第8話

「————はぁっ!」

 大きく息を吸った。息が止まっていた。いや、。この瞬間は、いつになっても慣れない。仰向けになっているのが分かった。視線の先には『天井てんじょう』がある。腹部に重量感。周囲に人の気配。場所は司空塔じくうとう。少しずつ現状を把握して、神城かみじょうは、自分が無事であるということに、ようやく思い至った。

「おお……死んでた」

「リーダー!」一號いちごうが叫ぶ。「ああ……良かった……」

 周囲には、社員全員が揃っていた。斑闇まだらやみは立ったまま、神城を覗き込んでいる。一號は神城の顔の側で膝をついていた。足枷あしかせは心配そうに、その反対側で屈んでいる。そして神城の腹の上には——死屍ししかばねが馬乗りになっていた。

「お帰りなさいリーダー。流石の私も焦りました。一度経験しているとは言え、かれこれ二年ぶりのことですから。いやしかし、無事に事が済んで良かったです。亡骸なきがらちゃんも、ご無沙汰しております」

「おう」

 神城の上で、死屍が不遜ふそんな返事をした。端正たんせいであり妖艶ようえんである顔には無表情が貼り付けてある。死屍は神城の鼓動、呼吸を確認すると、乱雑に唇をぬぐった。

「うわー……リーダーと亡骸ちゃんがちゅーしてたよ……」と、足枷が呆然としながら言った。

「……あのなあ、ちゅーじゃないんだよ。口付けと言え、小僧。それにお前、亡骸ちゃん亡骸ちゃんって馴れ馴れしいんだよ、いつもいつも」腹立たしそうに、死屍は足枷に不平不満を口にしていた。「しかもお前な、成長期かなんか知らんが、普段から寝過ぎだぞ」

「……ねえ斑闇、亡骸ちゃん、めっちゃ口悪いんだけど」

「そこがいいんじゃないですか」と、斑闇は飄々ひょうひょうと返す。「あ、そうでした……独断での行動であることは重々承知しておりますがリーダー、緊急事態であると判断し、これ、一瞬だけ外しました」斑闇は真紅の目隠しを指差した。「一応、亡骸ちゃんに許可は取りましたが——狙撃手の追撃を考慮し、無力化したかと思われます。確証はありませんが」

「ああ……そうか」

 神城は頭上——つまり、方角的には東の方へ、頭部をよじって視線を向けた。高い塔は……いくつかある。どこかから狙撃されたのだろう。そして今、瞬間的に、——一時的な視覚障害をわずらっているはずだった。巻き添えを食らった一般人は不憫ふびんだと思う他ないが、友好的な一般人はこの時間、寝ているはずだ。

「よくやってくれた。狙撃手相手には確かに効果的だな」

「お褒めに預かり光栄です」

「…………いやしかし、助かった。亡骸、お前がいて良かった。マジで死ぬところだった」神城は自分の左胸に手を当て、そこに開いていたはずの穴が塞がっていることを確かめる。「完治してるってことは、俺は完全に死んだんだな。まあ、あれじゃ流石に死ぬか」

「その代わり、私たちの残機は一つ減ったからな」不服そうに、死屍は神城にじっとりとした視線を投げ掛けていた。「……さて、とりあえずこれで一段落だな。お前の蘇生が完全に終わったら、私はまた詠唱ねむりに入るわけだが……れーいち、私に聞きたいことがあるなら今のうちに答えてやるぞ。特別に」

「いや、別にない。今回もありがとう」

「ないのか。あれよ。話すの二年ぶりだぞ」

「俺からお前への言葉はいつも届いてるだろ。いつも感謝してるよ」

「まあ、確かにそうだけどさあ……なんだよ。少しは会話を楽しめよ。二年ぶりだぞ。二年ぶりの私だぞ。じかの声だぞ」

「リーダー、よろしければ我々も闇に飲まれましょうか? 亡骸ちゃんも言う通り、二年ぶりの再開なわけですから——ちゅっちゅしてもバチは当たらないと思いますが」

「いや……いい、そういう気分じゃないし。せっかくだ、亡骸から俺たちに何かないのか? 特に、一號と足枷は……初対面だろ。ああ、足枷にはもう不満は言ったか」

「言われた……」足枷は、死屍が想定外の性格をしていたことに驚きを隠せないのか、半ば方針状態だった。「すごい口悪かった……」

「い、いや……別に不満ってわけじゃないけど……そうだな、言いたいことを言っておくか。いいか足枷、私は見た目はこんなだけどお前よりずっとお姉さんだからな。子ども扱いするなよ。別に呼び方はなんでもいいけど、うやまえよもっと。年上を」

「わかった……」

「それと一號」

 亡骸の問いかけに、一號はすぐには答えない。一號もほとんど憔悴しょうすいしていた。最愛の存在である神城を失い掛け、それが蘇生し、混乱状態に近かった。

「おい! 一號!」

「は、はい」だが、死屍に急かされ、顔を上げる。「なんでしょうか……」

「お前、よくやってるぞ。手入れがれーいちよりずっと丁寧だ。今後も抜かりないように。ただ服の趣味はな、お前、ちょっとひどいぞ。可愛いけど。あのなあ、バッグに詰めておくだけなら、ジャージでいいんだよ、ジャージで。安いのでいいよもっと。フリフリも可愛いけどな。普段はもっとお前、安いのでいいからな。無駄金使うな」

