第6話

「どこのもんだ、お前ら」

 桐谷きりたに竜司りゅうじは、残る十人の手下を引き連れ、敷地内に歩を進めていた。その周辺には、足枷あしかせによる圧倒的な攻撃力により無力化された先陣部隊が、転がっている。

「我々は、地上民間会社神城かみしろの社員です。名刺をお渡ししましょうか?」

「いや、いい。要は、あれだ、政府の犬ってやつだろう」

「いえ、我々はリーダーの犬です。政府は関係ありません」

「政府の犬って何? 斑闇まだらやみ

「強い者に付き従う、自尊心プライドのない連中、というような意味です」

「へー。じゃあ僕、政府の犬だ。リーダーのこと好きだもん」

「ごちゃごちゃうるせえ!」桐谷は、迫力のある怒声を上げる。これも、持つべき者にしか発揮出来ない、固有の技術スキルと言える。獅子の咆吼ほうこうのように、通りの良い大声を出力可能な人間は、組織の上に立ちやすい。「お前、よくも俺の仲間を可愛がってくれたじゃねえか。武器もねえのに、一体何をしやがった!」

「私ではありません。やったのはこちらの少年です」

「僕、可愛がってないよ?」

「そうですね。我々が可愛がるのは亡骸なきがらちゃんだけです」

「そうだよねー」

「だからうるせえって言ってんだよ!」

 桐谷は早速ペースを掌握しょうあくされているな、と、神城かみじょうは遠目でそのやりとりを見守っていた。強者の余裕と言うべきか、迎撃側の余裕と言うべきか。その上、桐谷はどうやら、先陣を倒したのを斑闇だと思っているらしい。その情報の錯誤さくごは、斑闇たちに余計な優位性アドバンテージを与えている。やはり戦況は情報量によって変化するのだと、神城は再認識した。

「無駄なやりとりが多くありませんか、リーダー。斑闇のやつ、とっとと手錠てじょうけしかけて、仕事を終わらせれば良いのに」

「まあ、いいんじゃねえか。あいつにはあいつの仕事のやり方がある。俺は社員のやり方にまでは口は出さないよ」

「社長のかがみですね」

「他の会社も知らんくせによく言うよ」

 一號との会話を切り裂くように——一発の銃声が、その場を支配した。一號は驚いたように、神城は余裕を持って、斑闇たちの方を注視する。態度に差はあれど、神城も一號も、斑闇や足枷に被害があったとは思っていなかった。

 発砲したのは、桐谷だった。その銃撃は虚空こくうを裂き、一瞬遅れて薬莢やっきょうが地に落ちる音が聞こえた。桐谷の銃口は『天井てんじょう』に向けられている。

「丸腰相手に武器ってのも気が引けるが、俺たちには果たさなきゃならない使命がある。そこをどいてもらう」

「丸腰という言葉の定義についてはいくらか疑問が残りますが、その発砲は宣戦布告と見てよろしいですね? というか……銃なんて撃ったら、それこそ応援が来てしまうとは考えないのですか、あなたは」

「警備を二人のしたところで誰も来なかった。つまり、お前らが用心棒として雇われていて、ここはお前らの管轄かんかつってことだ。お前たちは、俺らと違って一枚岩いちまいいわじゃない。だからお前らがどれだけ多勢に無勢だろうと、仲間が駆けつけることはない。違うか?」

「少し違いますが、おおむね正解です。そうですね、我々は政府に雇われていますが、司空塔じくうとうの皆さんと仲良しなわけではありませんから、助けてはくれないでしょう。我々がドジを踏んだら、次は警備隊の皆さんの出番ということです」

「だろうな。なら、ここは無傷で突破させてもらう。吉野よしの喜多きた、やるぞ。銃を使う」

 神城は冷静に、状況を分析していた。桐谷という男は、意外と冷静らしい。冷静で且つ、場を読む力にけているようだ。銃弾には限りがあるので、普通は奥の手として取っておきたい気持ちになる。人間誰しも、最後のカードは切らずに取っておこうとするものだ。が、桐谷は発砲を選択した。それも、という演出パフォーマンスまで見せた。銃器に怯む相手かどうか見極めたかったというのもあるだろうが——その一発で戦況を変えられるなら、それは無駄ではないという判断だったのだろう。そして、斑闇と足枷の実際の戦闘を見ていないにも関わらず、強敵と断じている。政府直系の公共施設である司空塔の従業員よりも、民間会社の戦闘員の方が厄介であると感じているようだ。その読みは正しく、また、その判断も正しい。俺が桐谷でもそうしただろうな、と、神城はどこか納得するような気持ちだった。他人がする非の打ち所のない選択は、例え相手が相対あいたいする組織だとしても、気持ちが良い。

