『天照計画阻止計画』

福岡辰弥

第1話

 日の出の時間は午前六時と決まっていて、日の入りの時間も午後六時と決まっていた。十二時間の間は昼間で、十二時間は夜と決められている。それが地上暮らしの人間にとっての規則ルールで、変えることの出来ない絶対的な常識だった。

 神城かみじょうは午前五時に眠り、午後十三時に一度目覚めて軽い食事をした後、午後十四半にはまた眠りについていた。そして午後二十二時、礼儀正しいインターフォンの音で目を覚ました。インターフォンは機械的に響くだけなので、そこに礼儀も作法も存在しないはずだが、神城にはインターフォンの強弱や頻度だけで、それが誰によって鳴らされたものなのかを判断することが出来た。

 神城は鳥の巣のように、毛布や枕や掛け布団、昨日着ていたパーカーや片割れを失った靴下などが散乱するベッドから起き上がり、壁掛けのディスプレイを見つめる。小さな画面の向こうには、真っ黒な男が立っているのが見えた。斑闇まだらやみだ。神城はボタンを押して、ドアの外との会話を繋ぐ。

「おはよう」

「おはようございますリーダー。お迎えに上がりました」

「鍵は渡してあるはずだぞ。勝手に入れよ」

「そうは行きません。ご存じですか? 吸血鬼は住人に招かれるまで、他人の家に入れないというルールがあるそうです。私も同じですリーダー。リーダーに入っていいと言われるまで、たとえ物理的に可能であろうと、勝手にリーダーの住まいにお邪魔するわけにはいきません」

「だったら外で待ってろ」

「わかりましたリーダー」

 少しいじわるをするつもりで神城は言ったが、斑闇は大人しくそれに従おうとする。いつものことだが、調子が狂う。神城は「入っていいぞ」とだけ短く言って、通話を切った。すぐに、テーブルの上に置いてあった飲みかけのコーヒーカップに手を伸ばす。ミルクを入れて放置していたマグカップにそのままコーヒーを入れたので、いつの間にか、ミルクの破片のようなものがいくつか浮いていた。気味が悪いが、そのまま飲み込む。成分的にはつじつまが合うから、これはミルクコーヒーだ。

 通話から三十秒ほど経ってから、玄関先で物音が聞こえてきた。神城が住む部屋はマンションの六階に位置しているので、インターホン越しの会話から実際に玄関前に到達するまでにはエレベーターを利用する必要がある。小さなエレベーターに、大きな斑闇の体が窮屈そうに収まっているのは面白い光景だが、ひとりで乗る時はどんな風に乗っているんだろうか、と神城は疑問に思った。普段、神城と斑闇が一緒に乗る際、斑闇はほとんど柱みたいに隅に棒立ちして、自分の体積を減らそうと——無論、そんなことは物理的に不可能だが——している。もしかすると、上司のいない場所では尊大そんだいな感じで仁王立ちでもしているのだろうか。いやまさか。そんなことを考えている間に、合鍵を使って玄関が開き、斑闇が神城の部屋にやってきた。

「おはようございますリーダー。お迎えに上がりました」

「さっき聞いたぞ」

「私もさっき言いました」

 身長二メートル二十センチと、尋常ではないほど縦に長い斑闇が窮屈そうにからだを屈めながら敷居を跨いでいるのが見えた。黒い長靴を履いていて、黒いレインコートを着ている。手には大きな黒い蝙蝠こうもり傘を持っていて、目元には真紅の目隠しをしていた。両手と顔の一部だけ、辛うじて肌の色が露出している。だが、それ以外は黒一色で、目元だけが赤い。目隠しに掛かっている前髪もからすの濡れ羽色をしていたので、目隠しだけが妙にえた。

「支度するから少し待っててくれ」

「わかりましたリーダー。ここで待ちます」

「上がれよ。コーヒーくらい淹れるぞ」

「滅相もありません。リーダーに給仕きゅうじをさせるくらいなら死にます」

「それは困る」

「ではここで待ちます」

「じゃあお前がお前の意思で勝手にコーヒーを淹れて待ってろ」

「出来ませんリーダー。私がリーダーにコーヒーを淹れたら、私が一號いちごうに殺されます」

「俺の命令が聞けないのか?」

「リーダーの命令は聞けますが、結果的に死ぬことになります。リーダーの損得を考えますと、私が死なないほうがいくらか得かと」

「だろうな」

 神城はソファにだらしなく掛かっていた真紅のブルゾンを掴み、またマグカップに手を伸ばした。後味どころか先味も悪い最低なミルクコーヒーだったが、シンクに捨てるのも面倒くさかったので、胃の中に捨てる。最終的には内臓が処理してくれるはずだ。

