第64話 面白いんですよ

 一月二日。新年の初仕事の為に家を出ました。相棒であるスーパーカブにキーを差し込み、エンジンを掛けるためにキックレバーを踏み込みます。キックレバー、知っていますか?


 バイクに詳しくはないのですが、今の新車にはもうキックレバーは無いんじゃないかな。エンジンを始動させるためのレバーなんです。今のバイクは、セルボタンを押せばエンジンは一発で掛かります。しかし、古いバイクはエンジンの横にあるレバーを足で踏み込んで掛けていました。


 グオーン。プスッ……。


 エンジンが掛かりません。普段なら、一発で掛かるのに、どうも拗ねているようです。バイクって、毎日乗ってやらないと調子が悪くなります。まるで犬の散歩のようです。昨日は、元旦ということもあり、一度もバイクに乗りませんでした。掛からないのは、それが原因です。あと寒さもあります。もう一度、蹴りました。


 グオーン。プスッ……。


 まだ、調子が悪い。チョークを引く必要があるようです。20歳になる、僕のスーパーカブはインジェクションではなくキャブレターです。キャブレターとは、エンジンにガソリンと空気が混ざったものを送る装置だそうですが、詳しいことは知りません。とにかくアナログなんです。チョークを引くことで、一時的にガソリンの濃度を増やします。


 グオオォン!


 やっとエンジンが掛かりました。機嫌が直ったようです。アナログなスーパーカブの事が大好きです。


 昨今は、SDGsのこともあり世界的に、車は電気で走るように変わってきています。これは自然な流れだと思います。車が電気で動くようになれば、その恩恵も大きい。身の回りのスマホを始めとする家電と繋がることが出来ます。自動運転だけでなく、遠隔から車を管理することも出来ます。また、様々な電気を使った付加価値も増えるでしょう。車なのに、映画を見るための最適空間になったり。車なのに、良質な睡眠を促すベットになったり。車なのに、自動的に体を鍛えるパーソナルジムになったり。


 携帯電話から発展したスマートフォンですが、現在では電話の価値が薄れています。カメラやゲーム、SNSを使うためのツールとして重宝がられています。未来の車もそのように、変化していくのでしょう。


 ただこの流れ、手放しでは喜べない……と、僕は思ったりします。飛躍した話になりますが、類人猿だった僕たちは、道具を使うことで進化してきました。初期段階では、狩猟する為にこん棒を使いました。そうしたこん棒が槍に発展し、更に弓になる。狩猟の成功率が上がりました。食べることにしたって、土器の発明から、煮込みという技術を人間は手に入れます。調理の幅が広がりました。道具とは、生きるために使います。使うから、道具なわけです。


 現代の進化しまくった道具の特徴を一言で表すと、「楽ちん」です。人間は、何もしなくてよい。道具が人間の世話をしてくれる。とても便利ですが、ここで大きく関係性が入れ替わっていることに気が付きます。


 ――人間が、道具に使われている。


 道具を使う上で、面白いのは、使いこなすことです。例えば、武士の世界といえば刀です。その刀を、効率的に使いこなす為に、様々な流派がしのぎを削りました。生涯無敗の宮本武蔵は、その奥義を五輪の書として残しました。同じように、レーサーの世界でも、調理の世界でも、大工の世界でも、道具を使いこなすために人間は自身を錬磨します。より高みへと登ろうとしました。その過程が、実は面白い。遊びの部分だったりします。


 ところが、便利になり過ぎると結果が先に手に入ってしまう。本来あったはずの過程が、すっぽりと抜け落ちてしまうのです。使っている人間は、それで満足しますが、本人は何も成長していない。欲望というのは、手に入れた瞬間が幸せのピークです。所有してしまうと、それに対する関心がだんだんと薄れていきます。今度は、更に大きな刺激を求めて、何かを手に入れようとします。その欲望の連鎖というのは、終わりがない。


 僕は、料理が好きです。若い頃に、水産で働いていたこともあり、魚を捌くことが出来ます。趣味が長じて、フルーツカフェを開いたこともあります。現在も、嫁さんの仕事が忙しいので、毎晩の料理は僕が担当しています。


 調理の世界には、様々な便利道具が沢山あります。フードプロセッサーは、一台あると確かに便利です。ボタン一つで、みじん切りが完了します。ただ、そうした道具は仕事としてなら使っていました。しかし、今は使っていません。家族分のみじん切りくらい、包丁で直ぐにできます。台所の袋棚には、使われなくなった調理器具が今も眠っています。


 毎日、毎日、調理を繰り返していくと、段々と効率的に作業が出来るようになります。使う道具に関しては、増えるよりも、逆に減っていきます。僕自身がスキルアップしたせいで、使う必要が無くなったのです。料理というのは、とても創造的で芸術的な取り組みだと思います。完成した料理をイメージしながら、調理している時間は、とても楽しい。遊びの時間です。(とは言いつつ、毎日のことになると、面倒だなと思うことは度々ありますが……)


 20歳になるスーパーカブは、今も元気です。三年前くらいから、メンテナンスも自分でするようになりました。交換した箇所は沢山あります。タイヤ、チェーン、スプロケット、風防、マフラー、ブレーキシュー、スピードメーターのコード。それに、定期的なオイル交換。エンジンが頑丈なので、メンテナンスさえしっかりとすれば、僕が死ぬまで乗れるみたいです。そのように手をかけて乗っているということが、心地良いです。


 それに、運転も楽しい。ロータリー式ですが、スーパーカブにはシフトがあります。スクーターとは違い、シフトチェンジをする必要があります。人によっては、この作業が嫌いな人もいるでしょう。でも、僕にとっては、この作業があるから、スーパーカブと一つになることが出来ます。


 カーブに差し掛かる時、減速します。スクーターならブレーキを握るのですが、スーパーカブはシフトを落とします。ブレーキでも良いのですが、それだと減速してからの立ち上がりが弱くなる。ギアを落として減速すると、次の加速が早い。


 ――スクーターなら、そんなことしなくても立ち上がりが早いよ。


 確かにそうです。僕のスーパーカブは、50ccということもあり、かなり非力です。だから、僕が工夫して乗らないと本当に遅い。この、僕が工夫する領域が残されていることが、スーパーカブの面白さにもなっています。人間ていうのは不思議なもので、毎日毎日繰り返していくと、技術を体が覚えていきます。考えなくても、体が先に反応するのです。


 通勤途上に、まるでレース場の様なシケインがあり、さらに高速カーブがあります。朝の車が走っていない時間帯に、そのコーナーをスーパーカブで走ります。50ccのカブが、足を守っている風防をアスファルトに擦りながら曲がるのです。適切な技術がないと、そんなスピードで曲がれません。そんなことを10年も繰り返してきました。


 最近は落ち着いてきて、無理なコーナーリングはしなくなりました。スーパーカブを労わるよになりました。それに、こけると僕も痛いですから……。ただ、スーパーカブと一体になれる瞬間が、やっぱり好きです。スーパーカブに感情はないのでしょうが、一人の人格として付き合っている僕がいます。そんなことが、面白い。

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