 吉野、喜多、と呼ばれた男二人が背中にかついでいた銃を手にし、戦闘の準備をしている。銃弾の点検、安全装置の解除、装填そうてん。その動きは実に明瞭スムーズだった。扱い慣れている。神城は拳銃以外はあまり詳しくないので型式までは分からないが——片方は中折式ブレイクアクションを採用した散弾銃ショットガンと思われる。もう片方は鎖閂式ボルトアクション小銃ライフルを持っていた。近距離と遠距離を側近に付け、桐谷自身は拳銃を扱っている。グロッグ19に似ているが、あるいはそれも森木もりき銃器店のオリジナル銃かもしれない。だが、物理的内容量が変わるわけでもないのだから、先ほどの一発を除いて、残り十七発と考えるのが妥当だろう。

「鉄砲相手だけど、これ外しちゃだめ?」と、足枷が言う。両腕に絡みつく真紅の手錠を斑闇に見せながら、「怪我したらリーダーに怒られちゃうよ」

「相手を殺した方がリーダーに怒られます。手錠ならこの程度、余裕でしょう。さっさと片付けてください」

「ちぇー」

「ではお願いします。私は離れていますので」

 と——斑闇が地面を蹴り、大きく後退したところで、まず第一の発砲があった。小銃による攻撃だ。法治国家には不似合いな非現実的な音は、殺意を持って足枷——ではなく、斑闇を狙っていた。無論、この大男こそが敵だと、誰もが思うだろう。

 施条ライフリングにより安定性を増した弾道は、正確に斑闇を追尾した。どちらか分からないが——吉野か喜多のどちらかは、それなりに小銃の扱いにけているのだろう。斑闇が後退するのを見るや否や、数秒後の発砲していた。当然、その銃弾は斑闇を正確に捉え、斑闇はそれを受ける結果となる。近距離とは言え、小銃ライフルでの狙撃スナイプ。衝撃は相当なものだった。生身であれば、確実に皮膚ひふけ、肉がはじけていたはずだ。

「ぐっ——もろに食らった」と、斑闇はわざわざ口にしながら、銃撃を受けた腹部を押さえる。恐ろしいまでの衝撃があったが、致命傷ではなかった。「手錠、早くしてください。次に頭を狙われたら死にます」

「わかった!」

 戦闘を目的として来ているのだから、社員全員、当然のように。それは、お互い承知の上だろう。だが斑闇はさらにその上から、という防刃具を身に付けていた。織物テキスタイルのレインコートは、並大抵の刃物は通さず、鋭い攻撃にもある程度は耐える。無論、衝撃はそのまま斑闇の肉体に到達するが——銃弾は、通さなかった。これが超々遠距離からの狙撃銃スナイパーライフルによる攻撃であれば流石の斑闇も即死だっただろうが、少なくとも今回の場合、軽傷で済んだと言える。

「斑闇、もろに食らってませんでしたか?」

「痛い目見てたな。まあ、これにりて次からはさっさと敵を殲滅せんめつするようになるだろう」神城は呑気のんきに呟く。「これも成長だ。社員の成長を見守るのは、気分が良い」

 二人の軽口を余所よそに、足枷が動いていた。小銃は次発を装填中。次に動いたのは散弾銃使いだったが——散弾銃が狙いを定めるよりも、その所有者が足枷の動きを追うよりも、。狙ったのは、小銃を持った男。敵にダメージを与えて安心仕切ったそのつかの間の隙を、足枷は即座に狙った。小銃使いのを同時に横殴りにし、男を弾き飛ばす。中学生くらいの少年の、祈りのように握られた両拳による攻撃一発で、成人が二メートルほど吹き飛んでいく。

