付喪神

木彫りの猫(一)


 目覚めた猫又は目に入ってきた光景に困惑した。


 棚に並ぶ瓶にはネジなどの金具が詰められ、壁には金槌かなづちや電動式の工具がフックに掛けられている。壁のあちこちに鉄パイプと木材が乱雑に立てられ、床にはロープや機械が無造作に置かれている。


 空間はほとんど物に埋め尽くされ、通路部分だけ物がないような状態だ。中央にある簡素な小上がりだけ物がなく、六畳分の畳が敷かれている。


(なんだ? 道具置き場……か? いや、工房??)


 畳の上で目覚めた猫又は、自分の足で来た覚えがなくてとまどう。河川敷で倒れたところから記憶が途切れており、現状がのみこめない。



「起きたか」


 ふいに背後から声がし、驚いた猫又は飛び上がって距離をとり、すぐさま身を低くして戦闘態勢をとった。


 声がした方向には男が背を向けて座っている。やたら大柄に見えたから猫又は首をかしげた。


 自分の足元を見ると地面が近い。それに前足が小さく見える。はっとして体を見ると、全身が小さくなっていることに気づく。


「おまえ、消えかけていたし、でかくて邪魔だったから小さくしておいた」


 男を見ると体をひねってこちらを向いている。猫又がぽかんとしていたので、やれやれという顔をして男は話しだした。


猫又おまえとネズミのアヤカシが戦っていたところに出くわしたんだよ。ネズミは気に食わなかったから追っ払っておいた」


「な、なんだ、おまえは? 異能者なのか?」


「さあ?」


 男はまた手元に視線を戻した。さっきから何か彫っており、シュッシュッと刃が動いたあとに、木くずが落ちて木の香りが広がる。


 ネズミのアヤカシを追い払えたのなら異能者だ。異能者ならアヤカシを見つければ祓うはずだ。それなのに男は猫又を排除せず、彫ることに集中している。猫又は敵か味方かわからない存在にとまどい、目を離さず観察する。


 男は建築現場で働く者と似たような格好をしている。短髪で日焼けした肌、服を着ていても膨らみから筋肉質であることがわかる。上着の肩部分に刺繍ししゅうが入っていて、囲んだ枠の中に「玄」の漢字が読み取れた。


 猫又は部屋にある道具を見てみる。男の持つ彫刻刀にも同じ文字の刻印があり、屋号のように思える。


「おまえは『げ ん』という名なのか?」


「ん? ……ああ、まあな」


 猫又にあまり興味がないようで手を止めずに答える。祓う様子もないことから、ひとまず敵ではないと判断し、猫又は室内の観察を始めた。


 空間では木を削る音がテンポよく流れる。



 ✿


 夜の河川敷で、男は猫又とネズミのアヤカシが戦っている場に遭遇した。


 喧騒とは無縁のはずの河川敷を歩いていたら静寂を破る音が聞こえ、地面を走る黒い影に気づく。目で追うと影はドブネズミだ。進むにしたがって数が増え、みんな同じ方向へ走っていく。この先に面倒事があることはわかっているが足を進める。


 しばらく行くとキィキィと高くて耳障りな音に、話し声が聞こえてきた。さらに進むと不気味な光景が広がっていた。


 アヤカシ同士の戦闘があったのは明らかで、ネズミの残骸が混じる血の海に猫又が倒れていた。見なかったことにして去ろうとしたが、ネズミのアヤカシが放った言葉が耳に入って興味をもった。


(「食うわけでもないのに人に憑く」? なんだそれは。珍しいこともあるもんだな)


 男が倒れている猫又に意識を向けると、強烈な思考が飛びこんできた。


アヤカシの私だからできることが見つかった』

『あの人に恩義を返したい!』

『まだ消えたくない!』


 強い想いが突き刺さる。アヤカシがそこまで人に情をもつことが気になり、戦闘に割って入った。


「ネズミ、くさい手を引っこめて、とっとと消えろ」


 ネズミのアヤカシは驚いてのけぞった。すぐに爪を出し両手を胸の前に上げてふり向いた。


 居たのは煙草をくわえた人間だ。ネズミは相手がアヤカシでなかったことに胸をなでおろし、動揺を悟られないよう冷静を装って男に質問した。


「ワシを視ても驚かんとは。……異能者か?」


「…………」


「ふん、まあ、ええ。お帰んなさい。今宵こよいは見逃しますから」


 ネズミのアヤカシは追い払うように手を振るが、男は平然と煙草を吸い立ち去る様子を見せない。


「うっとうしいわ!!」


 いら立ったネズミは豹変して飛びかかった。男に触れた瞬間、ネズミの形が崩れて砂が地面に落ちた。


 ネズミのアヤカシが消えたのを見て、猫又の周りにいたドブネズミの群れはあわてて逃げ出した。


 男はふ――と長い煙をはくと歩き出し、倒れている猫又へ向かう。そばまで行くと足を止めて血だまりを見つめた。


 男が見つめるなか、赤の水面が振動して色が変わり始める。赤からさび色になり、さらに赤色が薄まって土色に変化した。色だけでなく、液体は土に変わっている。また散らばっていたネズミの残骸は黒色の石となっていた。


「さて……」


 煙草を吸い終えた男はしゃがむと消えかけている猫又に手を当てた。手がほのかに光ると、猫又の体が縮み始める。大型犬ほどあった体が子ネコサイズになると手を離した。


 男は猫又の首の後ろをつまんで持ち上げると、来た道を戻っていく。止めていた車に乗りこんだら助手席に猫又を放り、夜の街を走り始めた。



 工房に着くと、男は連れてきた猫又を畳の上に置いた。猫又はぐったりとして動かない。


 男はしばらく見ていたが、手を伸ばして猫又に触れた。男の中へ猫又がネコだった頃の記憶が流れこんでくる。


 猫又の過去を視た男は穏やかな顔を見せた。


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