても設置は出来ますが、風に弱くなります。でも、雨に濡れないという利点は大きい。食事を済ませた僕は、テントに潜り込みました。
夜中の3時頃でしょうか、台風が箱根を直撃しました。寝ていた僕は、突風によってテントと一緒に転がされてしまいます。寝ていた僕は、瞬間、何が起こったのか分かりません。寝ぼけた頭で、状況を確認するためにテントのジッパーを上げました。これがいけなかった。テントの中に強風が入り込み、テントの支柱が折れてしまったのです。テントは自立できなくなるし、雨と風が吹き付けるわで、僕も荷物も滅茶苦茶に濡れてしまいました。
そんな過去の記憶が過った僕は、慌ててテントから飛び出しました。僕が居なくなると重しがなくなります。強風によってテントが僕に覆いかぶさってきました。飛ばされそうなテントを掴みます。こんな状況下では、もうテーブルの上にテントを設置することは出来ません。かといって地面に設置するか……空を見上げると、雨はもう止んでいました。
――走るか。
昨晩と同じです。深夜からの出発。でも、昨晩と違ってガソリンは満タンです。眼も覚めてしまいました。手早く荷物を片づけます。忘れ物がないかに注意して、スーパーカブを走らせました。
本当は、この潮岬で初日の出を拝みたかった。でも、雨がやんだといっても星は見えません。雲は厚く立ち込めているようです。どうせ日の出は見えないでしょう。気持ちを切り替えることにしました。色々とありましたが、今は家に帰りたい気持ちで一杯です。実は口には出していませんが、家に居たくない理由があったのです。そんな気持ちもどこかに消えました。嫁さんに対する愚痴をグッと飲み込んで、ただ家族に会いたい。これが素直な気持ちです。偉そうに言いながら、実は僕の旅はただの逃避行でした。
真っ暗な中、海岸線を走ります。真っ暗過ぎて海が見えません。ただ、風だけが強く吹き付けてきました。時に、僕のスーパーカブが風に煽られて蛇行します。かなり危ない。幸いなことに、僕以外の車は殆ど走っていません。酔っ払い運転のような蛇行で、他車を邪魔するようなことはありません。安全運転で黙々と走りました。
紀伊半島を走り続けながら、地域によって特徴があることを感じました。伊勢から熊野までの道程は山間部が多く、スタンドは正月休みの所が多かった。伊勢周辺の山には茶畑がありましたし、農業や林業など地域的な産業に重きをなしていたのでしょう。熊野から串本までの海岸線は、多くのスタンドが開いていました。それは、観光地として産業が強いためです。漁業も含めて他にも産業はありますが、人を呼び寄せるコンテンツが地域にあるというのは大きな特徴でした。
串本から白浜までの海岸線は、夜間のドライブだったので正確に確認したわけではありませんが、漁港が多かったように思います。大きな街はなく、海岸線に張り付くようにして住宅が並んでいました。観光地はありません。ツーリングしている僕にとって助けになったのが道の駅になります。白浜までの道程に多くの道の駅がありました。これまでにもあったのでしょうが、僕が必要としていなかったので、気に留めていませんでした。なぜ、道の駅が気になったのかというと、眠気です。
走り始めた当初は元気よく走っていたのですが、次第に眠くなってきました。眠気を覚ます為に、スーパーカブを走らせながら大声で歌います。憶えている歌を次々と歌い続けました。でも、やっぱり眠い。横風ではなく、眠気による蛇行運転もしばしばです。これでは危ない。道の駅を見つけて、トイレに駆け込みました。便座に座って暫しの仮眠。そんなことを2回繰り返しました。ある道の駅では、自転車野郎がテントもなしに寝袋に包まって寝ていました。
――マジか!
かなり寒そうです。起こさないように、忍び足で立ち去りました。そんなことを繰り返しながら走っていましたが、僕の眠気もピークに達してきます。白浜の周辺に富田川が流れているのですが、スマホの検索によると河川敷公園がありました。そこに向かいます。トイレ付きの丁度良い公園でした。手際よくテントを張ると、直ぐに潜り込みます。あっという間に熟睡しました。
2時間近く寝ました。眼はパッチリです。朝の7時頃、辺りは薄っすらと明るくなっていました。寝袋とテントを干します。ラーメンの支度を始めました。湯を沸かすストーブは30年来の付き合いです。見た目はぼろいですが、風防があり堅牢です。いまだに現役です。辺りでは、ランニングをする人や散歩をする人、朝一番に何故か公園のトイレを使用する人が数人いました。そうした人々の視線に晒されながらも、僕はのんびりとラーメンを食べました。清々しい朝です。
手早く荷物をまとめると、直ぐに走り出しました。ガソリンは十分に残っていましたが、田辺にあるスタンドで満タンにします。これで憂いはなくなりました。後は、我が家に向かって走るだけです。田辺を過ぎて南部に入った時、僕は不思議なものを目にしました。
――えっ!