「なっ——」自分の右隣の男が弾き飛ばされるのを見て、即座に桐谷が銃口を向ける。「なんだぁ、こいつ!」

 桐谷の左隣の散弾銃の男は、桐谷が邪魔ですぐに足枷を狙うことが出来ない。頭で考えてその配置を選んだわけではないだろう。それは足枷による、野性的な戦闘感覚バトルセンスだった。一度の行動で、足枷は二人の人間を無力化した。火力は高いが連射力に欠ける小銃使いを狙い、攻撃後の硬直時間を利用して確実に仕留める。と同時に、散弾銃使いとの間に桐谷を置くことで、その動きさえも封じた。

 足枷は既にかがんでいる。小さな体をさらに小さく丸め、ほとんど地面にうような体勢になっていた。銃声が聞こえたのは——足枷のその一連の行動が、完全に終わってからだ。桐谷による発砲は、足枷の上半身がつい今し方まで存在していた空間座標を仕留めていた。つまり、。桐谷の拳銃は自動拳銃オートマチックであるため、装填の必要も撃鉄ハンマーを起こす必要もない。桐谷が腕を下げ、次発を足枷に撃ち込もうと下方に狙いを修正した時には——既に足枷による体当たりが始まって、終わっていた。

 

 言葉にすればひどく不格好な攻撃名だが、実際のところ、殴ったり蹴ったりという小規模な攻撃に比べ、圧倒的に威力が高い。五十キロ程度の塊が、。肩を接点とした足枷の体当たりは正確に桐谷の腹部を捉え、そのまま後方に吹き飛ばした。同時に、桐谷のほぼ背後に位置していた散弾銃使いもまた、突然の衝撃を予見出来ず、体勢を崩して後ろに倒れ込む。

「くそっ!」

 倒れながら、桐谷は追撃を狙っていた。手にした銃を放さぬようしっかりと握り込み、自分のふところに入り込んだ足枷を狙っていた。だが一瞬の迷いがあったのだろう。。斑闇の防御が脳裏をよぎった可能性があった。致命傷にならずに攻撃を続けられるくらいなら、ここで殺してしまうべきだ——と、桐谷という男の凶暴性が顔を出した。相手が少年であれ、大人三人をいとも容易たやすく手玉に取る存在に、敬意を払いこそすれ、見逃すことも、降参することも出来ない。ならば殺してしまおう——と、そう考え、一度上体に狙いを定めた銃口を、頭部へ切り替えようとした。が、その判断が遅かった。

「がああああ!」

 桐谷の手首には、既に足枷の犬歯けんしが噛み付いていた。引き金を引けないほどの痛みではなかったが、そもそも手首に噛み付かれた瞬間に、狙いは外れていた。このまま発砲し、足枷の鼓膜へとダメージを与えることは出来るかもしれないが——そこに勝機を見出すには、桐谷はほとんど戦意を失いつつあった。

 完全に仰向けで倒れている散弾銃使い、その上に重なっている桐谷、そしてその腹の上で桐谷の手首に噛み付いている足枷。肉弾戦というより、取っ組み合いの成れの果て、という印象だった。散弾銃を片手で発砲することは不可能に近く、また、足枷を攻撃しようとすれば桐谷にもダメージが入るのは明白だった。既に足枷以外、戦意を失っている。時間にして、十秒にも満たない戦いだった。

「さて、制圧完了です」

 否、もう一人戦意を失っていない男がいた。斑闇は、足枷が吹き飛ばした装填済の小銃を拾い上げ、桐谷たちに向けて銃口を突き付けていた。発砲の意思のない、相手を降伏させるためだけの敵意ポーズだった。

「わかった! ちくしょう!」桐谷は手から拳銃を放し、地面に落とす。「降参だ! こいつを止めろ!」

「まだショットガンが控えておりますので、安易に手は引けません」

「吉野! 銃を捨てろ!」

「竜司がいて動けねえんだよ! 撃ちたくても撃てねえし、お前が乗ってて銃を捨てられねえ! 無茶言うな!」

「そういうことだ! 俺たちに攻撃の意思はない!」いさぎく、桐谷が言う。

「ということですが——いかが致しましょう、リーダー」

「手首のけんが切れる。手錠、もういい」

 戦闘が終わった気配を感じ取り、神城は行動していた。戦闘を行っていたのは二人と三人だったが——九王坂商店街組合の人間が、まだ七人いた。ただし、そこまでの熱意がないのか、あるいは銃火器による戦闘に巻き込まれたくなかったのか、敵側の圧倒的な力に恐れをなしたのか——ほとんど観客のように、棒立ちしていた。その背後から、神城は銃を構えながら声を上げていた。

