春月の河川敷(三)


 夜の河川敷に黒い塊が走る。


 黒い塊はあちこちから現れるが目指している場所は一緒だ。ばらばらだった塊は合流し、うごめきから黒い水が流れているように見える。影が向かう先には耳と尾をもつけものの影が舞っており、空中で身を回しては地に降り立つ。


 獣は大きさから犬と思っていたが、よく視ればネコだ。この獣がアヤカシであることは疑いようがない。体がほのかに光り、長い尾は二股に分かれている。浮世絵などに描かれている恐ろしい妖怪「猫又」と姿が似ている。


 猫又は後ろ足で立ち、両の前足を振り抜き、華麗にジャンプして体をひねることをくり返している。前足を振るたびに小さな塊がばらばらと落ちていく。


 地面に積もっていく塊はドブネズミの残骸だ。猫又を群れで攻撃しており、戦闘は数時間にも及んでいる。


 一匹で戦う猫又は疲れが見え、飛び上がる高さは最初の頃より低くなり、息づかいも荒いものに変わっている。飛んだ瞬間にぐらりと体勢が傾いた。


 ネズミのアヤカシは好機を逃さない。これまで静観していたが、巨体を動かして猫又へ向かっていくと、猫又の後ろ足に深く咬みついた。一撃を入れると反撃される前にすばやく離れる。


(しまった! 足をやられた!)


 傷を確かめたいが、容赦なくネズミの大群が襲いかかる。飛べなくなった猫又は後ろ足をかばいながら地上で戦う。


アヤカシに咬まれたところは治りが遅くなる! これではさばききれない!!)


 前足を振って鋭い爪で切り裂き、咬み砕いて殺しても、ネズミはわいてきて猫又の体を覆っていく。


 ネズミは単体だと力は弱いが数で対抗する。猫又の攻撃をかわしたネズミは体に歯を立てて、少しずつ妖力を削っていく。



「ずいぶんと動きが鈍くなったなあ。そろそろ限界だろう」


 猫又の攻撃が届かない安全な所でネズミのアヤカシは寝転び、肘をついて頭を乗せ、鼻をほじりながら戦闘を見ている。


「早くくたばれ。おまえを食らってワシの妖力の足しにしてやる」


 アヤカシは少しの食事で存在を維持できる。しかし妖力を上げるには大量に食わねばならない。食の対象は選べる。だが手っ取り早く妖力を上げるために、他者を食うアヤカシは多い。


 ネズミのアヤカシは妖力を上げることのとりことなっている。自分のテリトリーにアヤカシが入ると捕らえて食らい、妖力の糧にしてきている。


「おぅおぅ。だいぶ体が透けてきてるぞ。妖力が落ちてきてるな。もう抵抗はやめておけ。おとなしく食われろ」


「腰抜けめ! 直接向かってこい!」


「ふん。アヤカシのくせに人になつくようなモノの相手などするか」


 ネズミのアヤカシはまだ妖力が弱く、直接対決だと猫又に勝てる見込みはなかった。そこで街の至る所にいるドブネズミを操り、猫又と戦わせている。


(私にはやるべきことがある。ここで負けるわけにはいかない!)


 猫又の体はかなり透けて消えてしまいそうだ。しかし容赦なくネズミは襲ってくる。飛びつくと咬みつき、ぎちぎちと音を立てて歯が食いこんでいく。


 猫又は痛みをこらえ、震える体で前足を振るい牙を立てて抵抗するが、ついに四肢に力が入らなくなる。飛びかかってきたネズミの勢いに押され、体が傾くと倒れた。


 猫又が倒れるとネズミが次々に飛びかかっていき、やがて黒い山ができた。姿が見えなくなっても、ぎちぎちと不気味な音がうごめく山の中から聞こえている。



「まったく、面倒なやつだった」


 河川敷には、キィキィと鳴くドブネズミが無数にいて、中心には横たわる猫又の姿がある。


 猫又が動けなくなったのを確認してから、ようやくネズミのアヤカシは体を起こした。尻をかきながら倒れている猫又へ近づいていく。


「人間のニオイが染みついたアヤカシだから、はじめは異能者がもつ『式神』と思ったが違う。食うわけでもないのに、人に憑くとは変なアヤカシよ」


 蔑むように見て猫又を蹴り始めた。周りを囲むネズミたちは、キッキッと声を上げて喜ぶ。


 河川敷には無数のネズミのむくろが散らばり、地面は赤で染まっている。赤の海に倒れている猫又は薄れゆく意識に抵抗して、前足を伸ばして立ち上がろうとする。


(嫌だ。まだ消えたくない! 私があの人にできることは少ない。でも今なら、アヤカシがうろつくようになった現世では、私にできることがある。役に立ちたい! 恩義を返したい! まだ消えたくない――)


 猫又はついに目を開けていられなくなって意識を失った。


 ネズミのアヤカシは蹴り続けていた足を止め、舌を出してぺろりとなめた。足をどけると薄ら笑いを浮かべて横たわる猫又に手を伸ばす。



「訳ありみたいだな。ネズミ、くさい手を引っこめて、とっとと消えろ」


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