第164話 紀行文前編ー熊野
前回までは、正月にもかかわらず家族を置いて、独りで紀伊半島一周の旅に出たことをお伝えしました。最初の目的地は伊勢神宮。経由地としてまずは明日香村に向かいました。当時の飛鳥からの伊勢参りをイメージしたからです。明日香から伊勢までは深い山でした。都市部の平野で生活していると忘れがちなのですが、日本の国土の7割は山間部になります。行く先々で村がありました。険しい山の中での生活を、僕は経験したことがありません。どのような生活リズムで、どのような経済状況なのか気になりました。その思いは、その後に訪れる漁村部でも抱きます。
僕の仕事は、中央卸売市場での果実に関する売買です。日本各地の農家から収穫された果実が市場に送られてきます。果実だけでなく、野菜や魚も中央市場で扱う商品になります。紀伊半島一周で目にした産業は他にもありました。木材、秋刀魚、マグロ、みかん、梅、桃、日本でとれた様々な生産物や商品が日本中に循環する仕組みが出来ています。僕はマクロの視点でざっくりと見ていただけですが、ミクロの視点で現場での声を聞いてみたいなと思いました。
深い山間部を50ccのスーパーカブで走るのは非常に気持ちが良かった。大型のバイクにはスピードでは敵いませんが、50ccには50ccなりの楽しみがあります。これは僕の持論なのですが、旅は遅ければ遅いほど味わいが深くなると思っています。大自然の雄大さも、人間が作り出した偉大な建造物も、足を止めて見つめなければその素晴らしさは分からない。速いと細部を見逃してしまう。ただ、遅すぎると目的地に到着するのに時間が掛かります。遅いスーパーカブの魅力は、その絶妙のバランスだと……自分に言い聞かせています。
昔の僕は自転車少年だったので、最高は自転車だと今でも思っています。今回の紀伊半島一周でも、この寒い冬に自転車野郎が走っていました。「頑張れ~」って、心で応援します。ただ、50も超えるとちょっと辛い。スーパーカブが相棒です。ただ、スーパーカブにも欠点があります。それは、定期的にガソリンを給油しないと走らない。今回は、そうしたトラブルを起こしてしまいました。
伊勢神宮に向かうまでは、伊勢での給油を考えていました。ところが、伊勢参りを終えた僕は、そのことをすっかり忘れてしまったのです。想像以上に伊勢神宮が良かったことが原因です。歴史を感じました。土産物屋が立ち並ぶ「おかげ横丁」も含めて、古代から現代まで多くの人々が伊勢を目指すそのエネルギーに侵されました。ごった返す参拝者に揉まれながら、そのエネルギーの源泉に思いを馳せました。
伊勢から熊野までは、険しい山間部の道が続きます。お隣は有名な大台ヶ原。都市部では自制していたスピードも、山間部では心なし乗ってくるものです。ところが、気持ち良く走っていたスーパーカブが突然走るのをやめました。プスンッ!
――ヤバい!
うっかりしていました。リザーバータンクに切り替えたので、もう暫く走ることは出来ます。ガス欠の経緯は、旅先で手短に投稿したのでこれ以上語りませんが、初日の野宿だけご紹介します。ガス欠になった場所は「うめがたに駅」の周辺でした。あと一息で、紀北町になります。傍に小さな梅ケ谷川が流れていて、その川沿いに倉庫らしきあばら家がありました。向かいには大きな木が立ち並んでいて、良い目隠しになります。その木の下にテントを張ることにしました。近隣には、住居があります。人目を忍んでの野宿になりますので、ランタンは点けません。暗闇で作業をしました。暗闇と言っても、空には月や星が瞬いていますし、遠くから街灯の明かりも届きます。目が慣れてくると案外と見えるものです。
晩ご飯は、七輪を使った焼き鶏でした。いつものメニューです。体を温めるために、インスタントの豚汁を用意していました。一泊二日の野宿なら、いつも酔いつぶれています。しかし、今回は二泊三日の工程なうえに、予定外の宿泊でした。明日以降の予定がたっていません。明日に備えて、ビール3缶に抑えました。
寝袋に潜り込むと、鹿の鳴き声がよく聞こえました。鹿の鳴き声を聞いたことありますか? 女の人が叫んでいるような甲高い声で鳴くのです。ケーン、ケーンって。人が住んでいる村ですが、野生との境界線が曖昧な地域であることを感じました。特にそれで不安になることはないのですが、不安といえば人の目の方が怖い。
「誰に断って寝てるんだ!」
と怒られたら、50を超えたおっさんが平謝りするしかありません。