前方の山脈に顔を覗かせる様にして、白い風車が回っています。一台ではありません。幾つもあるのです。この時の僕の衝撃を、どう表現したら良いのだろう。大太法師(だいだらぼっち)が立ち上がっている。いや、そんな昔話じゃ伝えきれない。超大型巨人が強大な壁の上から顔を覗かせている――by進撃の巨人
兎に角、とっても驚きました。その大きさが桁違い。直ぐにスマホを取り出します。グーグルマップで「発電所」と入力しました。出ました。幾つも候補が表示されましたが、そのうちの一つに風力発電とあります。迷いもなく進路を変更しました。是非とも見てみたい。南部川を上流に向かって上っていき、途中左折して黒潮フルーツラインを使って山に登ります。辺りには、南高梅の畑が広がっていました。
僕の予想では、どこか公共的な発電所があり、その門前で行き止まりになるだろうと思っていました。ところが、グーグルマップが示す道程は南高梅の畑の中を突っ切っていきます。辺りの山が険しいために、あの巨大な風車が全く確認が出来ません。アスファルトだった道が、林道に変わります。僕はスーパーカブだから登れますが、車だったら登ることが出来ません。
――こんな道の先に発電所があるのか?
段々とグーグルマップが信用できなくなりました。AIといえども、時々馬鹿な選択をします。なんだか怖くなってきました。林道の坂道はかなり急です。ギアを1速に落とさないと登れなくなりました。岩も転がっており、タイヤがぐらつきます。不安に駆られながら走っていると、唐突にグーグルマップが現地に到着したことを告げました。でも、風車が見えません。あるのは登れそうな土の壁だけです。高さは3メートルくらいありました。仕方なしに登ってみます。
――あっ!
一気に視界が開けました。発電所でも施設でもありません。山の上に立ち並ぶ風車を観測するための、ベストスポットでした。わざわざグーグルがこの場所を表示してくれたその経緯は分かりません。でも、最高の景色です。白くて巨大な風車が目の前で、ゆっくりと回っていました。スマホを取り出して、シャッターを押します。太陽を背にしているので、空は綺麗な青に染められていました。ちょっと幻想的な景色です。風力発電に対する様々な意見もあるかと思います。しかし、圧倒的な存在感に、ただただ僕は心を打たれました。
紀伊半島の西側を走り始めてから、ずっと風に悩まされていました。一時的な天候ということもあるのでしょうが、風車が設置されているからには、やはり風が強い地域なのでしょう。そもそも日本は偏西風に影響されやすい国土です。立地的に和歌山は、風車の設置に適切なのでしょう。
驚きのまま進路をまた北に向けたのですが、その後は御坊でも有田でも当たり前に風車が設置されていました。山脈の上を戦隊もののゴレンジャーのようにポーズを決めて並んでいます。1基2基ではありません。6基も7基も並んでいるのです。最初の感動は、どこかに消し飛んでしまいました。何度も登場するので、ちょっと食傷気味なくらいです。
それでも、環境に考慮した発電システムということでは意味があります。そう言えば、行く先々で太陽光パネルの設置も多く見受けられました。景観にちと問題がありますが、これも時代の流れなのでしょう。外野である僕が、とやかく言える話ではありません。
その後は大阪まで、真っすぐに帰りました。ただ、大阪は信号が多い。紀伊半島と違って、距離のわりには走るのに時間が掛かりました。同じ50kmでも、紀伊半島なら1時間少々。大阪なら2時間は必要です。早く帰りたいのに、もどかしい帰路でした。なんやかんやありましたが、無事故で帰ることが出来たのが良かった。色んな方に伝えたいです。ありがとうございました。二泊三日の紀伊半島一周は、とても内容の濃い旅でした。
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