第六拾弐話 ーダークエルフ・アイ その五ー

 ――しんと息を潜め静まる村の気配に、眠るスカイラインを抱き寄せるメリーは、上着を被って椅子に怯えていた。

 闇の室内に、灯かりは食卓のランタンだけ。

 ホブアラートが全村避難を合図するようなら、最低限の手荷物で逃げ出さなければいけない。

 かまどの火は全て落とし、アイと二人でこしらえた野菜のシチューも、もう冷え固まっているだろう。

 胸に抱くスカイラインの体温が、有難かった。


 不安の静寂に耳を澄ませていると、玄関先へ近付く足音に気が付いた。

 耳慣れた木靴の音。ケンだ!


「――ただいま、メリー無事か! アイさんは!?」

「ケン! アイは逃がしたわ! 東口はどうなったの?」

 外敵が村へ侵入するのを防ぐため東の入り口へ走ったケンが、そのままスコップを片手に帰宅してきたのを、抱き付くように出迎え見上げる。

「うん、それがね」

 扉脇へスコップを立て掛け、ケンも両腕でメリーと子供の無事を喜ぶ。


「――百人ぐらいのデーモンの兵隊だったんだけど、森の手前まで進んで来たら、止まって動かないんだ」

「え? そうなの?」

「うん。野営の準備を始めて、かまどの火も立ち上がってきたから、ひとまず男たちが交代で見張りをしようという事になってね、一度戻ってきたんだ」

「そう……スグには襲ってこないのね?」

「油断は出来ないけどね。食べるもの有るかな? 腹ごしらえしたら、すぐに戻らないと」

「あ、はい。シチューを温め直すわね」


 寝ぼけ眼のスカイラインをケンへ預け、メリーはシチューを温めるために、消えたかまどの火を起こし直す。

 ケンは愚図るわが子をあやしながら、「ふ~ぅ」と溜め息で椅子へ腰掛け、上着のボタンをひとつ緩めた。


 台所の火の気配に、寒かったホブの家が穏やかな空気を取り戻し始めた頃。


 ――コツ、コツ、コツ。


 玄関の扉が三度、外からノックされた。


「――だれかしら?」

 炭で汚れた指先を前掛けで拭いながら、玄関へ向かおうとするメリーを目で制し、ケンは椅子から無言で立ち上がる。

 スカイラインを妻へ抱かせ、玄関脇に身を隠しながら、スコップを音が出ないよう握り構えた。


「――どなた?」


「とびらは開けるなよ? 姿を見られたくない」


 玄関扉の向こう側から、とは思えない、明瞭な男の声が室内に聞こえる。わが子を抱いて離れていたメリーの耳にも、ハッキリと聞こえてきた。


「……自慢じゃないが、ビビられても困る」


「だ、誰だ!?」


「――アイが、荒野の出口で捕まった」


 ケンの誰何の問いには応えず、男の声は恐ろしい事を伝えてきた。


「な! 何だって! アイさんがッ!」

「安心しろ。今、俺のが接触している」

「あ、アイは無事なの!」

 メリーの心配の叫びも聞こえているらしい。

「カラダは縛られているが、ケガはしていない。無事だよ」


 二人は何故か、初めて聞く男の声にも疑う気持ちが湧かなかった。真実を語っていると思わせる声色。

が上手く、やってくれるサ。予定は少し早まったが、助けて逃がしてくれるだろう。お前らは安心して、自分たちの『これから』を考えろ」


「あ、アイさんは無事なんだな? ちゃんと逃がしてくれるんだな?」

「ああ」

「信じてイイのね? アイの事を、頼んでいいのねっ?」

「まかせろ……」


 心配している様に聞こえるが、じつは、自分たちが安心をする為に放った、言質を取る様な問い掛けである。

 にもかかわらず、気を悪くしないで一々応える存在に、ケンは身勝手で無力な自分達を恥じた。


「お、俺が西へ逃げろと、指示したバッカリに……」

「ふん……結果的にお前らの避難路が、利用された形になったな……だが、武力で村ごとハダカに剥かれずに済んだんだ。幸運だったと思って置いた方がイイ」


「だ、誰かが、避難路を……?」

「狭い村だ。その辺は余り詮索しない方が今後の為だゼ? へへっ」

「……」


 何か大きな存在を、ケンが薄々感じていたところ、

「おっ、そろそろかな?」

 と、男の口調が早口へ変わる。

「村の外に来ている連中は、襲って来ないと思うが、用心はしておけよ? アイが居なくなったと分かったら、捜しに来るかもしれん。アイの痕跡を消して、村の連中と口裏を合わせておけ」


 そう言うと、玄関の外に立つ気配が消えた。


「アイの事はに任せろ。無事に逃がしてやる……子供を立派に育てろよ? ふふっ……」


「あ! チョッと!」


 遠くなっていく男の声に、玄関から出たケンの鼻面を、東口の悪魔どもの野営地からだろう、煮炊きの煙が丘を登って軽く薫った。


 ケンを追って腕に寄り添うメリーの瞳は、スカイラインの視線に気付いて、月の夜空を見上げていた。



〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇



 世界間を移動する場合の光の魔法陣を通るには、条件が有った。

 死んでいるか、または、それに準ずる『ショック状態』にあるか。

 あるいは、『自分から転移を望んで』光の環へ身を委ねるかだ。


 ――今回アイは、マコトと契約し、異世界へ逃亡する事になる。


 ちなみに次回からは、以上の条件は必要なくなり、魔法陣がそこに有れば、有無を言わさず移動する。



 最初マコトとナギは、アイが魔族の刺客に倒され、『行動不能状態』となるまで待ち、移動させようと企んでいた。

 移動元の世界での『不自然さ』が薄まり、後に残す影響が最小限に押さえられるからだ。


 だが予想に反しアイは中々しぶとく、数々の追っ手から逃げるわ、隠れるわ、生き残る。


「――ゴキブリかよ! このネェちゃん!」

 ついにはナギも痺れを切らし、言ってはいけない事を口にし始める。神のくせに。


 そんな折に訪れた、今回の『僥倖』である。アラクネによるアイの捕縛は、まさに渡りに船。


「おい、マコト! 行って来い!」


 のナギの命令だ。従う以外の選択肢はマコトに無い。

 マコトは渋々アイの元へ降り、見事大役を果たして、アイを助け出すことに成功する。



(よくやったな? マコト……上出来だ)


 ナギが嬉しそうに言う。

 マコトは目の前で荷物もろ共、光に包まれているアイを心配そうに見つめていた。


(アイ、寝てるの? まさか死んじゃって無いよね?)


(ふははっ! 気は失ってるがな、死んじゃいないよ。安心しろ)


(でも……息もしてないみたいだけど?)


(カラダの時間を止めてるからな。『スタック』に積むときに必要なんだ。最初だから、チョッと時間が掛かってる)


(すたっく?)


(まぁ、その……なんだ。『コピー』するのに必要な『データー』を『プッシュ』してるんだ。向こうの世界に行ったら、今度はここから『ポップ』して写す)


(こぴ? ぷっ? ぽっ?)


(……気にするな。知らなくても死にはしないし、このネェちゃんも死んじゃいないよ)


(そう?)


(ああ……お? 終わるな。マコト、ネェちゃんとの旅を楽しんでこい)


(ナギ? 旅はいいけど、ドコに行けばいいの?)


(ああ。そうだな……)


 アイの体が眩しく輝く。


(うわ……)目がくらむマコト。


(お前が決めてイイ。旅してれば、みえるサ……)


 ナギの声が遠くなっていく。


(見守ってるからな……マコト……)

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