第六拾参話 ーアイとマコト その壱ー

 ――大きな背嚢に両手を通したまま、背中にもたれ掛かって足を伸ばし、アイはスヤスヤ眠っている。


(この子と旅して欲しいだなんて……どこ行けばいいんだろう? ナギってば、何も教えてくれないし……)


 母親と涙の別れを経験した後、マコトはナギとふたりで12年間、ひろい大陸の隅々を旅した。

 旅の途中で彼はマコトに言葉を教え、世界のなりたちや、様々な暮らしの知恵を授けてくれた。それは楽しく、不思議に満ちて、成長していくマコトの、かけがえの無い思い出になっている。

 この大陸の旅に関してはのマコトである。それに不安は無いのだが。


(う~ん……うう~んっ)


 お腹にやった手のひらにお尻を乗せて首を傾げ、アイの寝顔を見上げて考えた。

 軽装鎧がずり上がり、その左肩に乗るきれいな頬が、な形に歪んでる。


 目の高さに肩覆いと同じ素材の真珠色したブレストプレートが、胸とみぞおちを守っているが、華奢な胸には引っかからない。これスカスカだ。

 この鎧でホントに、心臓を守れるのか?


 とりあえず、かつかつカツと鎧に爪を打ちつけ、少し遊んでみる。答えが解からない時は、まず遊ぶ。ナギの教えだ。


(なんで出来ているのかな? つるつる)


 なんて思ってる。顔が映りそうだ。


 見慣れた故郷の桃色の月明かりが、爪の音を追いかけ反射している。


 丘に崩れる祭祀舞台。


 魔族がポツポツ暮らしている、大陸東翅の中央部。

 岩と砂ばかりが目立つ、広いひろい荒れた土地に、ポツンと放置された『ナギの神殿遺跡』は、訪れる者は誰もいない。


(ひとまず、人の居るところへ行ってみる?)


 逃亡に疲れたアイの寝息だけが、朝まで平和に続いていた。



〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇



 一方、魔界の将軍カールは朝日の岩の大地に、腕を組んで視線を見下ろす。跡形もないだと?

 ホブゴブの避難路から出て来たアイを、アラクネの糸で縛り付けた場所は、ここで間違いない。


(どういうことだ?)


 アラクネの造る『捕縛の繭』は、熱にも魔法にも、刃物にも強い。岩にガッチリ貼り付いたモノが、何の痕跡も残さず消え去っている。中に捕らわれていたアイもろ共だ。


(これは不自然すぎるな)


 異常に気が付いて、三騎のアラクネと歩兵小隊を周辺捜索に向かわせたが、用心のため周りに張り巡らせていた結界にも、逃亡の気配は残っていない。

 蒸発するように、すべてが無くなっているこの有様だ。おそらく何も見付けられは、しないだろう。


(あいつ……何か、俺の知らない技術を、作り出した?)


 帝国軍部が独占を希求した『魔素供給剤』の開発者だ。そんな物を持っていたとしても不思議じゃない。


(さて、どうするか)


 朝日が鋭く影を作る逞しいあごに拳をやり、そう思っていたところを、背後からフイに声を掛けられた。


「――捜しモンかい?」


 振り返ると浪人風の男が、やけにニヤニヤと、腰に手をしてコチラを見ていた。


「――デーモンか……」

「デーモンさ……さん」


 ふざけた言い草が、怒りを誘う。


「高位魔族をからかうと、痛い目見るぞ?」

「へっ。困ってそうだから、声かけたんだぜ?」


 変わらないニヤニヤ顔である。なんだ、こいつ? 少々足り無いのか? と、眉を顰めた。


「――まさか、とは思うが、お前が此処にいた者を逃がしたのでは無いだろうな?」

「ん~? 何か捕まえてたのかい?」


 どうもイラ付く、笑い方だ。


「ウサギちゃんか? 足が有んなら、自分で逃げたんだろ?」

「お前……死にたいのか?」


 カールは腕組みのまま向き直り、軽く顎を引いて睨んで見せる。

「……魔族にもが有るんだ。死ねるぞ?」


「怒ってるね~? そんなに美味そうな、ウサギちゃんだった?」

 ぼさぼさの黒髪に両手を立てて耳を作る。

「逃げられちまって、おきのどく……」


 ――ドン!


 轟音を撃つカールの太刀が、浪人を真横に切り裂いた。

 音速を超える物質が生む『ソニックブーム』。

 太刀の軌跡に雲が出来るが、地面を揺らすより先に、浪人の体と一緒にかき消える。


「!?」

「――へへっ! お前、面白いな」

「なにっ!?」


 荒野の果ての山岳地からが返り、それに乗る様に浪人の、薄ら笑う声がする。


「――また、会えるかもな? 近いうちにヨ」


「――何者だ? きさま」


「――デーモンさ? アークデーモンさん……」


「……」


 ――衝撃波に気付き荒野を集まる、アラクネたちの鋼鉄の爪が、遠くから聞こえてきた。



〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇



「――なあ、マコト? ここがホントに、キミの生れたなのかァ?」

「ほんとホント。イイとこでしょ?」


 荒野を歩く大荷物のアイと、マコトである。


「――私が縛られていた荒野と、あまり変わり映えしないのだがァ?」

「? 似てるね。でもあそこより、もっと広いネ」


 アイの歩みがグッと落ちた。


「そうか、広いかぁ~、この荒野広いのかぁ~」


 天を仰ぎたいが荷物が重く、姿勢が辛い。


「その広い荒野を、何処へ行く積もりだ?」

「町があるの。小さい町」


 前をスタスタ行くマコトが、荷物に潰されそうになっているアイを振りかえる。


「アイ、何か売れそうなモノ、持ってる?」

「売れそうな物~? ああ、私の金はココでは使えないのか」

「金貨、ある!? それなら売れるかも!」

「金貨なんて無いし~っ」


「まずしっ」マコトは冷たくプイッと、前を向いてしまった。


「しょ~がないだろぉ~。私は逃亡者だぞ~? お尋ね者なんだゾ~っ?」

「えばれる事じゃ、ないよね?」

「マコトだって持ってないだろ~? 金貨」

「ネコに金貨? なに? ことわざ?」

「……何でもない……」

 溜め息のアイ。


「――ボク歩くの疲れちゃった。荷物に乗ってイイ?」

「ふっざけるな! 私の方が疲れてるわいっ!」

「けち! びんぼう!」


「おまえ……私の知ってる仔猫と違うね?」

「そう?」

「仔猫ってモットこう……見てて、かわいくて……可愛いんだぞ?」

「そう?」


「そんでもって、柔らかくって……美味しいらしい」


「みぃ!」。魔族の言葉にマコトが飛び退く。


「私はまだ、食べたこと無いケドな?」

「あ、あ、あ、アイ?」

「お腹空いたな……夕べ、ごはん食べないで逃げて来たからな……メリーのシチュー、食べたかったな……」

「あ、アイ? この丘、越えれば、み、湖が見えるよ。ま、町が有るんだ……」

「へぇ~……そう? おなか空いたな~」

「……」


 マコトが少し、距離を開けた。


 越えれば湖が見えるという荒れ地の丘は、二人の前に、遠く高く、果てしなく続いていた。

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