第2話

 地上民間会社神城かみしろは、未堂寺みどうじ駅前の雑居ビルの三階にあった。三階と言っても、空間としては二階分の高さがある。元々は何かの撮影スタジオとして利用されていた場所らしく、ひどく背の高い、殺風景な、ほとんど箱だった。二十畳ほどのスペースがあり、天井までの高さは六メートルあった。そのため、雑居ビルのエレベーターには四階のボタンがない。あるいはそれは、不吉な数字である『四』を忌避きひするための配慮はいりよだったのかもしれないが——神城かみじょうにとってはどうでも良いことだった。彼が本社をここに構えた理由はただひとつ、斑闇まだらやみがいても窮屈そうに見えないからだった。

「お帰りなさいリーダー、ずっとお待ち申し上げておりました。ジャケットをお預かりします。お預かりして保管しておきます。クリーニングに出しておきましょうか? 最近私、クリーニングの勉強をしているんです。リーダーの身につけているものを、全て私の手で清掃、管理するためです」

「このまま着ていくから預からなくていい。おはよう一號いちごう

「おはようございます。紅茶を淹れますね」

 本社には申し訳程度のキッチンがあり、そこは一號が管理していた。というか、一號は本社に住んでいるので、全てが一號の管理下と言っても過言ではない。一號はうやうやしく一礼して、玄関横のキッチンスペースへと引っ込んだ。

 メイド服——と言うと語弊があるだろう。給仕衣装、あるいはクラシカルなメイド服とでも形容すべきか。黒いロングスカートと、黒いシャツに、白いエプロンを装着している。足下も黒いソックスに黒のローファーを履いていて、肌の露出は全くない。両手には真紅の手袋をめていて、そこだけが非現実的だった。一號時計ときはかりという女は、神城に対して屈折した愛情を持っているが——それでもやはり、斑闇同様、社員としては優秀だと言えた。

 神城はそのまま会社の中へ向かい、社長席——とは名ばかりの、一人用ソファに腰掛ける。続いて、その対面にある三人掛けのソファに斑闇が座る。玄関を入って上手かみて側にある一人用ソファが社長席、正面に後ろ向きで配置していあるのが三人掛けソファ、そして下手しもてにもうひとつ存在する一人用ソファには、小さな体躯たいくの少年が、体育座りで眠りこけている。その三つのソファで囲むようにしてローテーブルが配置してあり、そこには書類やら、電子端末タブレットやら、筆記具やらと言った事務道具が乱雑に置かれていた。

「よく寝るな」視線の先で眠りこける少年——足枷あしかせに対して、神城は呟いた。誰に言うでもなく放った言葉だったが、「二十時間ほど寝ています」と斑闇が答える。が、よく考えれば午前五時に寝て、少し起きていたとは言え十七時間ほど寝ていた神城に何かを言う資格はないように思えた。会議までまだ時間があるから、と、神城は足枷を起こすのはやめておいた。始業時間という概念のない会社であるから、会議と作戦以外の時間は基本的にはフリーだった。

 神城は視線を左に向ける。すぐに目に入るのは斑闇の縦長の図体だったが、神城の視線はソファの中心にあるバッグに向いていた。パッと見では少し大きめのスクールバッグだが、実際はマネキン運搬用のバッグだ。

「そっちもよく寝てるみたいだな」

「そうですね。何時間寝ているのかは数えていませんが、二年以上は寝ている計算になりますね」

「だろうな」

「今日も拝顔はいがんしますか?」

「ああ」

 神城が言うと、斑闇はうやうやしい手つきでバッグについたファスナーを開いていく。と——バッグの中からは、人形のような少女の顔が覗いた。実際のところ、生きているとも死んでいるとも言いがたい状態であるから、人形と形容した方が正確かもしれない。

「我が社の姫君は今日も美しいな」

「一號が最高のコンディションをたもっていますからね」

「流石は一號だ」

「今私のこと褒めましたかリーダー!」

 キッチンから一號の声が聞こえてきたが、神城も斑闇もそれには応答しない。

 バッグの中に収められている人形は、死屍ししかばね亡骸なきがらという少女だった。神城と斑闇が出会ったのが二年前で、その時は活動していた。が、今はこのように、活動を停止している。生命は生きている状態の方が不安定だとする説もあるため、死屍の状態は、安定していると言えるのかもしれない。二年間、栄養を摂取せっしゅすることも、排泄はいせつすることもなく、しかし確かに生きている。地上民間会社神城の、マスコットのような存在だった。

