第66話 あとがきのあとがき

 小説を書き始めるようになって、二年と三カ月が経過しました。若い頃から、日記を書く習慣はあったのですが、日記と小説は別物です。色々と勉強になりました。


 日記というのは、自分の為に書きます。少々、論理的に破綻していても構いません。思いを吐き出すことが快感です。誰かに読んでもらうことが、一番の目的ではありません。

 ところが、小説は誰かに読んでもらうために書きます。論理的に破綻しているのは駄目です。読みやすく言葉を選ぶ必要があります。僕の視点も大切ですが、客観的な読者視点、メタ的な視点を、意識して僕の中に育てる必要がありました。


 拙書「逃げるしかないだろう」の三回目の推敲が終わりました。半年以上もかかりました。もともと、三十万字ほどの作品でしたが、新しいエピソードも挿入したので、更にボリュームが増大しています。

 二年前に書き上げたこの小説は、第九回ネット小説大賞で、それなりに評価されて最終選考まで残りました。最後で落選しましたが、僕としては嬉しい快挙です。


 この作品の、三回目の推敲を思い立ったのは、kindle出版の為でした。折角なので、誤字脱字を修正しようと思ったら、それだけでは終われませんでした。メタ的な視点で物語を俯瞰することが重要だと、今回、痛烈に感じたのです。


 小説の書き方講座を読むと、「物語の構成は、起承転結で」みたいな説明が散見されます。これ、非常に重要です。説明は省きますが、要は最後の結末が面白くなるように、物語を積み上げていく必要があるのです。この積み上げは、きちんと繋がっていなければなりません。あっちこっちに、話がばら撒かれている状態では、読み手が苦労するのです。


 例えば、桃太郎の話なのに、結末が鶴の恩返しでは駄目ということです。話が繋がっていない。でも、書いていると、意外とこれが分からない。書き上げた後で、振り返り、全体を俯瞰して、初めて分かるのです。この繋がっている状態とは、原因と結果です。


 この世の中は、原因と結果を繰り返します。起承転結の「起」から始まって、「結」で終わるのが好ましい。クライマックスを盛り上げるためには、その原因がきちんと描かれないといけない。なぜそのような事になったのか、そこには原因があるはずなのです。この水の流れの様な一貫性を、推敲では大切にしました。


 僕が書き上げた物語をメタ的に俯瞰するという行為は、僕の人生を俯瞰することにもつながっていました。この半年間、僕にも色々なことがあり、色々なことを考えました。推敲作業は、そうした僕の人生に、かなり影響を受けています。大筋の話の流れは、変わっていません。ただ、原因と結果、そうした繋がりを大切にしました。


 最後に、もう一つ。

 この物語は終わりましたが、同じ世界の別のエピソードを用意しています。この話が面白いと感じて頂けたのなら、楽しんでいただけると思います。


 その男、木崎隆『逃げるしかないだろう外伝』


 短編集の体裁で、幾つかのエピソードをご用意しています。

 今後とも、宜しくお願いいたします。


※「逃げるしかないだろう」は、準備が出来たらアップします。暫くお待ちください。

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