第六拾五話 ー河童 その壱ー

 ――湖畔のもやの気配に目が覚めた。

 暖かい風が耳毛を揺らすので薄っすら確認すると、目の前にすうすうと、幸せそうなアイの寝息が聴こえていた。おまえのいびきか。


 『テイっ』と小鼻に肉球を当てると『ぴくん』と眉間が動く。

 面白いが可哀そうだから、一度きりでやめておく。今夜寝てからまた試そう。


「うんち」

 するりと毛布から抜け出て伸びとあくび。靄る湖岸へすたすた向かう。

 砂浜を軽く清めて、用を足した。

 先端が二股に分かれた、仔猫らしい筆先のようなしっぽを天に立て、祈りにも見える神妙な顔つき。


 充分満足し砂を掻きながら。


(この手でアイの鼻を突いてみようか? におうかな? おきるかな?)


 などと考えていると、湖の方から視線を感じた。


 振り向くと、けぶる水面に顎先までぬっと飛び出た顔が、こちらを静かに見つめている。

 緑青ろくしょうの肌に濃茶こいちゃの短髪。頭のてっぺんが、まあるくポッカリ禿げあがっている。


「かっぱ」


 マコトは少しビックリした。ナギに外見を教わって知っていたが、見るのは初めてだ。まさかこの湖に住んでいたとは。


「あ、ゴメンね。みずうみにウンチしちゃった」

 そうマコトが謝ったのは、河童が『水の守り神』だと知るからだった。


(少し恥ずかしい。怒ってるかな?)


 河童の金の瞳がパチンと丸くなり、そのあと優しく細められた。


「気にせずとも宜しい、猫殿よ。水草を育てる良きじゃ」

「ありがとう! ボクは子供だからチョットしか出ないけど、アイはきっと、うんと出すよ! ゆうべ四匹もニジマス食べたんだ!」

「左様か、頼もしい」

「あ! ニジマス食べちゃって怒ってない?」

「奴らは、そんな数では死に絶えぬ。気にされるな」


 優しい河童との会話が続く。



 ――河童とは、マコトが生まれたこの世界や、アイの故郷の魔界、ナミの神殿と繋がっている『地球』等、様々な世界に生まれる珍しい生き物だと、ナギには教わった。


「俺達なんかより、ずうっと『神』に近い神秘の存在だぜ?」と、彼は言う。

 ナギは自分達の事を、あまりだとは、思っていない。



 ――大陸中央に住む『ドラゴン』を見た時にも、彼は似たような話しを教えてくれた。


 違っていたのは、河童の寿命は恐ろしく長く、ほぼ永遠だが、ドラゴンや『魔族』の様に強力な肉体は持たず、チョットした環境の変化で数を減らしてしまう繊細な身体の持ち主、というところぐらいだ。

 此処で河童と出会えたのは、この豊かな自然の湖が、彼の生活に合っていたのだろう。

 マコトは自分が生まれた場所から、それほど離れていない湖が褒められたようで、少し嬉しくなった。


「河童さんはボク等に何か用? ここで寝てちゃジャマだった?」

「いや、街道から外れておる此の場所に旅人とは珍しいと思ってな。覗きに来ただけじゃ」

「そっか、のぞきか」

「のぞきじゃ」



「――まこと~? どこ~?」

 アイが毛布をかぶって、ふらふら引きずり起きてきた。

 普段はポニーテールにまとめた銀糸の美しい髪はおおむね前へ、こんもりとボリューミーに、ある意味、纏まっている。

「……お前がいないと寒いじゃ……なんか居るっ!」

 アイが被る毛布をばっと抱きしめ、紅い瞳で立ち止まった。

「河童さんだよ、アイ」

「カッパサン?」

「アイ、うんち出る?」

「……なんテ?」



 アイも河童を見るのは初めてらしいが、砂浜に腰を下ろし、魔界の古い話しを教えてくれた。


(あ、そこは)


 ――マコトがウンチを埋めた場所である。


 河童さんと目が合ったが、彼も黙っているから問題は無い。コレが、オトナのタイオウだ。


 しらんぷりして、アイの話しを聞く。



 水辺に生息する彼等は『水虎』と呼ばれ、自分たちが暮らす環境の保全をし、土砂崩れ等の災害から水場周辺を守っていると云う。

 地殻の深くに住むとされる『大なまず』をいさめ、大地震の発生を食い止めたという言い伝えも残っているらしい。

 その為、古くから有る水辺の村には、水虎を祀る小さな祠がアチコチに存在するようだ。


「――きゅうりを、お供えするらしいよ」

「ふむ、なるほど、それでか」

「なに? 河童さん」


 河童の話しではマコトたちが、これから向かう予定の町は元々、荒野の向こう……ナギの神殿に現れたレッサーデーモン一族の末裔が住む場所らしい。

 つまり魔界出身者の子孫の部落。

 その彼らが時々、沖にある河童の住む中ノ島へ『胡瓜』を小舟に、流して寄こすのだという。


「我は特に胡瓜など好まぬし、不思議に思うて居ったが、そうか、魔界とかいう、魔族達の故郷の風習であったか」

「へぇ、水虎は別に好きって訳じゃないんだ? きゅうり」

 真実の発見に、嬉しいアイ。

「有れば喰うがな。もったいない。食べ過ぎたお陰で全身この通り、緑色じゃ」

「すごいネ、きゅうり!」驚くマコト。


「ウソじゃ」

「うそ?」

「そううそ」

 河童がてっぺんの皿をペチペチ叩いて、お道化どけて見せた。



「――そうじゃ、貴殿ら町へ行くなら、ひとつ頼み事を聞いてくれぬか?」

「うん? 何です?」アイが応える。

「町の鍛冶屋で『デファール』という男がおる。そいつにな、『約束の件、如何いかがなり』と、聞いてきて欲しいのじゃ」

「約束?」

 アイが首をひねると、河童は緑青の頬を僅かに赤らめた。

「う、うむ。そう伝えてくれれば、奴には通じる筈じゃ。た、頼めるかの?」

「河童さんは行かないの? 町?」

 今度はマコトが首をかしげる。

「我か? 我はその……」

「なに?」

「……ちと……」

 緑青の顔が更に赤くなり、変な色になった。

 あたまの皿から登る湯気が、朝靄に混ざる。

「はずい?」

「……はずかしい、のじゃ」



 レッサーデーモンの町と聞いて、少し嫌な予感がするアイだったが、言伝ことづてを頼まれる位なら大丈夫だろう。

「イイですよ。それくらいなら」

「おお、かたじけない。我の名は『キザクラ』じゃ。何か問題が有るなら、湖岸に来て我を呼ぶがよい。よろしく頼む」


 そう言うとキザクラは、湖面でペコリと禿げ頭を下げると、とぷんと水中へ沈んだ。


 ――そしてすぐに、顔を出す。


「アイ殿、もう、ウンチしても、よいぞ」


 ――とぷん。



「…………な、なに!?」


「さあ?」

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