19時に寝始めた僕は、夜の1時に目が覚めました。ガソリンのことを考えだしたら、ますます目が冴えてしまいました。今後の僕が取るべき選択について思案します。まず、給油が出来るか出来ないかで大きく行動が変わります。ガソリンが手に入らなかったら、歩けるだけ歩いてどこか海岸で一泊しなければならない。心配事は天気です。天気予報では14時くらいから雨が降ることになっています。その14時までに、雨でも宿泊がしやすい場所を見つける必要がありました。四日になれば、さすがに営業を始めるスタンドがあると思うので、ラスト一日で大阪に帰らなければなりません。残りの走行距離は、およそ400km。ちょっと無理がありますが、出来ない距離ではない。夜中まで走ったらよいのです。給油が出来たら、雨でも構わず目的地である串本に向かいます。たとえ大雨になっても、出来るだけ残りの距離を減らしたい。
夜中でしたが、寝袋から飛び出しました。暗闇の中、テントを仕舞い荷物をまとめます。忘れ物がないことに注意して、スーパーカブを押しました。出発です。スマホで調べた情報によれば、紀北町には4件のスタンドがあります。どれかはヒットするだろうと考えていましたが、甘かった。その後、延々と30kmも歩き続けて、尾鷲市の一つ手前にある相賀で親切な人に助けられます。この内容については、前回にご紹介しました。
30kmという距離は長い。休憩も含めて9時間もかかりました。でも、40代の頃の僕は、100kmマラソンも完走しています。このような状況に少しばかり耐性がありました。全くもってしんどいですけど、辛くはなかった。それよりも、歩きながら熊野周辺の街並みや自然に目を奪われていました。スーパーカブで走っていたら分からなかった。僕は写真を撮ることも好きなので、良い景色を見つけると直ぐにスマホを取り出します。幾つかの写真はインスタにアップしました。
走り出したスーパーカブが尾鷲市に入ると、幾つかのスタンドは営業を始めていました。というか、その後は、熊野、新宮、串本と大きな街が続くのですが、どこも営業しています。今後もガス欠には注意が必要ですが、心配事の一つは無くなりました。
尾鷲市を後にすると、国道42号線は海岸線を離れて熊野の山間部に入ります。ここの景色が凄かった。国道42号は、さながら銀河鉄道999のようにどんどんと山を登っていきます。デコボコの足踏み健康器具のように大小の山々が、天に向かって背伸びをしています。その切り立った山と山の間にいくつもの橋がかけられていました。この道をスーパーカブで走ると、まるで山の間を飛んでいるような錯覚に襲われるのです。カブなので気軽に停車できました。スマホを構えます。雄大な景色を写真に収めようとしました。
――無理なんです。
写真にも得手不得手がありまして、大自然の魅力を写真に収めるのはとても難しい。どうしてものっぺりとした景色になってしまいます。理由は簡単で、写真は2D、視覚は3Dだからです。僕が写真を撮る時は、いつも主役を探します。それだけで写真は生き生きと動き出します。でも、大自然の主役は全部なんです。その全部を収めようとすればするほど、平坦になってしまう。だから、現地に赴かないとなかなかその雄大さが分からない。
熊野市から串本までは海岸線が続きます。とうとう雨が降ってきました。僕自身がカッパを着込むことは勿論のこと、荷物にも大きなゴミ袋を被せます。順調に走りました。順調すぎるくらいです。このままでは、15時までに串本に到着してしまいます。そのまま走り続けて、宿泊場所を串本よりも先に設定しても良かったのですが、僕は本州最南端で宿泊することにこだわっていました。雨の中ですが、余った時間を観光に使うことにします。
最初の観光地は、那智の滝です。国道を離れて、山を登っていきました。まー、それなりに凄かったです。日本の三大瀑布の一つだそうです。神武天皇も足を運んだと解説がありましたが、本当かな? 折角なので足を運びましたが、あまりにも観光地化しすぎていて、ちょっとガッカリ。何と言うか、大自然は人間界から隔離されているから凄いんであって、人間に管理された途端、なんだか小さく感じてしまいます。なんだか悪口みたいで申し訳ないのですが。長くなりましたので、続きは後編になります。
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