「あんたら、戦意がないなら帰っていいぞ。ここにいると危険だ」

 神城が言うと、金属バットを握りしめた組合員たちは、お互いに顔を見合わせた後、気まずそうにうつむいていた。この場を離れたいが、逃げたら後で何を言われるか——と考えているのだろう。神城は彼らにそれ以上追求しない。組合員たちの間をって、戦場に参加する。銃口は真っ直ぐ、桐谷に向けられている。斑闇の狙いは、今は桐谷から散弾銃使いの吉野に移っていた。

「ぐるるるる……」桐谷の手首から口を離した足枷が、獣のような唸り声を上げる。「撃たれたらどうしようかと思ったよ。鼓膜破れちゃうもん」

「保険は下りる。正社員で良かったな」

「よかったー!」

「おいおい! 降参だ、降参! このガキ、早くどけてくれ!」

「ああ……悪かったな。手錠、もういいぞ。こいつらが暴れたら俺と斑闇が撃つ」

「わかったー。ごめんねおっちゃん」と言いながら、足枷は身軽に後転してから、すっと立ち上がる。「ちゃんと病院行ってね」

「ちっ……」

 桐谷は出血している手首を押さえながら、ようやく立ち上がる。吉野は桐谷が起き上がったので、ようやく自由の身となった。が、銃口を突き付けられているので、下手な動きはしない。散弾銃を自分から遠くへとすべらせ、両手を挙げた。

「おめえら、どこのもんだ? 御古都みことでこんなバケモノ集団に出くわすとは思ってなかったんだがな」

「俺たちは未堂寺みどうじにある民間会社の者だ」

「未堂寺⁉ 隣じゃねえか! 聞いたことねえぞ!」

「宣伝活動はしてないからな。地上民間会社神城かみしろだ、戦力が必要になったらいつでも尋ねてくれ」神城は銃口を突き付けたまま、桐谷へと告げる。「まず勘違いしないで欲しいのは、俺たちはあんたらの思想に反する集団ではないということだ。さっき政府の犬と言ってたが——俺たちと政府は、ただの仕事上の付き合いでしかない。単に政府から依頼があって、金払いも良かったから、そちらに付いているだけだ。つまり、あんたらの使命とやらを侮辱ぶじょくする気はさらさらないんだが……悪いが今回は大人しく引き下がってくれ。身柄の拘束までは契約範囲外だから、出来れば静かに退出願いたい。居座られると、警備のおっさんたちの迷惑になる」

「ちっ……傭兵ようへい会社ってわけか。信念のないやつらを相手取るのは苦手なんだよな。こっちが悪者って気分になりやがる」

「正義や悪なんてものの基準は、観測者にる。それに、俺たちは悪者扱いされようが困らない。返事は、イエスかノー、二択で頼む」

「ああ、分かった。大人しく帰るよ。喜多は……昏睡状態か? あれは。とんでもねえガキがいたもんだ。丸腰で大人一人、しやがった」

「殺さないようには指示してある。手錠、殺してないな?」

「多分大丈夫だと思うけど、どうだろ? 脳震盪のうしんとうじゃない?」

「だそうだ。こっちも仕事なんでね、悪く思わないでくれ」

「そうするよ。なあ、その物騒なもん下げてくれねえか。手を挙げてるのもつれぇんだ」

 桐谷に言われ、神城は銃口を下ろす。同時に、斑闇も小銃を下げた。

「大人しく帰るが、ちょっと休ませてくれ。……なあ、あんたら、金さえ払えば、誰の味方にでも着くのか?」ポケットから煙草を取り出し、口に咥えながら、桐谷が尋ねる。「例えば、次に俺たちが襲撃をくわだてたとして——その日時に会社にいろと依頼したら、そうなるのか?」

「まあ、見積次第だな。政府の方が高く依頼してきたら、そちらを取る」

「へっ……お互い商人あきんどってわけか」

 桐谷は左手で煙草に火を付け、ライターを仕舞しまってから、再び左手で煙草をはさんだ。右手首は見た目以上に負傷しているらしく、足枷による歯形がくっきりと浮かび上がっていた。

