第142話 今だけ金だけ自分だけ

 先日、お世話になっている先輩と話をする機会がありました。大柄な体格でビートたけしの映画「アウトレイジ」に出てきそうな強面のイケメン……なのですが、物腰はとても柔らかい。還暦になった今も英会話の勉強を続けており、ラジオ英会話は欠かさず聞いているそうです。そうした先輩が「海外に行くことは、ないんですけどね」と自嘲気味に呟きました。還暦を過ぎれば、誰しも人生の最後について意識するんだと思います。

 「まだまだこれからですよ」

 僕の軽い言葉に、先輩が苦笑いました。


 ――何のために英会話の勉強を続けるのか?


 この問いかけは、学生なら答えやすい。外交官になるんだとか、世界を旅するんだとか、夢を持って答えることが出来ます。ところが、人生も半ばに差し掛かると自分の死が身近になってきます。僕も、50歳そこそこですが、自分の死は漠然と感じています。だから、自分の痕跡を残そうと文章を書いているような気がします。その先輩が、面白い話をしてくれました。それが表題にも示した言葉です。


 ――今だけ、金だけ、自分だけ。


 現代の世相を表した言葉になります。「今だけ」は、過去の歴史に学ばず、長期的な計画もなく、今の快楽しか求めていない。「金だけ」は、人生の幸福の尺度を金の有無だけで判断する。「自分だけ」は、自分の利益にしか関心がない。内容もさることながら、言葉の語呂がとても良い。上手いことをいうなーと感心しました。試しに、この言葉をネットで検索したらヒットしました。東京大学の先生が言った言葉だそうです。


 この言葉に影響を受けた方は沢山いるようでして、自分なりの考察を述べたサイトがワラワラと並びます。多くの意見は、この言葉の反対の事が大事だとまとめていました。今だけではなく長期的スパンで物事を考えなければいけない。このままでは地球が滅亡してしまうぞとか。人生の幸福は金だけじゃない。もっと多様性が必要だとか。人々は力を合わせて助け合う必要がある。自分の事だけ考えるなとか。


 なかなか耳の痛い話でして、全くその通りです。そのようにしていかなければならない。でも、出来るんだったら、二千年前に釈迦やキリストが人々に語り掛けた時点で解決していたはずです。ところが偉大な先人が口を酸っぱくして訴えかけても変わらない。変わらないどころか、大きな世界大戦を二度も経験したというのに、また戦争が起きています。環境問題も深刻で、人類全体の未来に暗雲が立ち込めています。


 先日、進撃の巨人を観終わりました。長い長い物語の中で、登場人物たちは、お互いの正義を振りかざして戦います。悲しいくらいに戦いを続けて結末に至りました。しかし、作者は手を抜きません。人間の争いがその後も続いていくことを暗示します。これは、人間に科せられた宿命なのでしょうか。


 巨大な壁の中で暮らすエレン・イェーガーは、壁の外にある自由な世界を夢見ました。自由を求めます。その夢を実現する為に戦いました。そう、障害と戦うのです。自由の対価が、誰かの不自由なのであれば争いが終わるわけがありません。


 ――じゃ、どうすれば良いのか。


 難しい問題です。極論を言うと、エレンの行動も「今だけ、金だけ、自分だけ」だと思うのです。守備範囲は広がっていますが、基本的な構造が同じだからです。「駆逐してやる」と決意した感情のままに行動を起こしました。金には関心がありませんが、自分と関わった仲間や家族の幸せは一番に考えます。その為に、自分を取り巻く障害と戦いました。


 宗教戦争という言葉があります。歴史的に十字軍の遠征がありましたし、現在のイスラエルとパレスチナの争いも宗教戦争と言えます。僕が勉強している聖徳太子の世界でも、蘇我氏と物部氏が衝突しました。世間的には、仏教と神道の戦争だと解釈されています。ただ、これらの歴史を紐解いていくと、領土争いや食糧問題、それから王様の個人的な恨みといった現実的な問題が見えてきます。つまり、宗教戦争の根本的な原因は宗教ではなかったりします。じゃ、なぜ宗教戦争とひとくくりにして呼ぶのでしょうか。それは、戦争をするためには、組織的に団結させる必要があったからです。


 十字軍の遠征をおこなう時、教会はその行為を聖戦と呼びました。キリスト教的には人間の死は終わりではありません。死後に、天国と地獄が待っているのです。当時の人々が恐れたのは死ぬことではなく、死後に地獄に落とされることだったのです。その救済として、十字軍の遠征に特別な意味が添えられました。遠征に参加して死ぬことになっても、それは天国へ向かう道だと教会は示し人々をまとめ上げたのです。


 太平洋戦争も、同じように宗教戦争だと言えます。日本の軍部は、天皇を中心とする神道を使って日本国民をまとめ上げました。天皇の為に死ぬことが正義だと信じ込ませます。神風特攻隊が組織され、多くの若者が散っていきました。自分が属するコミュニティの利益を守るために、宗教を使ってまとめ上げ、障害となるコミュニティと戦争をするのです。国民や信者は、利用されただけの被害者です。酷い言い方をすると「今だけ、金だけ、”俺のため”」じゃないでしょうか。


 釈迦は、このような世界を見て諸行無常という言葉を残しました。諸行無常の考察は行いませんが、仏教という思想はこの混とんとした社会を見据えたうえで展開されていきます。元々は宗教ではありません。人間の幸福についての哲学になります。そうした仏教も宗教にされてしまい、人々をまとめ上げる道具として利用されました。そもそも日本に仏教が公伝された理由も、戦争の対価だったのです。当時は、百済と新羅が対立していました。百済は、日本が朝鮮半島に出兵する対価として仏教を伝えたのです。


 話を展開し過ぎました。先輩は還暦を迎えても、英会話の勉強に取り組んでいます。その姿が尊い。人間、幾つになってもチャレンジ精神は必要です。老いているからは言い訳になりません。老いていようが若かろうが、「今」という瞬間を生きている人って素敵だと思います。自由とは、自分を取り巻く環境の事ではない。どのような環境に置かれようとも、喜びを見出そうとする心構えのような気がします。

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