第158話 酒粕

 生まれて初めて、酒粕を購入しました。魚の粕漬を食べてみたかったからです。切っ掛けは、職場の会長から頂いた奈良漬でした。


 ――好きですか? 奈良漬。


 子供の頃に食べたイメージは、マズイ……でした。癖が強くて、アルコール臭が口の中に残ります。それ以来、食べる機会がありません。ところが、老眼に悩む50代にして初めて、奈良漬を美味いと感じました。ゆっくりと噛みしめて、口の中全体で深い味を楽しみます。……美味い。


 自分で作ってみようかなと思いレシピを調べてみたのですが、糠漬けや浅漬けとは違い時間も手間もかかる漬物でした。干して、塩で水抜きをして、また干して、それから酒粕で漬けこみます。漬け込む期間は、2カ月でも3カ月でも良いのですが、美味しいものを食べたければ半年は必要だそうです。更に美味しいものを食べたい場合は、粕床を新しくして追加で2カ月間漬け込むと良いそうです。


 う~ん。奥が深い。奥が深いうえに、漬け込むとなると結構な出費も覚悟する必要があります。既製品の酒粕を使っていたんでは、ひと樽単位で軽く1万円コースです。そんなことを調べていると、魚の粕漬や粕汁の紹介ページも目にすることになりました。そういえば、粕汁も苦手だったイメージがあります。どこで食べたのかも覚えていません。魚の粕漬に至っては、食べたことすらありませんでした。奈良漬が美味しいと感じた今の僕なら、きっと美味しいと感じるはずです。――LET’S TRY!


 酒屋さんで日本酒と一緒に酒粕を購入しました。その足で、新鮮な魚を売っているお得意さんの店に行きます。粕漬に使う魚は、鮭、鰆、鱈、金目鯛が一般的みたいですが、今回は鯛にしました。肉厚があり美味しそうだったからです。漬け込んだ鯛の粕漬を持って、京都にいる伯父さんに会いに行きました。キッチンを使わせていただき丁寧に焼きます。焦げやすいそうなので、何度も焼き加減を確認しました。お酒は、伯父さんが用意してくれた純米酒です。


 ――美味い!


 日本酒のアテは、何といっても魚が最高です。そもそも「魚」の本来の読み方は「うお」でした。なぜ「さかな」になったのかというと、「酒菜」が由来だからです。古来から、日本酒と魚の付き合いは古かったわけです。本当に、美味しい。


 日曜日の朝、鯛を漬けこむのに使った粕床を使って、粕汁も作ってみました。具材は、鮭を主役にして、レンコン、ごぼう、人参、きぬさやの豪華メンバーになります。酒粕と一緒に味噌も合わせて溶かしました。


 ――ああ、美味い!


 酒粕そのものが上品で美味しかったこともありますが、子供の頃に抱いていた酒粕に対する苦手イメージが溶けていきました。ほのかな甘みの奥に、発酵食品だからこその旨味が白い絹の織物のように広がっています。とても滑らかで、包まれてしまうような優しさがある。ただ、ただ、美味い。


 美味しさって、理解するほどに深まっていくものだと思います。子供の頃って、シンプルに甘いものが美味しくて、苦い物や酸っぱい物それに癖のあるものを嫌がります。それは、毒物を口にしないための安全装置だったりします。昔は、子供の生存率が低かった。10人生まれて3人しか生き残れなかったなんて、ザラです。食べ物が少なくても死にますが、有害な食物を口にすることでも死にました。そうした、人間の味覚は大人に成るにつれて、理解度が深まっていきます。世界で最も飲まれているアルコールは、ビールになります。あの苦い飲み物、僕も好きです。でも、初めて口にした時は、不味かった。父親は、ビールを舐めて顔をしかめる僕の顔を見て笑っていました。今は、ビールだけでなく、酒粕も大好きです。

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