「吉野、体、動くか? 俺は喜多を背負うにも、手首が死んじまってる」

「ああ……分かった。運ぶよ。俺は背中を打ったくらいだ」

小岩井こいわいさん! 新田にったさん! 武器の回収をお願いします!」桐谷は背後の組合員たちに向かって叫ぶ。「……それに、そのでかいあんた、それ、返してくれ」そして、斑闇の小銃を睨み付けながら、忌々いまいましそうに呟く。

「よろしいですか、リーダー」

「ああ、もういいだろう。だが念のため、お前が持って行ってやれ」

「かしこまりました。良ければ、喜多さん? とやらも、私が運びましょう。なかなか良い腕前でした。銃撃を読んで、結構後ろに跳ねたんですけどね、私。ちゃっかり捕捉されました。趣味でサバゲーでもやられてるんですか?」

「斑闇はさー、重装備だから動きが鈍いだけだと思うんだよね、僕」

「大きなお世話ですよ手錠」

 斑闇は小銃を肩に担ぎ、伸びている喜多を軽々と持ち上げる。細身ではあるが、一般的な成人男性よりも遥かに筋力があった。「呼吸はありますね。手錠の言う通り、脳震盪でしょう」と呟く。桐谷はほっとしたように息を吐いた。

 善人と悪人は観測者にる。神城は常にそうした意識を持っている。桐谷は本来、粗暴そぼうで過激な人間ではあるが、仲間を大切にする男なのだろう。九王坂くおうざかという町の中でだけ発揮はっき出来る権力を持ち、躊躇ためらいのなさや、企画力、行動力で一目を置かれている。彼も彼で、何かの組織のリーダーである。神城はそう、自分に言い聞かせる。彼を尊重すべきだ。今回は敵同士だったが、いつどういう交流があるか分からない。この場で叩き潰して力関係を明白にするのは簡単だが、人間は、助け合いながらでなければ生きてはいけない。

「吉野、先、車戻っててくれ。ちょっとこの社長さんと話がある。……あんたが社長さんでいいんだよな?」

「ああ。名刺を渡そうか」

「一枚くれ。俺は今日は持ってないんだが」

「構わないさ」

「では、私は運搬を担当して参ります」斑闇が言う。「手錠、リーダーのお供をするように。危険はないとは言え、念のため」

「わかってるって」

「ところで一號が来ませんね?」

「あいつは亡骸を見てる。離れるわけにもいかないからな」

「そうですね。では九王坂商店街の皆さん、参りましょうか。今夜はお疲れ様でした」

 至近距離で斑闇の長身を目にし、組合員の面々は異様なものを見るような視線を向けていたが、危険がないと判断したのか、大人しく吉野と斑闇について行った。一號であれば、「雑魚らしい動きですね」とでも評したのかもしれない。神城も同意見だったが、雑魚であることが悪いことではない。彼らもまた、何かの物語の主人公であるはずだ。

「ふう……この場はしのいでも、明日には警察の厄介になるな」

「どうだろうな。この手の事件は内密に処理されることが多いから、案外おとがめなしって可能性もある。あるいは、責任者のあんただけ数ヶ月刑務所むしょ行きか。まあしかし……いきなり発砲ってのはまずかったかもな。曲がりなりにも法治国家だ」

「そういうあんたも、持ってるじゃねえか。ちゃんと許可証持ってんのかぁ?」

「もちろん。政府公認だ。そういう仕事だからな」

「へっ……社員はバケモノみてえなもんなのに、ちゃんとしてる会社じゃねえの。カミシロ? だったか。やっぱり興味あるな、名刺くれよ」

「おっと、そうだった。商店街の用心棒くらいなら、破格はかくで引き受けるよ。ここにいる青少年を出張させる」と、神城はブルゾンのポケットから、れた名刺を取り出す。

「僕? 戦えるならなんでもいいよ」

「末恐ろしいことを言うガキだな」桐谷は複雑な表情を浮かべながら煙草を口にくわえ、左手で名刺を受け取った。「片手で悪い。おっと……ちゃんと印刷会社に頼んでるんだな。へえ……質の良い名刺だ。つまり、あんたがカミシロさんってわけか」

