第137話 奈良紀行ー下見ついでにツーリング

 聖徳太子の物語を綴ってみたいと思い立ち勉強しているわけですが、本を読むだけが勉強ではありません。実際に現地に訪れて、史跡や博物館を見学するのも大切な勉強になります。現在、奈良国立博物館で正倉院展が行われております。正倉院は、8世紀の奈良時代の名品を所蔵していました。ですから、僕が勉強している6・7世紀の飛鳥時代からは100年以上後の時代になります。直接的な資料ではありませんが、それでも古い名品を見学できるのは貴重な体験です。当時の人々が何を求め何を思考したのか、正倉院展で感じてみたいと思います。


 正倉院展に行くのは11月になってからです。そのタイミングで、ソロキャンプも楽しむつもりです。当初は、生駒山麓でソロキャンプをするつもりでした。2回に分けて下見に行ったのですが、思うような場所がありません。僕の希望は、誰の迷惑にもならなくて、人里から離れていて、自然を感じることが出来て、スーパーカブを横付けできる場所です。広い場所は必要ありません。焚火はしますが、携帯用の七輪を使うので環境は破壊しません。ゴミは持って帰ります。寒くなってからのキャンプが好きなので、秋という気候は最高です。行き当たりばったりで宿泊地を見つけても良いのですが、暗くなっても見つからない場合はかなり焦ります。そんなことを何度も経験しているので、今回は下見に行くことにしました。


 朝の7時に出発しました。僕は大阪北部地域に住んでいるので、奈良に行くためには大阪と奈良を南北に分断している生駒山脈を越える必要があります。山脈の北側にある清瀧峠を越えてスーパーカブを走らせていくと、山間が切れて目の前に奈良盆地が広がりました。朝の通勤ラッシュの時間帯なので、ところどころで渋滞に見舞われましたがおおむね快調です。あまりにも快調すぎて9時になる前には平城宮跡公園に到着してしまいました。今回のツーリングの主たる目的はソロキャンプ地の下見です。でも折角なので色々な史跡や博物館も見学したい。その最初の目的地が平城宮でした。


 平城宮は、奈良時代の日本の首都になります。唐の長安の都を模して建造されたようですが、現在は残っていません。その古の都を復刻して平城宮跡公園として整備しています。バイクを止めて北を眺めると、赤くて大きな朱雀門が見えました。昔は陰陽五行説をベースにして東西南北を表しています。だから南の大門は朱雀門になります。天皇は北側にある大極殿で政務を司るので、この朱雀門は朝堂の入り口です。かなり立派な門で、全体的に朱に染められていて、兎に角デカい。


 大阪城がある上町台地に大阪歴史博物館があるのですが、ここに難波宮の模型が展示されています。その模型でも、朱雀門を初めとして朝堂や大極殿が再現されていました。とても精巧で分かりやすい。しかし、ちょっとミニチュアすぎて大きさの実感までは分からなかった。ここ平城宮なら、その大きさが実感できます。


 京都の御所もそうなんですが、滅茶苦茶に広い。朱雀門の前の広場だけでもかなりの大きさです。小学校の運動場くらいなら3つ4つくらい楽に入るんじゃないでしょうか。案内板には、この広場でお祭りなどの催事が行われたという紹介がありました。戦になれば、この広場に兵士も集められたのでしょう。1万人くらいなら整列が出来そうです。写真を撮りつつ、朱雀門の裏手に回り込みました。いよいよ朝堂です。


 ――えっ!


 何もない、広い広い原っぱでした。ススキが風に揺れています。朝堂があった場所には近鉄電車の線路が走っていて、貧弱な踏切がカンカンカンと鳴りながら通せんぼをしていました。北の先の方に大極殿を初めとして復刻工事がまだ行われています。朱雀門の南側があまりにも観光地化していたので、同じように期待していましたが、平城宮の復刻はまだまだこれからみたいです。でもね、それも良かった。


 ――栄枯盛衰。


 僕にとっては、観光地化した平城京よりもぺんぺん草の平城京の方がなんだか親しみがわきます。歩き回り、その広さを堪能してきました。


 平城宮を後にした僕は、正倉院展が行われる奈良国立博物館に向かいます。今回は、場所と駐車場の確認だけで入場はしません。その後、キャンプ地を探しに行きました。詳細は述べませんが、案外と苦労しました。観光地ということもあるのでしょうが、山への入場が制限されているのです。林道の入り口を見つけても、門が設けられていました。丁寧にカギまでかけています。北摂の山ならもっと自由なのに……そんな不満を心に抱きつつも、なんとかテントを張れそうな場所を見つけました。誰の迷惑にもなりませんし、ゆっくりと一人を満喫できそうです。


 目的を果たした後は、いよいよ史跡めぐりです。今回のテーマは、聖徳太子ではなく物部守屋にしました。彼も面白いキャラクターです。新興勢力の蘇我一族に対して、物部一族は由緒ある古参の勢力になります。警察権や軍事権を掌握していたことが有名ですが、祭祀にも関わっていました。地盤は大阪の八尾市周辺になります。八尾の名前は「矢」から転じたものだそうです。当時の戦の主たる武器は、剣ではなく弓矢でした。物部一族は、弓矢の生産を一手に引き受けており、近くには大県遺跡という鉄を加工するたたら場もあります。


