ジャパニーズフード
「はあ、楽しみにしていたのにガッカリだわ」
鈴木アリスは不満そうに高層ビルの建ち並ぶ通りを歩いていた。日本人の父とフランス人の母のもと生まれたアリスは、フランスで生まれ育っており、社会人二年目の今年初めて日本にやってきた。
日本に来るまでは、アリスは日本のことが大好きであった。日本食や日本の文化をフランスで学んでおり、感銘を受けていた。特に寿司や天ぷらなど日本食は大好きで、日本に行って本場の味を体験できることを心から楽しみにしていた。
しかし、初めて来た日本は、予想以上に欧米の食文化の影響を受けており、アリスはショックを受けていた。もちろん、本場のお寿司屋さんの味は至高のものであったが、通りに並ぶレストランは、和食よりもファストフードや洋風のものが多かった。コンビニなどに行っても、日本人の多くがパンなどの日本の伝統料理とは異なるものを買っていることにガッカリしていた。お菓子をとっても、和菓子屋さんにはあまり人がいないのに対して、ケーキ屋さんなどには行列ができている様子を見て呆れていた。
「私は日本に来るべきではなかったわ。日本に対して抱いていたものはただの幻想に過ぎなかったのよ」
そう思うと、日本への旅行がとても無意味なもののように思えてきてしまい、一刻も早くフランスに戻りたいと思うようになっていた。本当はもっと日本国内を観光する予定であったが、それもキャンセルして、都内の父親の親戚の家に泊めてもらうことにした。この日は親戚が出かけていたため、アリスは特に目的もなく、通りを歩いていたのであった。
「あら、こんなところになんて汚いビルディングがあるの」
高層ビルの間に、小さくて古そうな食堂があるのに気付いたアリスは思わず足を止めた。
「都心にはまともな日本料理を提供しているお店などないと思ったけど、ここなら何かしら出してくれるかもしれないわ」
そう思ったアリスは、この汚い食堂の中に入っていった。
「いらっしゃい。私がこの食堂を運営しているトメです」
食堂の中から90歳くらいの女性が出てきた。その姿はまるで魔女のようであったが、アリスにとってはそんなことどうでもよかった。
「こんにちは。何か美味しいランチが食べたいわ」
「ランチですね。今から作りますので、そちらでお座りになってお待ちください」
「え、ちょっとメニューは?」
そうアリスが声をかけたときには、トメはすでに厨房の中に入ってしまっていた。
「何よ、なんか変わったレストランね」
そう言いつつも、アリスは席についた。
「お待たせしました。今日のランチです」
しばらくして、トメが料理を持ってきて、アリスの机の上に置いた。そして、すぐにまた厨房へと戻っていった。
「ありがと・・・え、何よこれ!?」
アリスは料理を見て思わず大声をあげた。トメが用意した料理はグラタンだったのである。
「何よ、こんなレストランまで洋食を出すなんて馬鹿げているわ。グラタンだったらわざわざ日本に来て食べなくても、フランスでもっと美味しいものをたくさん食べられるわよ。あんなおばあさんまでも、日本料理の良さがわからないなんで、本当に日本になんか来るべきではなかったわ」
アリスは怒りが収まらなかった。大声で日本に来てから溜まっていた文句を叫び続けた。しかし、トメが厨房からアリスのもとへと姿を見せることはなかった。
「うーん、とはいえお腹が空いたわ・・・」
ひたすら叫び続けたアリスは空腹になっていた。日本でグラタンを食べるのは不本意とは言え、しぶしぶ出されたグラタンを食べることにした。
「え・・・」
グラタンを一口食べるなり、アリスは言葉を失った。なぜなら、グラタンの味がフランスで食べているものと、良い意味で全く違ったからだ。何か日本風のグラタンを食べているような気がしたし、それはむしろ普段食べていたものより美味しくも思えた。
「ふふふ、ようやく食べてもらえたわ」
先ほどはまったく厨房から出てこようとしなかったトメが、気が付いた時にはアリスのそばにいた。
「これはね、『和風
トメがいたずらっ子のような笑みを見せる。アリスは、何か言おうとするが、頭の中が真っ白になってしまっていた。そして、このグラタンを食べる手がどうしても止まらなかった。
「このグラタンは、ジャガイモじゃなくてサトイモを使っているの。そして、具材には大根とネギとキノコとマグロの身をほぐしたものを使っていて、かなり和風テイストにしてあるわ。そして、なんといっても味付けには味噌を使っているの。あ、それに風味としてミョウガも使っているわ」
トメは楽しそうに話す。その姿が、アリスにはとても美しく見えた。
「いやはや、本当にとても驚きました。私はフランスから来たのですけど、日本に来てからはガッカリする体験ばかりでした。せっかくの素晴らしい日本食が軽視されていて、ファストフードや洋食ばかりが出回っていて・・・。私、政治とか仕事の上では国際化が大事だと思いますが、料理とか文化の場合は自国のものを守るべきだと思うのです」
そうアリスが言うと、トメは少し首を
「うーん、私は食においても国際化は悪いことではないと思うわ。もちろん独自の文化を守った上のことでだけど。私がこの和風具楽探を作るきっかけになったのは、間違いなく昔フランスで食べたグラタンの味が忘れられなかったからだわ。だけど、まったく同じものを作ろうとしては意味がないと思って、何か日本料理からもヒントを得られることはないかしらって考えたの。そして思いついたのが今日出した料理よ。寿司だって天ぷらだって私たちから見たら日本の伝統料理と思えるかもしれないけど、日本料理の中には、海外からの影響を受けてからできたものも多いわ。伝統料理だけにこだわっていては何も新しいものは生まれない。伝統料理の良さをしっかりと分かったうえで、新しい文化と融合させると、そこには新たな文化が誕生するのよ」
トメの言葉はアリスの胸に深く刺さった。確かに、アリスは日本に対して間違った期待をしていたのかもしれない。思い返せば、フランスにだって、フランス料理だけでなく、日本料理を始め、多国籍料理は広く浸透しつつある。そうやって、どの国も更なる進歩を遂げているのかもしれないと思えてきた。
「ごちそうさまでした。次日本に来た時もこのレストランに来たいから長生きしてくださいね」
そうアリスはトメに伝えるて、食堂を後にした。
「やっぱり、日本の観光をもっとしないといけないわ」
そう思ったトメは、親戚の家に泊まるのは今日で最後にして、明日からまた全国を回ろうと決心した。
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