第138話 冷蔵庫って凄い
「今日のご飯、なに?」
夕方の6時ごろ、台所で皿洗いをしていると末っ子のレントがやってきました。
「ん~、麻婆豆腐か天ぷら。どっちがいい?」
「じゃ、天ぷら」
子供からのリクエストがあったので、俄然料理に力が入ります。テンションが上がりました。天ぷらのネタの一つは決まっています。鶏のむね肉です。鶏天は、地域によって味付けは色々です。僕の好みは九州方面の味付けだそうで、生姜と砂糖をまぶします。砂糖を使うなんて意外に感じるかもしれませんが、これが美味しい。皿洗いが終わったので、最初にむね肉をカットしました。むね肉を美味しく食べるためのひと工夫は、調理前に酒やみりんに漬けておくことです。そうすることで、ジューシーでプリップリな鶏天になります。その漬けこみ時間が必要なので、むね肉の仕込みを最初にしました。
冷蔵庫の扉を開きます。豚肉、カボチャ、長芋、シシトウ、椎茸、レンコン、人参……。天ぷらに使えそうなネタが色々とありました。次に、豚肉を仕込みます。適当にカットして塩コショウをまぶした後、余っていたヨーグルトに漬けこみました。柔らかくするためです。揚げるときには更に海苔を巻きます。他にも、カボチャや長芋など次々とカットしていきました。でも今回は、かき揚げはやめることにします。大好きなんですが、今回はネタが多い。用意したネタだけで台所が一杯になりました。
美味しい天ぷら食べるために、衣をカラッと揚げたい。これまでにも氷を入れて冷やすのですが、カラッと揚げるのはけっこう難しい。ネットで調べることにしました。天ぷらの衣については、皆さん悩んでいるんですね。専門のサイトが沢山ヒットしました。衣にお酢を入れるレシピがあります。知らなかった……。でも、今回は水ではなく炭酸水を使うレシピを試すことにしました。何故なら、我が家は炭酸水の使用率が高い。僕はハイボールを飲むし、嫁さんは漬け込んだ梅酒を炭酸で割ります。その炭酸水が微妙に残っていたからです。これが大正解。炭酸水を使うことで、天ぷらの衣がカラッと揚がりました。とても美味しい。次々と天ぷらを揚げながら、僕はビールや熱燗を飲みます。キッチンドリンカー。これが美味しい。飲みながらラジオを聞いていました。嫁さんから勧められた「食べものラジオ」です。
今回のお題は「冷蔵庫」。高度成長期の三種の神器は、冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビになります。どれも画期的な発明ですが、テレビは特に凄い。情報を人々に届けることで社会を変革していきました。三種の神器の筆頭と言っても良いでしょう。そうしたテレビと比較すると冷蔵庫は地味に見えます。しかし、この冷蔵技術がなければ、今頃、この地球で第三次世界大戦をしているかもしれません。それくらいに凄い技術になります。
想像してみてください、冷蔵技術がない社会を。僕は天ぷらを作っていますが、これらの材料は冷蔵庫があったから用意することが出来ました。冷蔵技術は、食物の腐敗を止めて保存することが出来ます。もし、この世に冷蔵庫が無かったら、家庭で天ぷらを調理することは出来ません。同じように、小売屋も現在のような品ぞろえで商売をすることは出来ないのです。
僕は中央卸売市場で仕事をしていますが、市場は日本中からいや世界中から野菜や果実それに魚介類といった食料を集荷して皆様の家庭に届けています。これは冷蔵技術があるから可能なのです。冷蔵された状態で産地から市場に、更には小売屋まで運ぶ流通のことをコールドチェーンといいます。現代の流通は、この温度管理をとても重要視しています。だから新鮮な野菜や果物を食べることが出来ます。
輸送だけではありません。保存技術も日々発展しています。昔と違って、冷凍食品がとても美味しくなりました。それに案外と安い。日々相場が変わる野菜と違って、冷凍食品は価格が安定しています。もちろん冷凍技術のお陰です。また夏に林檎を食べることが出来ますが、本来、夏は林檎の収穫時期ではありません。当然、冷蔵庫に入れて保存しているのですが、冷蔵するだけでは流石の林檎も腐ってしまいます。秋に収穫された林檎を夏場に美味しく食べるためには、CA貯蔵という特殊な冷蔵庫が必要になります。CAとは、Controlled Atmosphereの略でして空気を調整するという意味になります。酸素を10分の1に調整して林檎の呼吸を制限することで、1年でも2年でも貯蔵することが出来るのです。
冷蔵技術は、古代から続く大きな問題の一つを解決したかもしれない。食糧問題です。古代から続く戦争の発端は、食糧を確保するためでした。人間が生きるために直接影響する食物を、いかに確保できるのかは国家的な課題です。戦争で土地を奪い、農地を広げることで対処してきました。その食糧問題に対するアプローチを、冷蔵保存で迫ったのです。実際に、冷蔵技術の発展と共に世界人口は増加しました。
詳細は省きますが、冷媒を使った現在の冷蔵技術が確立されたのは19世紀のことです。ざっと200年前。家庭に冷蔵庫が普及するようになるのは、それから100年後の20世紀に入ってからです。200年前の世界人口はおよそ10億人。現在は80億人です。増え方がエグイ。この人口増加は、生産性の向上や資本主義の発展といった様々な要素が絡むので、冷蔵技術だけが起因するわけではありません。でもやっぱり凄い。
日本においては、戦後の高度成長期になってから、やっと冷蔵庫の価値が認知され始めます。つまり、僕たちが普通と思っている冷蔵庫がある家庭は、まだ100年にも満たない歴史なのです。
「今日のご飯、なに?」
レントが何気なく僕に問いかけましたが、この問いかけは昔では考えられません。冷蔵庫がなかった時代は、貯蔵するというのは干物や漬物のことだったからです。食物にも旬があるので、現代のように夏に大根はありません。限られた食物で、食事を用意する必要がありました。昭和以前の晩ご飯のメニューは、ほとんど一緒だったようです。ご飯、みそ汁、お漬物、贅沢するなら焼き魚。そんな感じです。
現代では、家庭で調理を楽しむようになりました。ハンバーグ、カレーライス、おでん、焼き飯、お好み焼き、スパゲッティ、親子丼エトセトラ。豊富な食材を使って、美味しい晩御飯を用意することが出来ます。生きるための食事から、楽しむための食事にシフトしています。この感覚は、芸術に近いような気がします。ただ、難点は僕も子供たちも舌が肥えました。同じ晩ご飯が続くと、不満を言い始めます。毎日の晩ご飯を、何にしようかな~と悩むのは、冷蔵庫が起因していたわけです。
面白いなーと思います。昔と今と、この感覚の違いを理解することは、僕にとって非常に有益でした。僕は、古代の人々がどのように生活していたのかを知りたいと思っています。毎日の食事の事、着る服の事、どんなことを楽しみにしていたのか。そうした一つ一つを追いかけています。当たり前だと感じていたことが、古代では全く違っていたりします。天ぷらを揚げながら「食べものラジオ」を聞いて、そんなことを考えていました。
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