 そうした物部一族は、なぜか天理市にも拠点があるのです。それが石上神宮(いそのかみじんぐう)です。神社には格式がありまして、皇室にゆらいすると神宮と命名されます。日本書紀に記される神宮は、伊勢神宮と出雲大神宮――後の出雲大社と、この石上神宮だけだそうです。まだ勉強不足なので、石上神宮と物部一族の関係性は詳しくはないのですが、当時はこの石上神宮に沢山の矢が収められていたそうです。つまり、物部一族によって、軍需倉庫のような使われ方をしていたみたいです。


 石上神宮は、天理教の強大な施設に隠れるようにして、ひっそりと佇んでいました。厳かな雰囲気が良かった。七五三でしょうか。着物でめかした三歳くらいのお嬢ちゃんが、飴を片手にピョコピョコと歩いています。可愛い。物部守屋の面影は感じられませんでしたが、歴史を感じる史跡でした。


 その後、スーパーカブを走らせて奈良盆地を時計回りにグルっと回ります。石上穴頬宮跡は、民家に挟まれて小さな社だけが残されていました。唐古・鍵考古学ミュージアムは、こじんまりとしながらも良質な博物館でした。箸墓古墳は、前方後円墳の先駆けです。想像していたよりも大きかった。卑弥呼の墓かもしれないと噂されています。


 三輪山を左手に見ながら、海柘榴市(つばいち)の史跡に向かいます。ここは当時、日本で最も大きな市場として栄えた町でした。大陸と交易する船は、河内湖から大和川を上ってこの海柘榴市で荷物を降ろします。仏教伝来の地でもありました。仏教を弾圧した物部守屋はこの海柘榴市で、善信尼を始めとする三人の尼の服を剥ぎ、鞭打ちの刑に処しました。多くの民衆がその様子を見ていたでしょう。歴史的には、大きなドラマがあった場所になります。そんな海柘榴市ですが、とても長閑なところでした。大和川が音もなく流れています。時間が停まっているようでした。


 この大和川の更に上流に脇本遺跡があり、雄略天皇が泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)を置いたとされます。蘇我馬子に殺された崇峻天皇は、大王になる前は泊瀬部皇子と名乗っていました。多分、この泊瀬朝倉宮に関係していたのでしょう。折角、ここまで来たので長谷寺にも寄ってみました。綺麗なところでした。


 桜井市を後にした僕は、ここから物部一族の本拠地である大阪の八尾市に向かいました。桜井市から、八尾市のお隣である柏原市までは中和幹線という道が整備されていて、一直線です。信号も少なく、どんどんと走ることが出来ました。八尾市に到着するとまず最初に、物部守屋の墓に向かいました。


 街中の車が多い幹線道路に面して、守屋の墓がありました。辺りはとても騒がしい。歩道も狭く、落ち着かない場所でした。奈良でのゆったりとした散策とは大違いです。古代の偉人にしては、小さなお墓でした。小さなお墓でしたが、日本中の有名な神社が数多く供養をしています。名前が石に刻まれていました。物部守屋は、廃仏派として活躍した偉人になります。そうした功績が評価されたのでしょう。面白い。


 守屋の墓から少し歩くと、大聖勝軍寺があります。下の太子と呼ばれる聖徳太子を祀った寺なのですが、ここには物部守屋も祀られています。「丁未の乱」で、蘇我馬子と物部守屋が激突するのですが、蘇我馬子の策略にはまった守屋は逆臣あつかいです。大和連合軍に対して、孤軍奮闘でした。それでも物部守屋は、軍事権を掌握した将軍になります。馬子率いる朝廷派は、守屋によって三度も撃退され敗走を繰り返しました。そんな守屋は、弓の名手の迹見赤檮(とみのいちい)によって射貫かれてしまいます。そんな激闘の最中、椋の木が二つに割れて聖徳太子を匿ったという故事があります。その椋木が大聖勝軍寺にありました。「神妙椋樹 」と名付けられています。割れた椋木の真ん中に聖徳太子の石像が収められていました。故事はともかく……。


 ――1400年もその椋木が残っているのか?


 そんな疑問が頭をよぎりましたが、まあ良いでしょう。それよりも、この寺には、物部守屋の像があるのです。僕が読んだ書籍では、その像のことを高く評価していました。是非とも見学してみたい。写真では、輝く剣を両手で握り、瞑想しています。厳かで渋い表情。しかし、実際は暗くて見えません。辛うじて、剣だけがピカリと光っていました。残念。


 50ccのスーパーカブにしては、今回は長いツーリングでした。奈良と大阪をグルっと走って150km。ヘトヘトになりました。なんだか腰も痛い。家に帰るために中央環状線を北上していると、前方で雷が落ちました。暫くすると、また落ちました。いや、落ちまくっています。カブを停めてスマホを開き、雨雲レーダーを調べました。前方の門真周辺の上空が雨雲で真っ黒になっています。慌ててカッパを着込みました。門真に近づくと、空気が変わりました。一気に気温が下がる。もう少し走ると、ヘルメットに何かが当たりました。


 ――カン!


 もう少し走ると、もっと当たりました。


 ――カン! カン! カン!・・・・


 小指の先くらいの雹です。地面には、白い雹が散らばっていました。更には、雨も降り始めます。土砂降りでした。カッパでカバーされた部分は大丈夫でしたが、靴はびしょ濡れになっていまいます。そんなフィナーレでしたが、それも含めて面白いツーリングでした。本番は、11月に入ってからです。今から楽しみです。

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