「もういい。満足した」

 斑闇はファスナーを閉める。「いつ見ても亡骸ちゃんは可愛いですね。死体性愛者ネクロフィリアに目を付けられたら、きっと大変なことになるでしょう」

「変態じゃなくても変な気になるくらいには可愛い」

「そうですねリーダー。でもダメですよ、社員に手を出すのは。いくら旧知の仲とは言え」

「私には手を出して下さっても構いませんよ、リーダー」

 ティーセットの乗ったトレーを持った一號がやってきて、割り込むように言う。もちろん、神城も斑闇もそれに対して何も言わない。神城は面倒くさいから、斑闇は何か言えば百倍になって返ってくるので、無言を貫く姿勢だった。一號もその反応には慣れた様子で、何も言わずに乱雑なローテーブルの上に器用にティーカップを配置していく。配膳を終えると、死屍の隣に腰を下ろした。斑闇とで死屍を挟む形になる。

「それじゃ会議を始めるか。一號、手錠てじょうを起こせ」

「かしこまりました。手錠、起きなさい。会議の時間よ」

 一號が体育座り状態の足枷を揺らす。と、唸り声を上げながら、足枷が目を覚ます。

 囚人服を着た足枷もまた、ほとんどモノトーンで、肌の露出がなかった。足と手と顔だけ肌の色が見えるが、それ以外は囚人服で隠れている。両手には真紅の手錠がついていて——両足にも真紅の足枷がついている。両手、両足とも、多少の可動域あそびを有した拘束具であるため、歩行や多少の手の動きをする自由はあった。現に、足枷は大きく伸びをしながら、可動域限界まで両手を離して、目をこすっていた。

「んあ……おはよう、リーダー。おはよう! うわあ、久しぶりだね。三日ぶり? 会いたかったよリーダー。おはよう……」

「ああ。実は一昨日おととい来てたけどな、お前が寝てたから会ってなかった」

「そうなんだ! そうかぁ……会いたかったなあ。でも会えて嬉しいよ!」

「手錠、うるさい。会議の時間なの」

「そうなんだ! じゃあ静かにするね」足枷は両手両足を大きく伸ばし、んーっ、と声にならない声を上げる。「そうだ! 今日は仕事の日だったね。あっ、静かにするね」

「そうしてくれ。これから一度、軽く仕事のおさらいをする。まあ、さらうほど大した仕事じゃないんだが、珍しいことに政府からの仕事だからな。念には念を入れて——という、フリをしておく必要があるし、仕事も全社員総出で行っている——という風に見せる必要がある。だからお前らも、そういう体で——仕事をして欲しい。頑張ってるアピールをするってことだ。我々のような下民だって、天下人てんかびとの皆様の役に立っていますよ、という姿勢を見せなくちゃならない」

「心得ております」斑闇が言う。「進行は私が担当致します」

「ああ、頼む」

 斑闇はローテーブルに置かれたリモコンを操作する。三人掛けのソファの正面にある大型ディスプレイが活性化し、デスクトップ画面が映し出される。ローテーブルの上に置かれた電子端末タブレットのものだった。斑闇は今度はそちらに手を伸ばし、画面に数回触れて、会議資料を表示させた。神城はそんな作業を眺めながら、無意識にティーカップに手を伸ばす。きちんと飲み頃の温度に調整された紅茶だった。家で飲んだ地獄の飲料とは比べものにならない。

「お待たせ致しました。皆様、会議資料アジェンダをご覧ください」

 斑闇が言うと、死屍以外の社員の視線がディスプレイを向く。最初から見ていれば良さそうなものだが、一號も足枷も、暇さえあれば神城の一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくを眺めているので、仕方がなかった。

「これより、『天照計画阻止計画アマテラス・キャンセル』についての会議を始めさせていただきます。司会進行は私、斑闇目隠が務めさせていただきます。よろしくお願い致します」

「お願いします」

「よろしくお願いします!」

「それじゃあ斑闇、概要説明から頼む」

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