めぐる魂(三)


 やさしく触れてくる……。


「 !? 」


 何が触れているんだ!?


 がばっと起きて背を見れば人間の手がある。とっさに引っかくと、肌が切れて血が流れた。手は体からゆっくりと離れていった。


 人間に捕まった! オレはどうなる!?


 ばくばくと鼓動が速く打っている。身を低くして威嚇しながら手の主をにらむと、整った顔の者と目が合った。


「よかった。元気になったね」


 それだけ言って微笑むと離れていった。人間が遠くへ行ったことで体の震えが収まる。しばらく聞き耳を立てていたが、人間は離れた所にいるようだ。


 オレは周りを見た。ここは1メートルほどの段ボール箱の中だ。高さが十分あって圧迫感はない。天井は閉じていて正面部分だけ開いている。箱の外には水と食べ物があり、うまそうな匂いがしている。腹は減っているが、水にも食べ物にも口をつけなかった。


 時間が経つと人間は二つとも下げて新しい物に替えた。それ以上は干渉せず、離れた場所へ行って何かしている。敵意はないようだが油断はできない。オレは箱の中から出ず、何かあればすぐに攻撃できるように用心していた。



 翌日になっても人間の様子は変わらなかった。一日に三回、水と食べ物を置くと机に戻って何かしていた。


 脱出を考えたが、人間は干渉しないくせに部屋から出入りするときは用心深い。オレの動きを確認していて、すぐにドアを閉じてしまう。


 まだ自転車に踏まれた前足がずきずきと痛む。現状では逃げることはできないと判断し、体力を回復させることにした。


 人間が水と食べ物を置いた。離れたのを確認して、オレはそろそろと箱から出て食事を始めた。ひさしぶりの食事はおいしくて完食した。


 また食事の時間になり人間がやって来た。器がからになっているのを見ると、うれしそうに笑って器をさげ、新鮮な水と新しい食事が入った器を置いた。長居はせず、机に戻ると何かに没頭し始める。オレは用心しながら箱から出て、今度はゆっくりと味わって食べた。


 食べると生理現象が起きる。我慢していたけどもう限界だ。用を足したい。


 寝床から少し離れたところに別の箱がある。初日の深夜に部屋中を調べ、箱の中もチェックした。箱には砂が入っていてトイレだとわかった。場所は確認済みなので、人間が寝ている間にすばやく用を足して寝床に戻った。



 人間はあいかわらずオレの世話をする。新鮮な水と食べ物を用意し、トイレも掃除した。


 なぜオレの世話をするのか……。


 話さない人間の心境は知る由もなく、オレは体力を回復させるため好意に甘える。この人間は干渉してこないから安心できる。



 食事以外に干渉しなかったのに、珍しく人間がオレに話しかけてきた。


「そばにいてやれないけど、水と食べ物は置いておくから」


 それだけ言うと部屋から出て行った。これまでほとんど部屋にいた人間がいなくなり、室内はしんとなる。


 オレは箱から出て探検を始めた。部屋には物がほとんどない。ドアの外からほかの人間の声や音が聞こえていたが、今日は静かだ。


 のびのびできることに安堵したが、音のない空間に寂しさを感じた。人間がいた机に近づいて、毎日見ていた姿を思い浮かべる。


 助けてくれた人間は、小柄で整った顔立ちをしている。見た目は弱々しそうだが、オレの攻撃に動じない肝が据わったところがある。干渉せず、言葉も少ないから意図が読めない。でも不思議と居心地がいい。


 会ったばかりというのに安心する。……助けてもらったからだろうか。


 誰もいないことを確認してから人間がいつも座っている椅子に飛び乗った。椅子から残り香がしてきて、ほっとする。ゆっくりと体を寝かせて布地に頭をすり寄せてみる。より近くに感じられて気持ちが落ちつく。心地良い香りに包まれ、いつしか眠っていた。



 この人間は必要以上にオレに接触してこない。敵意もないから大丈夫だ――


 観察して安全だと確信した。警戒心はなくなり、人間がいても部屋をうろつくようになった。人間はオレを見ると微笑むだけで、あとは放っておいてくれる。


 日中、部屋から姿を消すようになった人間は、出かける前に水と食べ物を用意する。帰ってくると、また水と食べ物を置いてくれた。食べることで体力が戻り、捻挫ねんざした足も順調に回復してきている。



 人間に助けられてから数日が過ぎた。


 食事を済ませて部屋を歩いていたら窓枠が目に入った。足の具合を確認しようと窓際にジャンプした。うまく飛べて前足の痛みはもうない。身体からだの調子も良く、外へ行きたい。ちらと人間を見たら目が合った。どうやらオレを見ていたようだ。


「もう大丈夫みたいだね」


 それだけ言うと人間は机に視線を戻した。オレは初めて窓の外の景色を見た。どうやらここは高い位置にあるらしい。夜空にはぼんやりと月が浮かび、下の明かりはまぶしく輝いている。


 オレがいた場所も、光のどこかにあるんだろう。急に焦燥感がわき、早く帰りたいという思いがこみ上げた。


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