「はい……すみません……」

「あのさ、さっきから私、怒ってるわけじゃないんだが?」

「私にも何かありませんか?」と、斑闇が割って入る。「亡骸ちゃんと初めてお会いした時に比べて、随分と社会人らしくなったと思いませんか。会社でもバリバリ働いている姿を見ていただいていると思っていますが」

「うーん……仕事はな? でもお前のその喋り方、正直気持ち悪いぞ。丁寧すぎて。あと相変わらずでかい。縮めよもっと」

「でかいのは関係ないかと思いますが……」

「で、最後にれーいち」

 死屍は神城を見下ろしながら、ようやく、悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべる。

「うん?」

「順調そうじゃんか。二人も入って」

「だろ? 次死ぬまでには、もっと人が増えてるよ、きっと」

「それだと困ってる人間が増えるってことだろ。仕方なしにそうなったやつだけ救えればいいよ。でもまあ……あれだ、よくやってるよ。えらいえらい」そう言って、死屍は神城の頭をいとおしそうに撫でた。

「はは……ありがとう」神城は照れくさそうに、視線を逃がす。

「さて、そろそろダメだー」死屍は突然、項垂うなだれるように神城の胸に頭部を押しつける。というより、落下した。体中から力が抜けたようだった。「そろそろ寝る。私に会いたいからって、簡単に死ぬなよ、れーいち」

「死なないよ。ちゃんと気を付けてただろ?」

「普通の人間は二年に一度死んだりしないんだよ」

「だな」今度は神城が死屍の頭部に手を置いて、控えめに撫でる。「ありがとう。声が聞けて嬉しかったよ」

「……」

「寝たか?」

「…………」

 死屍の反応はなかった。既に、活動を停止している。神城の手に伝わる温度も、急激に冷めていく。既に死屍の鼓動は止まっていた。

「寝てしまったようですね」斑闇が呟く。「いやしかし——相変わらず、亡骸ちゃんは最高ですね。ああ……もちろん私はリーダーに酔狂すいきょうしておりますが、動いている亡骸ちゃんはマジのマジに最高です。リーダーを死なせるわけには行きませんが、危険が及ばぬよう細心の注意を払う必要はありますが——不可抗力でリーダーが死ぬ場合には、どうしようもない場合には亡骸ちゃんを堪能たんのう出来るという謎のお得感がありますので、妙に安心して過ごせるんですよ。たまらんです。二人のやりとり、めちゃとうとい」

「口調が乱れてるぞ」

「ああ、失礼しました。つい懐かしくて」

 神城は死屍を抱きかかえたまま起き上がり、頭部を回して首を鳴らす。既に、桐谷きりたに竜司りゅうじの姿はなかった。狙撃されてから、どれくらいの時間が経ったのか、すぐには判断が付かない。桐谷はきっと、斑闇が先に帰したのだろうと想像がついた。があるのだから、一般人を巻き込むわけには行かない。そして、いくらとは言え、蘇生現象が一秒や二秒で終わるはずもない。過去の経験から、恐らく撃たれてから三十分以上が経過しているだろうと、神城は算段を付けた。

「僕、放心状態」と、足枷も立ち上がりながら、言った。「夢でも見てるみたい」

「夢みたいなもんだからな。使の技術を目の当たりにしたんだ」

「我々とは一線をかくす技術ですね。いえ、術ではなく、法なのでしょうけれど」と、一號も立ち上がり、死屍を見つめながら言う。「事象自体も、存在意義も聞いてはいましたけれど、聞くと見るとでは大違いですね。ああ、それでも——リーダーがご無事で何よりでした。一時はどうなることかと……」

 死屍亡骸という少女が、神城にとっての第二の心臓である——という事実は、一號も足枷ももちろん知っていた。だから常日頃から丁寧に扱い、愛を注いでいた。だがやはり、実際に経験しなければ、その有益性は身に染みないだろう。——という、馬鹿げた理屈を頭では理解していても、目の前で人が死んだら、冷静ではいられない。万が一ということもある。神城にとって、一號や足枷の取り乱しっぷりは想定内だった。自分自身、亡骸がいると分かっていても、死ぬ直前は、流石に焦る。

「こんなこと滅多にない方が良いんだが……まあ、いい経験になったな。見た通り、亡骸は俺の御神体スペアキーだ。今回みたいな事例は防ぎようがないし、お前らに不注意があったわけでもない。だが、そういう想定外の事態に備えて、亡骸はいる」

「亡骸が大切である、ということは頭では分かっていましたが、身に染みました」

「そもそも今回——俺には本当に攻撃されるがなかったしな。そういうことが出来る人間の存在も、俺は知らなかった」神城は死屍をお姫様抱っこする体勢に持ち変える。ひどく軽く、重さは感じない。「だが、——と考えるのが妥当だろうな。斑闇と同じ、魔眼まがんたぐいだろう。超々遠距離への攻撃を一度の発砲だけで成功させた。それとも、魔具まぐの類か。いずれにせよ、俺を狙ったことは確かだ。つまり、俺の存在を面倒だと思っている連中がどこかにいるってことだろう」

