第57話 人が亡くなるということ
この間、小さな葬儀に立ち会いました。お亡くなりになられた方は93歳のご婦人です。近所にお住まいだったのですが、痴呆症がすすみ8年間ほど施設に入居されていました。一ケ月ほど前に、横浜に住むご長男さんから連絡があり、その時が来たらお世話になりますと、事前に連絡を受けていました。その時が来たのです。
ご婦人が住んでいたお家は、誰も住んでいません。ご高齢だったということもあり、お見送りする親族が少ない。ご長男夫婦とご次男夫婦の4人だけということもあり、通夜式と告別式は行いません。直葬という形式になりました。
立場上、僕は葬儀の導師を務めることが多い。これまでにも、多くの方を見送ってきました。葬儀というのは、葬儀会館で告別式を執り行うのが現代では一般的です。しかし、今回は直葬ということもあり、ご婦人のご自宅で読経することになりました。地域には、ご婦人と仲の良かったご友人が何人かおられます。彼女たちの希望もあり、一緒にご婦人のご自宅に弔問しました。
ご長男夫婦が出迎えてくれました。ご婦人が寝かされている居間に、僕たちは通されます。一緒に弔問されたご友人たちは、懐かしそうにご婦人を取り囲みました。ご長男の手によって、お顔に掛けられていた白い布が取り払われます。
「どうぞ、お顔を見てください」
皺のない白くて美しいお顔でした。微笑んでいます。仏教の世界では「成仏の相」と表現します。半眼半口で仏像の様なアルカイクスマイルです。不謹慎かもしれませんが、とても可愛い。ご婦人の安らかな表情を見て、弔問されたご友人たちはとても安堵されました。ご婦人との懐かしい思い出話に花が咲きます。
その後、僕の導師で勤行を行いました。法華経を読誦します。仏教の世界では、人間の生死は繰り返される。死は、次の生への出発点と説きます。それは、あたかも稲の様なものです。春に種がまかれ、夏に生育し、秋に収穫され、冬に休眠します。そうした自然のリズム、流れの中で人間も生きている。僕には、それがとても自然なことに感じます。
この世の中には、多くの宗教や哲学があります。そうした思想的なことは、自分自身の生活に大きな影響を及ぼします。宗教を信じていない人でも、自分の考え方は信じているわけです。その思考パターンは、現実の行動に影響します。
――自分は何を信じているのか?
自分が信じている考え方を検証することは、非常に重要だと思います。
――人様のものを盗んでも構わない。
そのようなことを信じている人が幸せになれるとは思いません。数学や科学には、様々な定理や方程式があります。間違った方法を信じていると、正しい答えを導き出すことが出来ません。何が正しいのかという話は、あまりにも話が大きすぎるので、ここでは踏み込みません。ただ、その人が考える思考を元にした行動の積み重ね、結果が死に現れると思います。そうした意味では、今回亡くなられたご婦人の安らかな笑顔は、93年という長きにわたる人生の戦いの実証だと、僕は感じるのです。
僕が読経している横で、ご長男さんが泣かれました。何を感じているのかは、僕には推し量れません。ただ、このような葬儀で僕がいつも気に掛けているのは、参列された皆が、この葬儀を通して幸せになれることです。
新しい生に出発するのは、亡くなられたご婦人だけではありません。葬儀を通して、参列された皆様も、新しい決意で出発して欲しいのです。仏教の世界では、回向という考え方があります。「回し向かわしめる」と読むのですが、参列された親族やご友人が幸せになっていくことが、亡くなられた方への最大の供養になると考えます。このような考え方は、とても大切だと思います。
葬式というと、どこか湿っぽくて暗いイメージがあります。確かに悲しいものではありますが、そうしたイメージだけに引っ張られるのは考え物です。亡くなった方の成仏を祈るということは、残された私たちが前向きに生きようとする決意の瞬間でもあるわけです。
小さな葬儀でしたが、非常に気持ちの良いお見送りが出来ました。嬉しかったです。
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