 テーブルについている引き出しを開けると、中には地上民間人証明書とカードキー、それに回転式拳リボルバー銃が一丁だけあった。MP412をモデルにした銃だが、森木もりき銃器店のオリジナル製品だった。名前は『木哭寺きこくじ』というらしいが、意味もセンスも理解不能なため、神城はそのまま「銃」とだけ呼んでいる。要するに、区別の必要がない限り、対象の存在に名前などを付ける必要はないというのが神城の理屈だった。

「リーダー、何度も申し上げております通り、武器の携帯は不要です。というか、私が武器なのですからリーダー。銃などお持ちにならないでください。火傷やけどをします」

「お前は長物ながものすぎて扱い辛いからな。小回りが利く方が都合が良い時もある」

「長くて申し訳ありません。こればかりは努力のしようがなく」

「分かってるよ。軽口を叩いただけだ。銃はお守り代わりなんだから、持っていたっていいだろう。俺だってガキじゃないんだ、暴発なんかさせるつもりはない」

「そうですねリーダー。リーダーに対して口の利き方がなっておりませんでした。反省しております」

「本当に反省してんのかそれ」

「しております」

「じゃあ、行くか」

 神城はブルゾンを着込み、そのポケットに地上民間人証明書とカードキーを、ジーンズのベルトに銃を突き刺した。予備の弾はなく、先の会話にあった通り、ほとんどお守りのようなものだ。無論、毎日とは言わないまでも頻繁に手入れされており、いつでも使える状態ではある。ただ、日本国内での発砲は、正当性があれ面倒なことになる。使わないで済むのであれば、その方が人生的に得だと言える。

 ブーツを履きながら、「斑闇、お前少し外に出ろ。邪魔すぎる」と神城が言うと、「いえリーダー、リーダーが無防備な状態でいるのに障壁しょうへきを除外することは出来ません。盾は多い方がよろしいでしょう。バズーカでも撃ち込まれない限り、ドアと私がリーダーをお守りします」と斑闇は言い返した。斑闇は決して軽口を叩いているわけではない。あくまでも真剣に、神城の身を案じていた。と言っても——神城は四六時中誰かに命を狙われているような人間ではないから、この心配は杞憂でしかないのだが——斑闇目隠めかくしという男の人生は、神城を守るためだけに存在しているので、全ての言動がこうであるのも、仕方がなかった。

「よし、じゃあ行くぞ」

「かしこまりましたリーダー。ところで、事務所のカードキーしか携帯していなかったように見受けられます。部屋の鍵をお忘れでは?」

「お前が持ってるだろ」

「持っております」

「掛けておいてくれ」

「私の身に何かあったらどうされるんですか? 仕事中に私が爆発四散したら、リーダーは部屋に入れなく——なる、かと思いましたが、一號がいましたね。私が死んでも問題ありませんでした」

「だな。とにかく携帯品を減らしたいんだ。やっといてくれ」

「分かりましたリーダー。しかし、小言を言うようですが、携帯品を減らしたいのであれば、やはり銃を置いていくことをお勧めしますが……」

「くどいぞ」

「失礼致しましたリーダー。では参りましょうか」

 神城がエレベーターの下りボタンを押して箱の到着を待っている間に、斑闇は神城の部屋の施錠をした。そして、いつものように斑闇が先にエレベーターに乗り込む。「クリアです」と、内部の危険性を確認してから言って、箱の隅——操作パネルの前——に陣取った。神城もそれに続き、エレベーターの中心で仁王立ちする。

「今夜の仕事の内容を復唱しますか?」

「いや、大体頭に入っているから、事務所で全員でやろう。あれだ、ほら……穴を開けようとする小狡こずるい悪党の計画阻止だろう。時間は午前二時半」

「その通りです。今日もえていますね、リーダー」

「馬鹿にしてるよな」

「尊敬しております」

 無益な言葉の応酬があり、すぐにエレベーターは一階のエントランスに到着する。先に斑闇が出てから「クリアです」とスムーズに口にして、その後で神城が箱を出る。二人組ツーマンセルの場合、行動は常に社員が先陣を切るのが決まりだった。もちろん、周囲に危険などない。が、斑闇目隠という男は、実に機械的で優秀な社員だった。神城の言うことを遂行し、社訓を守っている。守りすぎている。少しは羽目を外して欲しいと思うことが度々ある。

「バスで行かれますか? 電車で行かれますか? それとも、歩いて行かれますか」

「たかだが三十分だろ。歩いて行こう。少しは運動しないとな」

「そうですね、運動は良いですよリーダー。健康的ですし、人間的です。運動は、人間に許された権利と言っても過言ではないでしょう。気まぐれに運動をする動物などおりませんから」

「馬鹿にしてるよな」

「尊敬しております」

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