第145話 禁じられた遊び

 高校生になる次男の為にギターを買いました。初心者用の安いギターです。次男はとても喜んで練習を始めました。僕も……実は練習を始めています。練習と言っても、何から始めたらよいのか分かりません。ネットをググると出るは出るは、ギターの練習に関する動画が。グーグル先生、マジで凄いです。差しあたって、始めた練習曲はビートルズの「Let It Be」になります。


 僕にとっての音楽の原点は、ビートルズになります。若い頃は「ビートルズ以外は音楽じゃない!」みたいなノリでして、宗教のようにのめり込んでいました。そんなこともあって「Let It Be」の練習動画を見た時に震えたんです。僕にも出来るのかなと。


 でも、やっぱり難しいですね。練習曲として「Let It Be」は比較的簡単な部類になるようですが、指が動かない。コードの押さえ方を頭で憶えても、指がカクカクとしか動かなくて、そもそもリズムにならない。それに初心者の難関コードである「F」に手こずっています。頭の中では「Let It Be」のあの切ないようなメロディーが流れているのに、実際の音は雑音です。


 そんな練習を繰り返しながら、有名なギター曲を思い出しました。「禁じられた遊び」です。実は、20代の頃に練習していたことがありました。一音一音弦を押さえながら、メロディーを探します。段々と思い出してきました。楽しい。練習をしていると、1時間ぐらいはあっという間に過ぎ去っていきます。


 ところで、映画の「禁じられた遊び」をご存じでしょうか。戦争によって両親と飼い犬が亡くなってしまった幼い少女が主人公の映画です。少女は幼すぎて、死というものが分かりません。彼女を守ろうとする男の子は、死んだらお墓に埋葬することをその少女に教えます。少女は、飼い犬の為にお墓を作りました。でも、一匹だけでは寂しそうなので、次々とそれ以外の動物のお墓を作っていくのです。このおままごとが「禁じられた遊び」になります。


 宗教の源流は、先祖供養になります。縄文時代の日本においても、死者が手厚く葬られています。大雑把ではありますが、この死者に対する考え方を拡大解釈していったのが宗教と言っても良いかと思います。キリスト教では、死後に天国と地獄の存在を示しました。神道では、死者が住む冥界の存在を説いていますし、権威がある存在は神になると考えられました。仏教においても天国と地獄を説いています。でも、ほかの宗教にない特異な考え方が輪廻転生になります。それぞれに解釈が違っており、そこから思想的な性格の違いが生まれました。


 これらの思想は、同じ宗教を信じるコミュニティーの行動に影響を与えます。行動を起こす時、人は自分が信じている思想に準じてしか行動を起こすことが出来ません。例えば、朝起きたら歯を磨きますね。その行動は、磨かなければ虫歯になるというロジックを信じているから、毎日欠かさずに歯を磨いているのです。僕たちの行動の全ては、この信じているロジックに起因しています。そのロジックが体系化されると宗教になります。


 僕が勉強している聖徳太子は、神道が中心の環境でありながら、子供の頃から仏教を学びました。とても聡明な子供だったようで、当時では読める人が少なかった漢字をすらすらと読めるのです。当時の漢字の存在は、とても大きかったでしょう。そもそも文字が無かった日本において、漢字は魔法のようなものだったと思います。日本に電線が敷かれた時、当時の人々は遠方に声が届くことに驚きました。その位のインパクトがあったのではないでしょうか。


 漢字が読めることで、当時の日本には無かった大陸の価値観を感じることが出来ます。聖徳太子は、貪るようにしてそれらの価値観を吸収していったと思います。そんな折、丁未の乱が起こりました。蘇我馬子と物部守屋が衝突した戦争です。軍の総大将物部守屋は強い。馬子率いるヤマト連合軍を3度も返り討ちにします。その劣勢の最中、若干14歳の聖徳太子は一計を案じました。得意だった(かは知りませんが)四天王の像を彫りました。その像を、気落ちしているヤマト連合軍に見せて叫ぶのです。


「皆の者、我々には仏教の守護者である四天王のご加護がある。この戦は勝った!」


 宗教の力です。信じるという行為は、人々に勇気を与えます。巻き返したヤマト連合軍は再び守屋の陣営に襲い掛かります。それも狂気の如く。棟梁である守屋が討たれるだけでなく、凄惨な殺戮が行われました。日本書紀には、捕鳥部 万(ととりべ の よろず)の話が記載されています。守屋の家臣であった万は、追討軍に追われます。山中に逃げ込んだ万が、大声で叫びました。


「俺は大王の盾として、武勇を示してきた。なのに、なぜ追いつめられ、今まさに殺されようとするのか」


 矢をつがえ剣を持ち、30人もの兵士を返り討ちにします。しかし、切りがありません。小刀を掴み、自分の首を刺しました。自害した万の元に、兵士が群がります。体は八つに裂かれ、それぞれの部位が槍に刺されます。兵士たちは、それを振り上げ勝鬨をあげました。その有様を見て、聖徳太子は何を思ったのでしょうか。


 純真無垢で理想に燃えた聖徳太子。宗教の力で、戦争に勝つことは出来ました。しかし、その事に満足したのなら、その後の聖徳太子は生まれなかったと思います。深い後悔に苛まれたのではないでしょうか。その後の聖徳太子は、第一回遣隋使の外交で失敗をします。国家の基盤を作る必要性を感じて、十七条憲法や冠位十二階の制定に関わるのですが、もう一つ注目したいのが四天王寺です。


 丁未の乱のおり、「勝利したならば四天王寺を建立する」と請願していた聖徳太子は、物部守屋の領地に四天王寺を建立しました。このお寺の特徴は、四箇院があることなのです。四箇院とは、敬田院、施薬院、療病院、悲田院の4つです。このうち、施薬院と療病院は薬局や病院のことで、悲田院は病気を患った方や身寄りのない老人の看護を行う施設になります。


 当時のお寺は、現在とは少し感覚が違います。仏舎利を納める五重塔や仏像は安置されていましたが、現代でいうところの学校に近い。哲学的な仏教の勉強だけでなく、建築学を始めとする様々な学問を学んでいました。そうしたお寺に、聖徳太子は病院や介護施設を併設したのです。僕は、丁未の乱の影響が大きかったと考えています。戦争により、多くの被災者が生まれたはずです。彼らの救済が意識されていたのではないでしょうか。


 聖徳太子の政治的な活躍は、20代までです。28歳の頃には斑鳩宮を建設して、飛鳥の地から離れました。その後は、歴史書の編纂や、仏典の研鑽が中心になります。僕の勝手な推測になりますが、丁未の乱も政治的な取り組みも、聖徳太子にとっては後悔の連続だったのではないでしょうか。聖徳太子こそが仏教に救いを求めていた。そのように感じています。幼い頃の聖徳太子にとって、仏教は「禁じられた遊び」だったのです。

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