「会社名は神城かみしろだけど、名前は神城かみじょうと読む。ややこしくて申し訳ないが」

神城かみじょうさんな、覚えとくよ。ああ……良ければ今度、商店街に顔出してくれ。懇意こんいになろうじゃねえか。俺たちは、勢いはあるが、裏の世界っつーもんに詳しくない。やっぱり、無謀だったな、商人集めて政府に襲撃ってのは……」

「いいんじゃないか? 夢があって。それに……俺だって、たまには日光が恋しくなる」

「だったら手伝ってくれたらいいじゃねえか!」桐谷は悲痛そうな叫びを上げる。「いや、手伝うも何も、あんたらの力がありゃ、一個小隊くらいは無傷で制圧出来るんじゃねえか」

「どうかな……どう思う?」と、神城は足枷に尋ねる。

「行けるんじゃない? わかんないけど」

「……呑気なもんだ」

 桐谷は煙草を地面に叩き付け、靴の裏で踏みにじる。名刺をシャツの胸ポケットに収めて、ふー、と、長い息を吐いた。今夜の出来事——特に、ここ数分で起きた出来事を清算するような溜息だった。

「じゃあ、帰る。いや、最後にひとつ。政府から依頼があって、俺たちを待ち伏せしてたってことは……要するに、計画が漏れてたってことだな」

「そうなるな」

「情報源は?」

「ああ……悪い、情報収集は部下の仕事なんだ。それに、聞いていても教える義理はない」

「だろうな。ま、いいさ。仲間を疑いたくなかっただけだ」

「身内にスパイがいるかもってことか? それはないだろ。得がない」

「情報料をもらってるやつがいるのかもしれねえ」

「かもな。しかし、信じるのがトップの仕事だろう」

「ああ……耳が痛いね。裏切られるってことは、トップに信用がねえってことか」

 はっ、と乾いた笑いを一つ打って、桐谷はゲートに向かって歩き出した。

 終わりだ——と、神城は安堵あんどする。仕事が始まるまでは念入りに準備をしていたことも、実際の出来事はまたたく間に過ぎる。事実、十分程度の出来事だった。

 仕事の成功を疑っていたわけではないが、それでも、特に問題もなく、犠牲もなく、ひとつの仕事を終えられたという達成感があった。もちろん、斑闇の受けたダメージもあるし、足枷も無傷ということはないだろう。それでも、大きな損失なく仕事が回った、という安心を得ることが出来ている。一つ一つの小さな仕事の終わりが、人生を豊かにしてくれるのだと、神城は信じていた。

「じゃあ……俺たちも帰るか」

「はーい。もっと大暴れ出来るかと思ったけど、案外しょぼかったね」

「そういう言い方するな」

「おじさんたちの前では我慢したんだよ? 傷付くかと思って」

「そうなのか? お前も成長したな。社会人らしくなってきた」

「でしょー」

 駐車場はすぐそこだったが、一號と死屍ししかばねの所へ向かうことにした。斑闇も、恐らくは喜多の搬入を手伝っていることだろう。『天井てんじょう』と司空塔の双方から監視されているはずだから報告の必要もなさそうだが——帰りに際に警備室に寄る必要がある。面倒だが、そうした面倒事を解決して手に入れた空白こそが、真なる自由となる。仕事とはそういうものだ。そう考えながら、神城も桐谷の後を追うように、ゲート方向に歩き出す。足枷も、その後ろに着いてきた。

 ——突如、ドン、と耳慣れない音がした。

 突然のことだったので、何かが爆発した音かと神城は思った。地響きに似ている。例えるなら、震源付近で地震の最初の揺れを聞いた時の音に似ていた。次に、進行方向の地面がえぐれていることに気付いた。数秒前まで、その痕跡こんせきを認めなかった。上から何かが落下してきたのか? まれに、そうした事象は起こる。『天井てんじょう』も完璧ではないから、老朽化した部品が落下するということも、一年に一度程度のペースで起こると聞いている。だが、実際に目にしたのは初めてだった。否————

