第六拾四話 ーアイとマコト その弐ー

 ――夜明けに神殿の遺跡を出発したが、細長い湖のほとりに着いたのは、月も高い真夜中になった頃だった。

 この湖は北西の上流へ行くに従い、更にひろく深くなるのだとか。

 マコトの言っていた『小さい町』は、その行程の手前の湖岸。遠く霞む森の始まる辺りに、薄っすら揺れる灯かりがそうなのだろう。

 荒野の真ん中の湖だが、岸辺には背の低い木がアチコチ生えて、薪になりそうな流木もスグに拾い集めることが出来た。


「ホントに『異世界』なんだな……ヘンな格好の月……おなか空いたな~」

 桃色ハートの月を見上げて、焚火の岩にボ~ッと背もたれる。マコトは「だいじょうぶダヨ?」と言ったが、用心のため辺りに『索敵結界』を張り巡らし、やっと一息ついた所だ。

「もも……何年食べて、ないだろ……?」


「アイ? 食べ物もって来てる?」

 ヒザのマコトが見上げてきた。

「ボクもオナカ空いちゃった」


「ん~? たしか荷物の中に『ちんちゅん』の干物が、残ってたような……」

「! ち、って、なにサ!?」

「ちんちゅんは、ちんちゅんだろ?」

 そう言って、脇の荷物のポケットを、めんどくさそうにゴソゴソ漁る。


「こ、こ、仔猫じゃ、ないよ、ね?」

「みみず……? なのかなぁ……食べられなくは無いよ? チョッと毛がアレだけど……」

「ぼ、ボク……魚がイイナ……」



「――魚か……いいね」

 ポケットの奥から出て来た『ちんちゅん』はガビガビのカビだらけで、とても食べられそうになく、焚火に投げられた。

「この湖は、魚がいるの?」


「ニジマスがいるよ! 前に捕まえて食べた!」

 マコトがタッと膝から降り、湖岸へ向かう。楽しかった『ナギ』との釣りを、思い出していた。


「ニジマスか……あそこの岩陰辺りに居るかな?」

 横に来たアイが手ぶらだ。

「アイ? 釣竿は?」

「エルフはね? こうするの」

 紅い瞳をイタズラっぽく丸めて、人差し指を立てて見せた。


 ――ぽぅ。


 と、指先に小さく光が灯り、カゲロウのような羽虫のかたちに姿を変える。


「そらっ」

 アイが指を振ると、湖岸から突き出た形の岩陰へ向かって羽虫が飛ぶ。

 暖かく水面を照らし、右へ左へサワサワと揺れ、時折り湖上に、タマゴを産みつける仕草。

 暗い湖に映る光が、一つにくっ付いたり、二つに離れたり……。


 ――ちゃぽ。


「釣れた!」

 楽し気な叫びと共に指先から光の糸が延びて、消えた羽虫の水中へ繋がった。

 闇の湖面に光の糸が、あっちコッチへ走り回る。アイはこちらに引き寄せているらしい。

「うふふっ、おおもの、カモ?」


 マコトはオレンジの瞳を爛々と、湖岸に近づく釣り糸を追いかけていた。



「――エルフはね? もともと狩人だから、こういう魔法がいくつか残るのよ」

 焚火に釣れた魚を炙り、得意そうにアイが話す。立派なニジマスが五匹も釣れた。野営の夕食としては上出来だ。

「最近はこんなメンドくさい魔法、使う人居なくなったけどね? 少し興味が有って、おぼえたの」

「へぇ……この世界にもいるよ。エルフ」

「そうなの?」

「アイと同じ、ダークエルフもいるし……白い人たちもいる」

「白い人? 別種かしら?」

「背が高いの。アイよりずっとね……チョッと怖くて、キライ」

「チビで良かったわ。怖くないでしょ? わたし」

「ポンコツだけどね」

「ぽ」


「そんな事よりさ! アイっ!」

「いや、聞き捨てならな……」

 焚火に胡坐のアイの膝へ、駆け寄るマコトが前足を乗せる。

「さっきのやって! 虫のヤツっ!」

 オレンジの瞳がワクワクと見上げている。


「え? 虫の、って……これ?」

 アイが不思議そうにマコトを見下ろし、顔の横で人差し指を立てた。


 ――ぽ。

 だっ、パシッ!!

 指先に灯した羽虫に突然マコトが跳び付き、アイの鼻面を風がかすめる。

「――ふぎゃわっ!!」。のけ反るアイ。


「ふ~っ、ふっふっふっ、やって! アイ、もう一回やって!」

 マコトはフッフと荒い鼻息で、低い姿勢……『低姿勢』ではない。飛ぶ気満々のアレ。


「えっ!? え~っ……それっ!」

 ――ぽ。サワサワさわ……。

 今度は少し離れた空中へ、光る羽虫を飛ばす。


「――フッ!」ぱしっ!

 気合でマコトが跳び付くが。両手の挟み込みは空を切る。

 ――サワサワさわ……。


「ふっ、ふっ……シャっ!」

 ぱしっ!

「あはっ! あはははっ、はずれっ!」

「はっ、ふっ、ふっふ……」



 ニジマスが焼き上がるまでの間ふたりは、エンドレスな闘いを繰り広げていった。

 とっ! ぱすっ!

「おっと! あははっ!」




「――ねえ? マコト?」

「ん? んん?」

 大興奮の運動を終え、夕餉の魚を平らげたマコトは、既にアイの膝でおネムの時間だ。

 昼間も仔猫のクセに、かなり無茶して歩き過ぎた。


「今更だけど、この世界って襲ってくる魔物とかいないの? 泥棒とか」

「……うんん? いるよォ……魔族も、盗賊も、オオカミとかも……」

「えええっ! ヤバイじゃんっっ!」


 アイは慌てて結界を確認する。特に変わった様子は無い。


「街道から外れてるから、盗賊は出ないよ? 魔族の住む国だから魔獣も退治されてて、ほとんど出ないし……」

「そ、そうなの?」

「うん。だから安心して寝て」


 ――本当は『ナギ』がから安心なんだが、マコトはそれを話す気はない。


「う、うん……」

 半信半疑ながら荷物へ手を伸ばし、毛布を引き寄せた。

 実はアイも、くたくたに疲れていて、横になりたかったのだ。


「ね、寝てイイのかなぁ?」

「……うん。寝よ」


 膝から降りたマコトが、大きくあくびをした。

 アイはその隣に毛布を広げ横になる。


「アイ……横で寝てイイ?」

「……うん」


 アイがくるまる毛布へ潜り込み、中でカラダを折って、肩先からひょっこり首を出す。

 夜が更けて、少々湖畔が肌寒い。

 毛布の中で、お互いの体温を、ありがたく分け合った。

 焚火にも大きめの流木が有るから、朝まで暖は摂れるだろう。


「アイ?」

「うん?」


「仔猫を食べるって、ホント?」


「だいじょうぶ……マコトの事は食べないよ」

 アイがクスリと笑って、マコトの頭に手をやった。


(――小さな手だな……ごつい手のナギもあの時、『大丈夫だ、食ったりなんかしねぇからヨ』って、言ってたっけ……)


『……みぃ(ありがとう)』

「おやすみ……マコト」


 ――頭に乗る感触に、うっとり目を細めかけたマコトが、ふと、気になった。


「ねぇ、アイ……」

「うん?」

「……ちんちゅんの……毛がアレ、ってなにサ?」

「ああ……毛がね……」

「うん」

「毛が、ねばねばするんだ……」

「ねばねば」

「口の中にね、しばらく残って……かゆいの……」


「うわぁ……」

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