妖うろつく街

乱世(一)


 工房に現れたシバは、猫又が憑く木彫りの猫をつまむと作業着の胸ポケットに放りこんだ。説明もせず壁まで行くと手をかざして張っていた結界を解き、現れたドアから外へ出た。


 工房の近くには軽トラが止めてあり、乗りこむとポケットから木彫りの猫を取り出した。状況についていけない猫又は、ぽかんとしてシバの行動を見ている。


 シバの手には細い革製のひもがあり、木彫りの猫の尾の部分に通すと手を離した。木彫りの猫は傾いた状態で紐にぶら下がった。根付として使える状態になると、シバはバックミラーに取り付けながら言った。


「おまえは『根付』だ。ちゃんと根付の役をしろ」


 言い終わると車を走らせた。猫又はシバの意図がわからず困惑するも、まずは情報収集して状況を把握することにした。木彫りの猫の目を通して外の様子を見てみる。


 辺りの暗さから夜だ。シバが運転する軽トラは、町工場がある寂しいエリアを走っていたが、次第に建物が増えていき、明かりのついたビルが多くなっていった。


 バックミラーにぶら下がる木彫りの猫は、道を曲がったり信号で止まったりするたびに揺れる。一体化している猫又は同じように振られて目が回る。腹が立ち、シバに文句を言おうかと思ったがやめた。


 シバは意味のないことはしない。猫又は揺られながらシバの言葉に思いめぐらせ、やがて理解する。


(以前は霊体だったが、今の私は木彫りの猫だ。あの人のもとへ帰っても、木彫りの猫で居続けないといけない)


 通常、物が勝手に動くことはない。ちゃんと物になりきれとシバが言っていることに気づいて、猫又は根 付でいることを続けた。


 シバは運転の合間に、根付に向かってタバコの煙を吹きかけたり指ではじいたりした。猫又は反応せず沈黙を続ける。シバは猫又が役割を理解して実行しているのを見て、ほんの少し口元がゆるんだ。



 街中まちなかを走り続けていた車のスピードが落ちると、ビル前で止まった。


 シバは根付をバックミラーから外すと再びポケットに入れた。景色は見えなくなったが、猫又は耳をそばだてて様子を探る。


 シバは建物の裏手に回るとドアから中へ入った。オフィスビルに人の気配はなく、防犯や非常用の明かりだけがついてて薄暗い。シバは足を止めることなく建物内を歩き、上の階へ向かう。


 ポケットの中にいる猫又は視界がきかない現状に不安を覚える。聞こえてくる音を頼りに様子を探っていたら、自分とシバ以外に何かがいるような感覚を受ける。


 シバが進むごとに何かの気配がどんどん強くなるように感じるが、詳細がわからなくて落ちつかない。シバは無言のまま階段を上っていき、屋上に出た。


 屋上は見晴らしがよく、夜景が見えている。時おり強い風が吹き、フェンスを通る音が鳴る。


 シバはポケットから根付を取り出すと地面に置いた。猫又は景色が見えたことに安堵し、目だけを動かして辺りを見回す。シバはいつもと変わらない冷静な口調で話してきた。


「根付はもういい。屋上ココアヤカシがいるから戦ってみろ。ヤバかったら呼べ。あとはオレがやる」


 シバの言葉を確認し、猫又は根付から本来の姿を現す。


 木彫りの猫から現れたのは、大型犬ほどの大きさがある半透明の猫のアヤカシ。二つに分かれた尾を振ると、鋭い眼光で屋上にいるモノをにらみつけた。


 猫又の視線の先には、ブラウスにベストを着たスカート姿の女性がフェンスに手をかけて景色を眺めている。人間の女性に見えるが、まとっている気配は妖気だ。


 猫又が身を低くして戦闘態勢をとると女が反応した。背を向けていたがふり向き始める。徐々に顔がこちらを向いてきて、完全に向きを変えて対面した顔には、何もなかった。しわのない肌だけが猫又を見ている。


 猫又は目も鼻も口もないのっぺらぼうと向き合ったまま微動だにしない。にらみあっていると、のっぺらぼうの顔に変化が現れた。


 つるっとしていた顔に線が入った。黒い線は額から顎まで伸びていき、止まるとぐにゃりとS字にゆがんだ。続けて、ほくろのような黒い点が現れ、点から太い毛が飛び出してくる。


 点の数は増えていき、どんどん太い毛に覆われていく。並行して面の中央が膨らみ始め、頭から獣の耳が現れた。変化へんげは止まらず、頭髪の色や髪質までも入れ替わっていく。みるみるうちに顔の形状は崩れていき、タヌキになった。


 人の形をしていた頭部がタヌキに変わり果てると、着ていた服や手足も形が崩れていく。服が毛皮に変わるにつれてヒトの形はなくなり、完全に獣のアヤカシへと変化へんげした。正体を現した大きなタヌキは後ろ足で立ち、猫又を見据えている。


「ギニャッ!?」


 猫又は背中に強い衝撃を受けて地面に突っ伏した。驚いてふり向くと、背中に大きなタヌキのアヤカシが咬みついている。

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