「リーダー!」

 足枷の叫び声を聞いて、ふいに意識が正常化する。

 げ臭い、と感じた次の瞬間、嗅覚は消えて、痛覚が主張し出した。麻痺していたと気付いたのは、麻痺が終わってからだった。左胸、心臓の部位を、。斜めの弾道、進行方向の地面に弾痕だんこん、背後、高所からの狙撃。事実と憶測から、事態を把握はあくしようとする。何が起こったのか、それが物理的に可能なことなのか、結果として自分が置かれている状況は、起こり得る事象なのか。瞬時に様々な思想が繋がり、結論として、現状は起こり得る結果であることを、神城は認める。が——唯一、

「なんだ⁉ 今の音は——」視界の先で桐谷が振り返っている。弾痕のさらに向こう。どう考えてもこれはヤツの仕業しわざじゃない。いや、味方がいたのか? 有り得る。だが、なら何故今になって撃った? 斑闇と足枷が悠長に話している間に、いくらでも狙撃出来たはずだ。それとも、狙いは最初から俺だったのか? だが——やはり、。敵は多いが、わだかまりは逐一ちくいち、極力解消してきたはずだ。仕事上では、桐谷のように、遺恨いこんを残さないようにしてきた。背後から……正確に、心臓を狙われている。足枷ではなく、俺の心臓を。「おい! どうした!」桐谷の怒号。いつの間にか自分は膝をついている。声が出ない。痛みは増して、増長して——だが逆に、薄れてきている。死に至る感覚だった。。これはすぐに死ぬな、と、冷静に考えている。「リーダー!」足枷と同じ言葉だが、これは一號の声だった。間違うな一號、桐谷じゃない。そいつを殺すなよ。そう念じるのが精一杯だった。声は出ない。背後に足枷の手の感触。「リーダー、リーダー! 撃たれたの⁉」そこは敵の射線上にある、お前まで撃たれたらどうする——と、やはり声に出せないまま念じるしかない。視線が意思と関係なく下がっていく。目蓋まぶたが重く、やはり地面しか見ることが出来ない。弾痕を調べなきゃな……森木のおっさんに弾を見せれば、銃の特定が出来るかもしれない。位置関係からして、司空塔とは別の高所から狙われたはずだ。ああ……地図が思い浮かべられない。ゲートは西側にあるから、つまりは司空塔より東側にある建物——だめだ、胸が痛い。

「リーダー! ——手錠、何があったの!」

「わかんないよ! 急に大きな音がして、リーダーが倒れて、背中に穴が開いて! 撃たれたんじゃないの⁉」

「拘束を解きます」一號が言って、手袋の指先をまむ。

「心臓いってんだよ⁉ そもそもリーダー相手に効くわけないじゃん!」

「じゃあどうするのよ!」

「亡骸ちゃんは⁉ どうして連れてこないのさ!」

「おい、おい! どうした!」桐谷も叫んでいた。「なんだ、撃たれたのか⁉ おい、それは俺たちの仲間じゃねえぞ! そんなでけえ穴開けられるような銃、俺たちは持ってねえって」

 だろうな、と、神城は思った。口にしたつもりだったが、声は出ていない。手当たり次第に五感にうったえかけると、視覚はほとんど死んでいた。聴覚はやけに明瞭クリアだが、血液が流動する音さえも聞こえている。触覚は——痛覚にほとんど支配されていて、役に立たない。味覚と嗅覚は不思議と、血を連想させる。口は動かない。左半身もほとんど動かない。自分が倒れないのは、一號と桐谷に支えられているからだと、やっと気付いた。いや……ん? あ、なんだ……右手が動くじゃないか。自由とは言いがたかったが、それでも右手が少し動くことに気付いた。激しい痛みを伴いながら、それでもなんとか、肩が動く。腕が上がった。

 一號がめる真紅の手袋は、その手に隙間なく合うように作られた一点物オーダーメイドだった。それ故か、一號は手袋を脱ぐのに手間取っていた。もっとも、そうじゃなければ拘束具の意味がない。神城は、そんな一號の手を、辛うじて動く右手でつかむ。やめろ、と口で言えれば良かったが、口は動かない。お前の呪いは届かないし、無駄に発現させたところで、意味がない。今すべきことは————一つだけだった。

 神城は、辛うじて動く首から上を傾けて、今まで自分たちがいた場所——つまり、死屍亡骸が置かれているであろう場所に、視線を向けた。

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