「魔眼持ちが増えると厄介ですね」斑闇が割って入る。「私のアイデンティティが減ってしまいますから」

「気にすることじゃないだろ。それに、役割分担としちゃ丁度良い」

「ってことはさリーダー、僕たちみたいな被害者が増えたってこと?」

「まあ、そういうことだ。もちろん、超凄腕の一般人による狙撃って可能性もあるが——いや、ないな。十中八九、手錠の言う通り、被害者が増えたんだろう」

「うーん……可哀想だなぁ。リーダー、助けてあげようよ」

「そのつもりだ。が、まずは情報収集を進めないとな。いや——それよりまず、会社に帰ろう。警備室に寄って事後処理をするつもりだったが、流石に疲れた。一度死んだしな」神城は周囲を見渡し、社用車を見つける。「七遠峠ななとうげを出るまでは、斑闇のにらみは利かせておいた方がいいな。?」

「手応えはありましたが、相手が誰かまでは分かりません。ただ——リーダーの復活後、第二波がないということは、か、撤退したかのどちらかでしょう」

「そうだな。だが念のため、頼む」

「わかりました。東方を見ておきます。さて、帰りですが……有事の際に動きやすいよう、リーダーを運転席と荷台で挟みましょう。足枷は助手席へ。そんな配置でよろしいですね? 一號」

「ええ、構いません」と、一號が賛同する。「リーダー……最後に一つ。無知で申し訳ないのですが、亡骸の能力——つまり、連続して発現可能なものなんでしょうか」

「んー……残機はまだいくつかあるから、理論上は可能だな。計算上、。しかしまあ、そんな悠長なことを言っていると亡骸に怒られる。つまり、あと数年は頑張って生きるしかない」

「そうですよね。わかりました。では車に移動しましょう。リーダー、亡骸は私が運びます」

「ああ、頼む。蘇生は終わったが、流石に疲れた。ああ……そう言えばさっき、亡骸がジャージでいいとか言ってたけど、こういう服装多分気に入ってるから、そのままでいいぞ」と、死屍を受け渡しながら、神城が言う。

「なんとなくそうだろうとは思っていました」一號は亡骸を受け取り、丁寧に運搬用のバッグに詰めていく。「素直じゃない人なんですね。可愛い人ですね、亡骸は」

「聞かれてるぞ」

「数年は返事がないでしょうから」

 一行は社用車に乗り込み、一號は運転席に、足枷は助手席に、神城と死屍が後部座席に乗り込んで——斑闇は再び、荷台に収まった。エンジンの始動音が聞こえた後、一號は駐車許可証を剥がして、グローブボックスに収める。サイドブレーキが外され、緩やかに社用車が発進する。ようやく一難去った……と、神城は胸をなで下ろした。

「これからは亡骸さんって呼んだ方がいいかな?」ふいに、足枷が後部座席を振り返りながら尋ねる。「亡骸お姉さん?」

「亡骸ちゃんでいいだろ。本気で嫌がってたら、もっと冷たい言い方されてたと思うぞ」

「何それ、ツンデレじゃん」足枷が笑う。「じゃあ、これからも亡骸ちゃんって呼ぼーっと」

「経験も踏まえて再確認ですが——」と、一號が前を向いたまま言う。「亡骸は使であり、リーダーの死は、——ということで合っていますか? つまり、私の魔爪まそうと似た能力なのではないかと思ったのですが」

「雰囲気は似てるが、全然別物だ。巻き戻ったんじゃなく、という感覚に近い。事実、俺と亡骸の残機ライフは一つ減った。亡骸がサボらなきゃ——一年近く詠唱を続けてれば——。臓器移植と同じ考え方だな。要は……亡骸は俺の提供者ドナーってことだ。命のな」

「やはり、にわかには信じられませんね。我々のような半端者と、本物の魔法使いでは、格が違うと言いますか……」

「俺からすりゃ、お前らだって信じられねえよ」神城は軽快に笑って、「だが、その力を上手く使いこなせれば、人々を幸せにすることが出来る。もちろん、幸せなんてものの定義は観測者にるけどな」と、うそぶいた。

「実際、リーダーが命の危険にさらされて——いえ、リーダーの命がついえて、思ったことがあります。これはいつもの冗談ではないのですが、リーダーは会社に住まわれた方が良いのではないでしょうか? つまり、亡骸と常に一緒に居た方が、危険が少ないものと考えます。わざわざ自宅と会社で距離を設ける必要はないと思いますが、何故別々の場所で暮らしているのですか?」

「四六時中一緒にいると、愛が冷めるからかな」

 一號は何も言わなかった。神城もそれ以上、発言の必要はないと考えた。足枷だけが、「えっ! リーダーと亡骸ちゃんって、付き合ってんの⁉」と、見当違いな発言をしていた。

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