木彫りの猫(二)


 シュッシュッと木を彫る音が響いている。


 畳に座る男は作業着を着ており、肩部分に「玄」という刺繍ししゅうがある。玄は屋号で、設計など目立つ部分には登場しないが、土木や建築の世界では知られた名だ。


 大型機械を持たない玄は、主に人の手が要る作業を担い、橋梁・トンネル・地下・家屋・ビルとさまざまな現場で活躍し、とび・大工・左官などの匠が多い。短期間で精度の高い仕事をこなすことから、匠の技に憧れて弟子入りを希望する者は後を絶たない。


 また玄が手がけた案件は、作業中も完成後も事件や事故が少ないと評判で、仕事の依頼は多い。


 「玄」の一人がさっきから彫刻している男だ。力仕事の現場で働く手は大きくて硬い。そんな手が器用に彫刻刀を操り、手に収まる小さな物を彫っている。


げ ん、助けてくれたことに感謝する。……ところで行きたい所があるから、ここを出たい。出口はどこなんだ?」


 目覚めた猫又は、さっきから工房の出入り口を探している。猫又を見ずに男は落ちついた口調で話す。


「守りたいものがあることはわかっている。でも焦るな。妖力がほとんどない今のおまえだと、役に立たないぞ」


「なぜ私に守りたいものがあるとわかるんだ!? 意識がない間に私の記憶を読んだのか!?」


 猫又は不快感をもち、牙をむいて男から距離をとったが、彼のほうは全然気にしていない。


(こいつ、まったく思考が読めない。異能者で私を祓う気なら、とっくにそうしているはずだが……。消す気がなくても油断はできない)


 猫又は早く守りたい者がいる所へ行きたくて方法を探す。


(この建物は変だ。まるで箱だ。外の情報が一切入らず、作り物の空間に居るようだ。異能者が使う『結界』というやつか?)


 猫又は畳から降りて歩きながら観察する。男に用心してちらちら見るが、気にする様子もなく彫刻を続けている。


「なあ、玄」


「『玄』は多いから、『シバ』でいい」


「たしかに屋号なら働く者は多いな。『シバ』だな? シバ、23区はどうなっている?」


「23区?」


「東京23区のことだ。私は早く23区に入りたい」


「なんで?」


「23区に守りたい人がいる……」


「ここは23区外だ。なんで23区から離れたんだ?」


「いつも近くにいたんだが、火球が流れた日に爆風で離れてしまった。飛ばされた山でカラスと鼻の長いアヤカシにからまれ、なかなか出られなくて苦労した。やっと山を出て川まで来たら、今度はネズミにからまれたんだ」


 猫又はアヤカシゆえに現状がよくわかる。火球が流れた日に、日本は変わった。


 早朝、火球が流れ東京で地震が発生した。揺れは大きく、日本全土へ波及していった。この地震でアヤカシを縛っていた『ふう』が破られ、各地でいにしえアヤカシが復活した。古のアヤカシが復活したことでアヤカシたちの気が高ぶっている。


「あちこちでアヤカシが狂暴化していることはわかっている。だから早く戻って守りたいんだ」


 これまでアヤカシたちは人間と共存するようにしてきた。理由は人間に障りを与えると異能者が排除に乗り出すからだ。


 かつて人間はアヤカシを恐れ、おびえて暮らしていた。しかし霊力チカラをつけて対抗できる異能者が現れ、協力し合うことで凶悪なアヤカシを滅ぼせるようになった。


 欲の感情が強いアヤカシは、人間と異なり協力し合うという考え方は希薄だ。個別で人間と対峙するが、一個体で戦うと苦戦を強いられることが多い。そこでアヤカシは人間と戦うことをやめて共存するようになった。


 アヤカシは身をひそめるようにしていたが、古のアヤカシの復活で意識が変わる。妖力の強さを感じ、再びアヤカシが君臨する世界になるかもしれないと気持ちが高ぶる。期待が膨らむと欲が頭をもたげる。


 アヤカシが支配する世界がきたら自分も上に立ちたい――。


 来たる世界に備えるため、アヤカシのなかには人間の魂や肉体からだを食らって妖力を上げようとするものが現れる。または手っ取り早くアヤカシを食らって妖力をそのまま得ようとするものが増えた。古のアヤカシの復活は人間の脅威になるだけでなく、アヤカシの世界まで変えている。


(早くあの人のもとへ行きたい。あの人はアヤカシを引き寄せる。こうしている間にも危険が迫っているかもしれない……)


 出口を探している猫又にシバが声をかけてきた。



「おまえの『依代よりしろ』ができたぞ」

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