第56話 駆け引きー井上尚弥観戦

 ボクシングファンという訳ではなかったのですが、会社の社長の影響で観るようになりました。ウチの社長はかなりのボクシング通で、往年の名選手のことも良く知っています。その社長が、井上尚弥とドネアの戦いについて熱心に解説してくれました。その話がとても面白かったので、今年に行われたドネアとの因縁の対決から、関心を持って観ています。


 さて、井上尚弥は、4団体統一王者を賭けて、昨日、ポール・バトラーと対戦しました。結果はご存じのとおりです。11ラウンドKO勝ちです。


 このカードは、地上波での放映はなくdTVに加入して、ネット回線で視聴する必要がありました。少し面倒だなと思ったのですが、関心があったので加入しました。当日は、有明アリーナで、井上尚弥の試合を含めて6試合あります。この全ての試合をdTVでは中継しています。折角なので、1試合目から観戦することにしました。


 最近は、ブレイキングダウンが人気です。あのようなライトな格闘技も、娯楽としては面白いのですが、お互いの力を出し切るボクシングは奥が深い。面白さの質が違いました。勢いだけではないのです。水面下で行われている駆け引きが面白いのです。


 話は脱線しますが、文章であればツイッター、動画であればTik Tok、格闘技であればブレイキングダウン。それぞれに共通するのは、短さです。短さでウケを狙う場合の常套手段は、インパクトです。


 ――受け手に、反射的にどれだけの驚きを与えることが出来るのか?


 短さが悪いわけではないのですが、昨今の短さのトレンドは、とても表面的な気がします。物事には、その事が成立する流れがあり歴史がある。そうしたバックボーンを理解することなく、表面だけなぞるのは、誤解が生じやすいし浅いと思うのです。ブレイキングダウンは、そのバックボーンを大事にしていますが……。


 炎上騒ぎが、SNSでは良く起こります。SNSで影響力を持つインフルエンサーは、その炎上を利用してフォロワーを増やしていると思うのですが、炎上の多くは反射的な行動です。表面的な言葉尻に乗せられて、多くの方が雪崩のように動き出すのですが、もうちょっと立ち止まって考えた方が良い案件は多々あると思います。


 話は戻りまして、ボクシングはタイトル戦であれば12ラウンドも戦います。判定までもつれ込むと、小一時間も試合が続きます。井上尚弥のように、1ラウンドKO、2ラウンドKOという試合は稀です。ボクシングは、現代においては長すぎるのかもしれません。今回のカードは、井上尚弥にしては珍しく11ラウンドという長い戦いになりました。


 視聴された方は感じたと思うのですが、井上尚弥の一方的なワンサイドゲームでした。リングの中央から井上尚弥がポール・バトラーにプレッシャーをかけます。井上が詰め寄り、ポールが逃げる。時計が回る様にポールはロープを背にしながら横に横に逃げます。両方のグローブで顔面を守り、亀のように閉じこもっています。ポールがあまりにも防御に徹しているので、流石の井上尚弥も攻略に苦労します。


 多くの記事で紹介されていますが、井上はポールに手を出させるために、ノーガードで迫ります。顔を突き出し、「ほら打ってみろよ!」と誘います。時には、両手のグローブを背中に回し、更に相手を挑発します。それでも、ポールは誘いに乗ってきません。徹底的に防御に回るポール・バトラーと、それを攻略しようとする井上尚弥。11ラウンドという長丁場には、そうした理由がありました。


 じゃ、ポール・バトラーが弱いのかと言うとそうではありません。確かに、井上尚弥との実力差はありました。しかし、ポールもWBOのチャンピオンです。実力があるからこそ、井上尚弥の力を肌で感じたのだと思います。


 ボクシングに限った事ではないのですが、どの様な格闘技でも、攻撃を仕掛けるときにスキが生まれます。相手の攻撃に対して、自分の攻撃を合わせる。これをカウンターと言います。


 上級者同士の戦いというのは、膠着状態に陥りやすい。次元の低い話になりますが、30年前に一世を風靡した格闘ゲームがありました。ストリートファイターⅡです。知っている方は頷かれると思います。僕は、ダルシム使いで、且つマスターでした。コンピューターには弱いのですが、人間との対戦ではかなり強かった。


 ダルシムというキャラクターは、動作が遅い。畳み込まれると、直ぐに負けます。弱いキャラクターなのですが、誰よりもリーチが長い。カウンター狙いが常套手段でした。レベルの低い相手は手を出すたびに、僕にカウンターをくらい負けます。ほとんどが一方的なゲームでした。上級者相手では、そうはなりません。膠着状態に陥ります。動いた方が負けるのです。少しづつ削り合い、判定勝ちを狙います。


 そう言えば、将棋もそうです。高段者同士の戦いになると、お互いにスキが生まれません。膠着した駒組になりやすい。動いた方が負ける。そんな将棋は沢山あります。


 ポール・バトラーとの試合を観戦した後に、前回の試合であるノニト・ドネアとの戦いを再度観戦しました。井上尚弥が2ラウンドでKOしたやつです。これが滅茶苦茶面白い。高次元の戦いでした。


 素人なりの感想ですが、両者はよく似たタイプだと思いました。お互いの拳が届く接近戦で、拳を交えるのですが、当たらない。スウェーやダッキングでお互いに躱します。カウンターを狙うために、フェイントを織り交ぜるのですが、その攻防が高次元過ぎるのです。相手の動きにどのように合わせるのかを、瞬間で判断して、拳が交わります。


 いやー、面白い。知れば知るほど、水面下での駆け引きが気になります。僕は聖徳太子の物語を綴りたいと考えています。例えば、学校の授業では、「冠位十二階が制定されました」と表面だけを学びます。しかし、この制度は、この時代では画期的なことです。世襲制が強い当時に、血縁関係がなくても力のある人間を登用するという制度は、多くの反発があったはずです。特に、叔父である、蘇我馬子は快く思っていなかったでしょう。そんな水面下の駆け引きの上に、冠位十二階は制定されるのです。そうした、教科書には現れない攻防を表現出来たら良いなと考えています。

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