めぐる魂(五)
ノラネコのオレは日々忙しい。
不在にしていた間に縄張りが侵略されていた。奪われた縄張りを取り戻すために戦い、水や食べ物の確保に毎日奔走する。
すべて自分でやらないといけないからノラネコはハードだ。たまにくじけそうになるけど、うまくいったときの喜びは大きい。
以前よりも縄張りが広がり、力のついたオレは余裕がでてきた。その頃にオレを助けた人間と再会した。人間は引っ越してきたようで、縄張り内にある建物に出入りする。
パトロールで人間が住む建物の近くを通るから人間もオレに気づいた。目が合うとにこりと笑う。でも以前のように食べ物を与えることはしない。この適度な距離が心地いい。オレは暇になると、あの人間は何をしているのだろうと気になり、様子を見に行くようになった。
冬。
オレは病気になっていた。秋から体調が悪いと感じていた。怪我などの外傷ではないから、体の内部のものだろう。自力で治せるものではないとわかっているから、体が動くうちにやりたいことをしておいた。
数日間、まともな食事をしていないのに空腹を感じない。
いよいよ死期が迫っていることがわかり、最後の仕事に取りかかる。
自分の死体をさらしたくない――。
夜が更けて外へ出た。
体に力が入らず時おりふらつく。歩いては休みをくり返して、ゆっくりと足を進める。雪の降る夜だとネコは外出を避けるから安心だ。あとは人に捕まらないように用心するだけ。
いつもなら駆けて行って5分もかからない距離が長く感じられた。やっとで目的地の路地に着いて横になった。体を横にしたらもう動けなくなった。
冷たいはずの地面の温度を感じない。外気も凍るように冷えているはずなのに何も感じない……。
まだ開いている目で空を見る。夜空から小さな雪が舞ってきてオレの体に落ちる。次第に数が増えてきて体の熱を奪っていくけど、とても美しい。
オレは――ここで死ぬ。
もう目を開けていられなくて、まぶたを閉じた。
「見つけた」
人間の声がした。近づく音が聞こえているけど、もう、いい……。このまま眠ってしまいたい……。
まどろんでいると温かいものが触れてきた。体がふわりと浮かび、温かいものが全身を包むと抱きしめてきた。
目の前には雪の日にオレを助けた人間がいて、コートを開いて抱いている。マフラーにくるまれたオレを素手で触れて熱を与えている。体温が伝わり、少しずつ固まった体がほぐれていく。人間は何度も手を替えて温めることをくり返す。
オレは人間をじっと見る。顔が赤くなっていて、帽子や肩には雪が乗っている。寒いだろうに、建物へは行かずに路地で立ったままだ。やさしい表情をしたまま無言でオレを抱いている。
死にざまを見られたくなかったから人目にふれない所へわざと来た。独りで死ぬと決めていた。
でも……独りは怖かったんだ。寂しかったんだ!
見守ってくれる者がいることがうれしい。死の恐怖が薄れて、これまでの生きざまが浮かんでくる。
望みどおり自由に生き抜いた。後悔はないと思えるのも、あんたが雪の日にオレを助けてくれたからだ。
あんたが背中を押してくれたんだ。
オレはちゃんと生きた。望んでいたとおりに生き抜いた。
「おまえ、カッコよかったよ」
かけられた言葉で、心の隅に残っていた悲しみや悔しさ、恐怖が全部消えて充足感だけが広がる。
褒められたかったからノラネコになったんじゃない、認められたかったわけでもない。でもオレの一生が無駄じゃなかったという言葉は欲しかったんだ。
「ありがとう」と伝えたいけど人間の言葉は話せない。でも伝わってくれ! オレは精いっぱい力をこめて声を出す。
粉雪が舞う東京。
路地裏で抱かれた三毛猫は、小さく「ニャ…ア……ァ……」と鳴くと動かなくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます